第十六章・DEAD OR ALIVE 『Ⅳ・戯れ』
愛し合う事は生きる悦びの一つ
Ⅳ 戯れ
さっきからそわそわして落ち着かない透は、誰とも目を合わせ辛く、椅子に座っては両膝を揺すったり、立ち上がったかと思えばまた座ったりを繰り返していた。
何もそわそわしているのは透に限った事ではない。その場にいるスタッフ全員が何だか落ち着かないのだ。
チャーリーに至っては幾分青ざめているようだ。
が、その中で相変わらず表情を変えずにいるのが紀伊也だろう。
司は野田と何やら真剣な表情で話をしている。
透の視線はそのバスローブから出た司の脚に釘付けだ。
『え゛ーーっっ、ホントっに脱ぐんですかっっ!?』
打ち合わせの最中にすっとんきょうな悲鳴にも近い声を上げると透は椅子から引っくり返りそうになった。
透に限らずそこに居た全員が絶句し、司を見つめた。
『うん、オールヌード。いいでしょ? それも絡み』
っ!!
更に息を呑んだ。
『だ・だ・だ、誰とっ!?』
声の出ない皆に代わって透が搾り出すように訊く。
『ん? 決まってんでしょ、紀伊也に』
片肘をついて顎を乗せながら横目で紀伊也に視線を送る。
表情一つ変えずタバコの煙を吐く紀伊也に、今度は視線が集中する。
『司がやりたいなら俺は構わないよ』
あっさり言い放った紀伊也に透はとうとう腰を抜かしてしまった。
司と紀伊也が絡んだ写真は珍しくはない。
司がソロで活動していても必ずバックには紀伊也がいるからだ。 雑誌の取材でもテレビ出演でも二人揃ってやる事は多かった。
しかし、二人共に肌を露出させる事はまずない。 それだけに、この突拍子もない司の提案には度肝を抜かされたのだ。
しかし、野田は司からこれは「生」へのテーマだと聞かされ、ただのヌード写真ではないという事に考えさせられていた。
裸の在りのままの姿をどう撮れば、これが「生」へのテーマに出来るのか。
司の考えを再三に渡って聞き続けていた。
「じゃあ、始めますか」
打ち合わせが終わり、司が声をかける。
スタッフも一瞬静まり返ったが、瞬時にして緊張が走る。
全員の目は真剣だ。
司と紀伊也はバスローブを羽織ったままバルコニーに出た。
白いバルコニーの向方にはマングローブの緑が鮮やかに広がり、その先には澄んだコバルトブルーの海が広がり、南国の太陽の光が降り注いでいる。
紀伊也の胸に背を預け、寄り掛かりながら片足を腰掛けた紀伊也の脚に絡ませる。
片手を後ろ手に紀伊也の首に廻しながら、顎を上げると口付けを交わした。
二人の長い口付けは、これから愛し合う為の序章に過ぎないのだと思わせるようだ。
誰もが息を呑んで見つめていた。
『男と女が愛し合うのは、生まれて来たからには避けては通れない定めなのさ』
紀伊也の唇を求めるように口付けをしている司の唇がそう言った。
野田はあらゆる角度からシャッターを切っていた。
手筈通り司のバスローブが肩から落ちて上半身が露わになった。
傷跡一つない白い肌が透けるように太陽の光に反射する。
紀伊也を感じて仰け反る司の吐息が漏れる。
「本当に演技かよ」
誰かが呟いた。
『女は男に愛されてこそ、その幸せを感じるんだ。それが生きる事の悦びの一つだ』
亮に言われた言葉をそっくりそのまま野田へ伝えた。
撮影場所がバルコニーからベッドへ移る時も二人は表情一つ変えない。
ただ手だけをしっかり握り合っていた。
女が男に全ての信頼を預け、最も甘えたい時だ。男はそれを全て受け止めていた。
それが今の司と紀伊也だった。
愛し合っていた。ただそれだけだ。
ベッドで重なり合う二人を覆っている純白のシルクのブランケットの下で互いの肌を感じていた。
握り合う指、絡み合う両脚、そして重ね合う唇。まるで映画のワンシーンを見ているようだ。
『あんたには言っておくよ。オレは本当に愛している人じゃないと全てを許せないから』
かたくななまでに他人を拒んでいた司が、目の前で自分の体の全てを許し、安心したようにその身を任せている。
それの全てを守るように、常に警戒し決して自分の心を見せなかった紀伊也がその司を包んでいた。
この二人・・・
ファインダー越しに絡み合う指先に、野田は二人の言葉では言い尽くせない互いを信頼する魂を感じた。
はぁ、はぁ・・・
二人の息が徐々に熱く荒くなっていく。
「出て行って・・」
不意に司が目を開けた。
「みんな、出て行ってくれ・・」
それまで息を呑んでいたスタッフは、撮影道具を手にしたまま無言で出て行った。
「お前も出ていけ」
再び野田に視線を向けた。しかしその目は既に紀伊也だけを求めていた。
「司さん、まだ撮らせて下さいっ。これからでしょうっ」
あの湖で死に向かって飛び込んだ司が生きて再び生きる悦びを見出す瞬間が見たかった。
きっとそれは、自分を全て許した相手と添い遂げる時なのだろう。
「司っ・・」
司の耳元で紀伊也の熱い息が求めている。
「司さんっ」
「勝手にしろっ!」
そう叫ぶと、紀伊也の背に廻していた腕に力を込めた。
再び唇を重ね、これ以上にない程強く吸い求めた。
「司・・・愛しているんだ本当に」
「紀伊也」
紀伊也の切ない瞳が訴えていた。
「お前が俺を置いて逝くなら俺がこの手でお前を殺して逝く。お前一人では逝かせない」
「紀伊也・・・」
熱い息が二人を合わせて行く。
いつかどこかで死ぬのであれば、いっそこのまま紀伊也の手にかかって愛する人の腕の中で死にたい。
そう、それはあのロミオがジュリエットの腕の中で死んだように。
「紀伊也・・・じゃあ、オレを殺して・・・一緒に逝こう」
ここまで自分を愛してくれる紀伊也の顔が潤んで見えない。
本当に、もうこのまま逝ってしまいたい。
ああっっ・・・
そして、永遠の眠りにつきたい。
はぁ、はぁ・・・
息を整える音だけが静かに響いていた。
思わず野田は座り込んでしまった。
命を懸けて愛し合うこの二人の生きる悦びなのだろうか。優しく唇を重ねる紀伊也の横顔がとても安らかだ。
そしてゆっくりと唇を離した時に見えた目を閉じた司は、本当に生きているのだろうか。そう思わせる程に静かだった。
「司」
頬を撫でながら呼んだ。が、目を開けようとしない。
「司?」
頬に当てた手の力を抜いたとたん、司の首ががっくりとそのまま紀伊也の手に預けられ、閉じられた瞼から一滴の涙が頬を伝った。
「司っ!?」
ハッとしたように体を起こした紀伊也は慌てて司の口元に手を当てたが、その手には何も感じない。
息がかからないのだ。
本当に逝ってしまったのだろうか。
「司っ!?」
今度は肩を揺すった。 そしてもう一度強く揺すった時、うっ・・・と呻いて眉間に皺を寄せて苦しそうに微かに目を開けた。
「ホッ・・・、生きてたか」
安心したように息をつくと、再び司の頬を優しく撫でた。
「チャーリーっ、司が発作を起こした。薬を取ってくれっ」
バンッとドアを勢いよく開けると、廊下で座り込んでいたスタッフの中からチャーリーを見つけて、慌てて指示を出す。
えっ!?
全員がハッとしたように立ち上がって、バスローブをまとった紀伊也に釘付けになった。
透とチャーリーが慌てて部屋へ入ると、ベッドの上で白いブランケットから肩を出した司が苦しそうに喘いでいた。
「司さんっ、大丈夫ですかっ!?」
駆け寄った透は思わず司のその肩に手を掛けて起こそうとしたが、瞬間蹴り飛ばされて床に転がってしまった。
「触るなっ、スケベっ」
ア然として司を見つめると、左胸を押さえながらこちらを睨んでいた。