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第十六章・Ⅰ・模索(三)


「いいか、始めるぞ」

言われるままカメラを構えた。

ファインダー越しに司と目が合う。


 カシャ


衝動的にシャッターを切っていた。 まるで操られるように指が動いている。

次の瞬間、司がボトルを口に当てると、そのままコルクを引っこ抜き、ぷっとコルクを吐き出した。

と同時にシャッターを何回か切っていた。

司はそのままボトルを口にくわえると、上を見上げながらワインを飲んで行く。

口から溢れ流れるが気にしない。

赤い液体が口から首筋へ胸元へと流れ、真っ白なブラウスがワイン色に染まっていく。

一度ボトルを口から離すと、その手の甲で口を拭い、何かに挑むような眼差しをファインダー越しの野田に向けた。


『何、掴もうとしていたんですか?』


野田に問いかけられた言葉が頭をぎる。


 あの時、何を掴みたかったのだろう


再びボトルを口に付けると、上を見上げながらワインを浴びせるように飲んだ。

再び口から溢れ、流れ落ちていく。

その光景を息を呑んでスタッフ全員が見つめていた。

物音一つしないスタジオ内は、野田の切るシャッターの音だけが異様なまでに鳴り響いていた。


『最期までお前を守る。地獄の底まで追いかけてでもお前を守ってやる』


不意に紀伊也の声が聴こえた。

 紀伊也のその言葉がどれ程心強く感じたか。 しかし、熱く込み上げて来る想いとは裏腹に、これ以上甘える訳には行かない、束縛する事など出来ないという拒絶する想いが強く出て来る。それと同時に司の中で渦が巻いた。

 ぎゅっと目を閉じると、それを流すかのように口からボトルを離して、顔の上に持っていく。

半分以上なくなっていた残りのワインが一気に司の顔に流れ落ちた。

頬から首へ肩へと勢いよく流れ落ちていくワインは、何を一緒に流しているのだろうか。

ふとそんな事を冷静に考えた野田だったが、自分の体はそれとは逆にコントロール出来ないほどに熱く、夢中でシャッターを切っていた。

色んな角度からワインを浴びる司を捕らえていた。

 最期の一滴まで浴びた後、顔を元に戻すと、左手で顔を一度だけ拭い、髪を左右に振った。

ワインの雫が当たりに飛び散る。


『そんなに俺を封印したいなら勝手にしろっ。でもその前に俺も先に死んでやるっ』

『死んでしまえば用はない』

吐き捨てるように言った紀伊也の言葉と、冷静に的を得た智成の言葉が耳の奥で響いた。

『何か求めてませんでしたか?』


 何を求めている?


『もし、自分自身を封印する事ができたら・・・』


出来もしない望み、どれだけの能力を使おうと、決して叶う事のない望み。


『もし、自分自身を封印する事ができるとしたら・・・』


 っ!!


 バリンっ・・・!!


瞬間、左手にはめていた先程買ったばかりの時計にボトルを叩き突けていた。

深緑色をしたボトルが割れて砕け散った。


 出来る筈がない・・・望みは絶たれたのだ

あとは「封印」さえしてしまえば、全てが終わる


くっと唇を噛み締めると、右手に握っていたボトルの先を左手でぎゅっと握り締めた。

深紅の液体が、握られていた拳の中から流れ出て、手首から腕へと静かに伝い落ちて行く。


「司さんっ!!」

ハッと我に返った透がその流れる赤い血に驚いて悲鳴を上げた。

透の声に気付くと、手の平から温かい自分の赤い血が流れているのを感じた。


 まだ温かい・・・、まだ、生きてる


ふっと苦笑すると左手を外し、右手に握っていたボトルを離した。

 ゴトっ という音がしてボトルが床に落ちると、司は顔を上げた。

ファインダー越しに目が合った野田は、それが終わりなのだという合図に気付いて顔を上げ、カメラを握り締めたまま一息吐くと、司をじっと見つめた。

何か淋しそうにフッと笑った司が、野田から視線を外して立ち上がって透を呼ぶ。 透は慌てて水の入ったペットボトルとウォッカのボトルを持って司の傍に駆け寄った。

それまで誰も何も一言の声も発せず、息を呑んで見守っていたスタッフも何かにかれたような撮影が終わった事に、ホッと一息つくと我に返った。 が、互いに何の会話をしていいか分からず、目を合わせて頷くだけでその視線は司に釘付けだ。

 今、目の前で何が行われていたのだろうか。

確かに時間にして5分と経過していない。 が、その数分間という短い時間がまるで何時間と経ったような長い時間に感じていた。

「もうっ 何やってんスかっ!? 無茶しないで下さいっ。しかも血、出てるしっ」

半分泣きそうになりながら透は司に水を差し出す。

受け取った水で血を洗い流すと、ウォッカを口に含み、ぶしゅっと霧状に左手の平に吹き付けて自分の袖を引きちぎるとそれを器用に巻きつけた。

「司さん、・・・司さんが血を流すとこ、もう見たくないっスよ・・・」

透は司の手の平を見つめながら言うと、キュッと唇を噛み締めた。

「悪かったな・・・、透、ボンに今から行くと伝えろ」

処置を終えると表情なく透を見つめ、再びウォッカをボトルごと口に付けると、一口飲んだ。

そして、あっ気に取られているチャーリーに向き直ると、

「今からちゃんと手当てして来るから、後の事は頼んだ」

そう言いながら悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。

一つやりたい事をやったという満足気な笑みにチャーリーも苦笑すると、大きく頷いた。


 司と透が去った後、スタッフは茫然とセットを見つめていた。

真っ白な布はワイン色に染まり、所々に司の血が付いている。 床には叩きつけられて、文字盤のガラスが割られて針が止まったままの高級腕時計が落ち、周りには砕けたワインボトルの破片が飛び散り、それらがワインと司の血に埋もれていた。

5分と満たない間に、得たいの知れない時を感じた。 それはまるで、重苦しい異次元の空間に落とされていく感覚だったのかもしれない。

「野田さん、司の事、ちゃんと撮れました?」

不意にチャーリーに訊かれ、ギクッとして振り向いたが、

「ええ、何とか」

とりあえずそう応えていた。

ちゃんと撮ったかどうかはよく分からない。

頭の中でこう撮ろうと思っていた訳ではない。衝動的にシャッターを切っていたと言ってもいい。 とにかくただ撮っていた。

ひと仕事終えたという疲労感がどっと来たのだろうか、ホッと一息ついた。

「じゃ、撮れてた訳だ。出来上がるの楽しみだなぁ」

チャーリーは満足気に微笑むと、司が座っていたソファに目をやった。

「知亜理さん、あんな事してあの人大丈夫なんですか? また叩かれますよ」

スタッフの一人が心配して声をかけて来た。

「平気平気、別に書かれたっていいよ。気にしないから。それに、もう慣れたよ」

チャーリーも笑いながら応える。

「でもあの人って、ホント無謀むぼうですよね。こっちの迷惑心配(かえり)みずって感じで。昔からそうでしたけど、あの勝手さは変わりませんね。それにしても知亜理さん、よくマネージャー続いてますね。よっぽど仲良いんですか?」

黙って聞いていたチャーリーは思わずプッと吹き出してしまった。

 確かに他人から言われるまでもなく、司の性格の悪さは目の当たりにしている。 何度泣かされ辞めようと思った事か。

ジュリエットを何の相談もなく解散され、行方をくらまされた時も相当失望し、かなりのショックを受けた。 が、それでも司は必ず戻って来ると信じて、他の事務所からの引き抜きの話もあったが、断り待ち続けた。

それはチャーリーに限らず、透や宮内、他のスタッフにしても言えた事だった。

何の信頼関係だったのだろう。司に失望して辞めていくスタッフもいたが、チャーリー達は待った。

「デビューしたての頃かなぁ、司に助けられた事があってね」

思い出すと目を細めた。

 写真撮影の為、冬の日本海の荒れ狂う岸壁に立った時、思わず目がくらんで冷たい海に落ちてしまった。

一瞬で凍ってしまうような冷たさに、息が止まりそうになって必死にもがいていた時、誰かに抱えられて顔を出す事が出来た。ふと見れば司だった。その後、どうやって岸壁まで辿り着いたのかよく覚えていない。そして、すぐに他のメンバーとスタッフによって助けられ病院に運ばれた。

気が付いてから知った事だったが、寒さが苦手で特異体質な挙句、持病の発作で一週間の入院となってしまった司は、それをも承知で海へ飛び込んだのだ。

もしかしたら死んでしまうかもしれない、そんな状況だった。

『チャーリーが助かって良かったよ。お前も仲間だからな』

そう病院のベッドで言われた時は思わず泣いてしまった。

 それから無謀で勝手な司始め、メンバーに手を焼かされっ放しだったが、何故かいつもそれを許してしまっていた自分が可笑しかった。

「ふ~ん、あの人がね・・・。でもそれって、よっぽどの信頼関係で結ばれているんですね」

「そうかもね」

チャーリーは一人満足そうに頷くと、別のスタッフに声をかけに行った。


 ******


「なぁ、司、余り無茶な事はしないでくれ。お前の血は余り見たくない」

治療を終え、看護婦に包帯を巻かれている司に雅は言うと、溜息をついた。

透から事のいきさつを聞かされ、それが司のやりたい事の内の一つだと思うと切なくなってしまった。

これ以上自分を傷つけてどうしようというのだ。

諦めにも似た視線を司に投げると、一瞬目が合ったが、すぐにそらせてしまった。

看護婦が出て行き、二人きりになった時、それまでずっと黙っていた司は自分の左手をじっと見つめた。

「なぁ、ボン、患者を取る時の気持ちって、どんななの?」

呟くようにボソっと言うと、雅を見上げた。

「え?・・・」

司の思いがけない問いかけに雅は答える事が出来ず、ただ司を見つめていた。

「オレもその内の一人になるんだろ?」

「・・・・」

「オレの主治医なんかしなきゃ良かったのにな。兄妹そろって・・・」


 バシっ


瞬間、雅は司の頬を打っていた。

「司っ、それ以上言うなっ。俺だって・・・お前が死ぬのは見たくないっ。亮以上にお前が死んで行くのは身が引き裂かれる思いだっ・・」

「ごめん・・・」

哀しい程に切ない怒りを露わにした雅に司は俯いてしまった。

「残された者の気持ちって・・・、考えた事なかったな・・・」

「・・・、紀伊也の事か?」

「・・・・」

「残された者の気持ちは、お前が一番よく分かってんじゃないのか? 亮を亡くした時、お前はどんなだった? 俺たちから見てあの時のお前は、この世の終わりって顔してたけど、立ち直れたろ?」

思わず顔を上げ、雅を見つめた。

「生きる事は難しかったか? とりあえずお前はここまで来れたんだ。つらい事も沢山あっただろうが、楽しい事もあったろ。楽しいだけが生きる事じゃないくらいお前には分かっている筈だ。紀伊也だってそれ位分かっている」

確かに亮がいなくなった時、これ以上生きてはいけないと思っていた。

 しかし現に、こうして生きている事が出来ている。何故生きていられるのか疑問に思う時もあった。秀也に会ったからだろうか。でもそれだけではない気がする。何かの使命の為だったのだろうか。よく分からない。

「指令を実行すれば紀伊也は生きられるんだろう? でも、あいつはどう生きるんだろう。お前の為だけに生きて来たあいつは、どう生き残るんだろうな? ま、それは紀伊也が決める事か」

そう言うと、窓の外に目をやった。

 和矢と違い、本当に司を守る事だけしか考えていなかった紀伊也に、雅はどうしてそこまで司に執着するのかよく解らないでいた。

いつも冷静でいる紀伊也に、人の心があるのかどうかも疑問に思う事すらあった。

そんな紀伊也が能力を封印され、普通の人間になったとしたら、果たして生きて行く事ができるのだろうか。

司が指令を受けた時、雅はそう疑問に思った。

「封印されて、紀伊也は生きていけるんだろうか?」

窓に映る司に向かって、雅はそう呟いていた。


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