第十六章・Ⅰ・模索(一の2)
その新曲は瞬く間にヒットし、巷でよく聴かれるようになった。レコード店に貼られた司のポスターには全てのファンが足を止め、それを眺めてはうっとりとしたように溜息をついていた。
真っ白な上下の衣装に身を包んだ司が、少し俯き加減に優しく微笑んでいた。
今までには見たことがない。
誰かを愛し、誰かに愛された安らいだ表情だった。儚げに遠くに感じるようだ。
撮影したカメラマンの柏崎はもちろんだが、他のカメラマンも司を撮りたいという衝動に駆られ、毎日のように撮影と取材の依頼があり、スタッフも断るのに苦労していた。中には有名カメラマンもいたからだ。
でも仕方がない。当の本人に全くその気がないのだ。それに、曲作りにも明け暮れていた。既にアルバムの作成の準備にも入っていたのだ。
が、とある夕方、とうとう痺れを切らした透が司に言った。
「ねぇ、司さん、一個くらい取材受けて下さいよ。全部断ってたらもうオファーなんて来ませんよ。それにギャラだって・・・」
「うるせェな。面倒臭せェからヤなんだよ。それに一々受けてたら身が持たねぇだろ。オレだって忙しいんだ」
「忙しいって言ったって、ここに来てタバコ吸って、マンガ読んでるだけじゃないっスか。よく言いますよっ」
ぷぅっと脹れると、ソファの前のテーブルに積み重ねられたマンガを叩いた。
「気晴らしなんだからいいだろ。それに、読むのも結構大変なんだぜ」
そう言ってうつ伏せていた体を仰向けにし、マンガを顔の上に掲げた。
「 ったく、司さんはそうやってマンガ読んでても稼げますけど、俺らスタッフはそれに付き合って給料あがったりですよ。司さんが一つでもCMとかやってくれたら、それだけでかなりの儲けになるんですけどねっ。あーあ、俺ももっとイイ車乗りたいな」
横目で睨みつけると、一冊を司目掛けて投げ付けた。
「 っテェなっ。お前な、オレを商品みたいに言うなら、傷つけんなよっ」
投げ付けられたマンガを透目掛けて投げ返す。
二人はしばらく子供のように、マンガを投げ付けあっていたが、ふと事務所内が静まり返ったのに気付き、手を止めて見渡すと、皆の視線は入口に釘付けになっている。
不思議に思って視線を辿って行くと、透はあっと言ってソファから立ち上がったが、司はそのままうんざりしたように寝そべったまま見ていた。
「光月ちゃん、久しぶり。元気そうね」
入口から少し化粧気づいた男がひょこひょこしながら近づいて来ると、司は溜息をついてうんざりと軽く手を上げた。
「ここ最近、急に色っぽいって評判よ。全然撮らせてくれないから自分の目で確かめに来ちゃった。ん~、やっぱり噂は本当ね。今度脱がせて撮りたいわ~。また来るわね」
妙に納得したように言うと、男は司にウィンクを送って手を振りながら事務所を出て行った。
「ぜーったいヤダね。冗談じゃねぇよ。あいつに撮られるくらいなら透に撮ってもらった方がよっぽどマシだぜ」
舌を出しながら目の前の空気を払うと、起き上がってタバコに火をつけた。
「司さん、あの人に撮ってもらったら最高っスよね。株もあがりますし、売れる事間違いナシっ」
幾分興奮気味に透が司を見る。
今、彼に撮影を依頼する芸能人が多く、なかなか順番が回ってこない程人気のカメラマンだ。
その彼が直々に司に会いに来て、撮らせてくれと願い出て来たのだ。事務所にとってはまたとない機会だ。誰もが興奮していた。
「イヤだって言ってんだろ。オレはあいつのおもちゃじゃねェ。それに気色悪ィんだよ。腕はイイかもしれないが、オレはイヤだね」
「司、またとないチャンスだろ。それに、ファンへのサービスにもなる」
近づいて来たチャーリーも透の後押しをするように付け加えた。
「何がチャンスだよ、馬鹿馬鹿しいっ。 オレはモデルじゃねェんだ・・・。 ん? ・・・ファンへのサービス?」
灰皿に灰を落しながらチャーリーを見上げた。
「サービスか、悪くねェな」
「えっ!? じゃぁ、受けるの?!」
チャーリーは思わず嬉しそうな声を上げた。透も笑顔を見せる。
ん?
司はタバコを吸ったまま視線だけをチャーリーに向け、上に向かって真っ直ぐに煙を吐くと、ニヤッと口の端を上げた。
「あれ、やるかな」
「あれ? あれって、・・・まさか・・・」
「うん、あれ。 ああっ すっげ久しぶりだな。何だかワクワクして来たよ。宮っ、宮っ」
まるでこれから悪戯をする子供のような笑顔を浮かべると、宮内を呼ぶ。 慌てて走って来た宮内は、嬉しそうな司と少々困惑気味のチャーリーを交互に見比べた。
「何ですか?」
「宮、あれ、やろうぜ」
「あれ?」
宮内は困惑して、チャーリーに助けを求めるような視線を送った。 透に至っては、全く訳が分からないという顔だ。
「司が取材受けるってさ。 ・・・ で、例の「あれ」だって」
チャーリーは観念したように呆れて溜息をついた。 すると宮内は思い出したようにポンと手の平を打つと、とたんに司と同じように嬉しそうな顔をした。
「あれ!? やるんですかっ!?」
「うん、やろ。今頃みんな帰り支度でもしてる頃だろ。しかも金曜日だし、デートの約束もあったりして、な」
司は意地悪そうに笑った。
「で、いくつやるんですか?」
「そうだな、今回は紀伊也もいねぇ事だから、先着5名様としますか」
「了解しました。では早速」
「よろしくねっ」
司と宮内は笑いながら顔を合わせると、宮内は足取り軽くデスクへ戻る。
「いいの?」
チャーリーは半分呆れて、半分不安そうに訊く。
「いいよ別に。だって面白そうじゃん」
そう言ってタバコの火を消すと、宮内の方へと歩いて行った。
「何やるんですか?」
一人訳の分かっていない透が訊くと、チャーリーは溜息を付いて説明した。
「全社FAXして全てのコンセプト考えさせてFAXさせるんだ。それを先着順に受けるってヤツ。ジュリエットん時もやったんだよ、あれ。 皆は面白がってたけど出版社にしてみればいい迷惑だろ。退社間際にFAX流れて来て、急いで企画練ったはいいけど、先着順じゃあね、やってらんないでしょ」
「そんな・・・、司さんのわがままに付き合わなきゃいいのに」
「そうも言ってらんないでしょ。あの頃はとにかく司の載った雑誌って、ことごとく売れてたんだから。司を取材する側としては雑誌の命運懸かってたからね。それに今なんて、ことごとく取材断ってんだから尚更じゃないの」
「司さんって・・・、晃一さんの言う通り、やっぱ性格よろしくないんスね」
「よろしくないどころか、サイアクだよ」
チャーリーは自分で言いながら苦笑していた。
デビュー当時から振り回されては落ち込み、何度辞めようと思った事か。しかし、どうしても司から離れる事が出来ずにここまで来てしまった自分に、不思議な程満足している。
30分程、宮内と司は談笑しながらパソコンに向かっていた。
「よし、これでいこう。 じゃ、サインでも入れちゃおっかな」
ペンを執り、サササっとサインを入れて宮内に渡す。
「じゃ、流しまーす」
宮内もおどけてFAXの送信ボタンを押すと、同時に二人は吹き出してしまった。
******
その時、篠崎はFAXの前にいた。
編集部長から新企画の女性誌の発売の件で、取材の依頼先にFAXを流そうとしたところだった。
もうすぐ8時だ。今日は週末で、仕事も立て込んでいないことからアルバイトの子達は既に退社しており、他の部署の社員もほとんど帰宅してしまっている。
自分のデスクの周りもアシスタントが一人と、編集長が残っているだけだった。
受信のランプが着き、FAXが一枚流れて来た。
ん?
「各編集長殿・・・」
読み進めていく内に、篠崎の顔色が変わる。
「編集長っ!!」
自分がFAXしなければいけない事も忘れ、それを手に慌ててデスクへ戻る。
「これっ、見て下さいっ」
興奮する自分が抑えられない。いつになく心臓がドキドキしている。
自分が新企画の雑誌の立ち上げメンバーに選ばれた時も興奮したが、今はそれ以上だった。
編集長の今井も読み進めていく内に同じように顔色が変わる。
「全部取材拒否していたって聞いてたけど、本当かしら」
「でも、ホラここに本人のサインが。間違いないですよ。私ファンですからこのサインが司君のものかどうか位わかりますっ」
「光月司の特集記事、行けるわね。 先着5名様って・・よく分からないけど、とにかくそういう事ならすぐやりましょう。他のは後回しでもいいわ、今すぐよっ」
「はいっ」
目を輝かせると一旦デスクに座ったが、思い出したように立ち上がると、FAXまで戻って行き、先程流しかけたFAXの送信ボタンを押した。
翌朝、思い出したように自宅を出てスタジオに入った司は、昨日のFAXの事などすっかり忘れ、昨夜思いついた歌詞に曲を付けていた。
何となく一息つくと、コーヒーが飲みたくなって事務所へ顔を出した。
「あ、おはようございます」
「ああ、おはよ。悪い、コーヒー淹れて」
誰に頼んだか確認もせずあくびをしながらソファに座ると、タバコに火をつけた。
紀伊也がニューヨークに発ってから1週間が過ぎた。
シングルの発売も順調で一段落したので、紀伊也もそれまで日本でしていたが、ニューヨークへ戻る事にしたのだ。
司としては、いつも傍に居て欲しかったが、それも仕方がない。紀伊也を束縛する事などできなかった。
ただ気懸かりなのは、起きた時に紀伊也の淹れてくれたコーヒーが飲めない事だった。
「はい、どうぞ」
「ああ、サンキュ」
気のない返事をして受け取ったが、ふと視線を感じて見上げると、宮内が今にも笑い出しそうな顔で見ている。
「何?」
「何? って、確認しに来たんですか?」
「何を?」
「何をって、昨日のFAXの事ですよ」
「昨日? ・・・、ああ、あれ。で、どうなの?」
「来ましたよ、早速。 今朝になって慌てて電話して来たところもありましたけどね、もう遅いって言うの」
「え? もう来たの? 全部?」
思わずカップに近づけた顔を上げた。
「ええ、みーんな徹夜みたいですね。FAXの時間がほとんどAMですから 」
「ふ~ん、ご苦労だな。で、決まったの?」
「それが・・・」
宮内は半分呆れたように息をつくと、司の向かい側に座り、受け取ったFAXをテーブルに置いた。
「何だよこれ。話になんないじゃん。そんなヤツ等の取材なんか受けたかねェよ、ったく。 ずいぶんナメられたもんだな」
宮内の説明に些か腹を立てて呆れ返るとタバコを灰皿に強く押し付けた。
大手出版社の有名雑誌からも数多くの依頼があったが、どれもこれも詳しいコンセプトは後程お知らせします、とのものばかりだった。恐らく今抱えているもので手一杯なのだろう。
「呆れた連中だな。で、全部そうなの?」
「いえ、一つまともなところがありましたけど・・・」
「けど、何だ?」
宮内の不服そうな視線に少し苛立った。
「それが、新刊なんですよ。光条社の女性誌なんですけど・・・」
「光条社? 女性誌? 聞いたことねぇな」
「でしょ? 司さんには縁のない本出してますからね」
「は?」
「結婚した女性にはウケてますよ。 子育てものとか料理とか、いわゆる婦人ものです」
「・・・・」
思わず絶句すると、カップを落しそうになった。
自分の写真がそれらに混じって載るのかと思うと、思わずゾッとして身震いした。
宮内も思わずゾッとする。
「ケリますか?他には音楽系のも沢山来てますから、やっぱりそっちのにした方がいいですよ」
「 ・・・・。そうする? ちょっとなあ・・・ヤバイよな、それは ・・・」
一瞬考えたが、自分で言った手前、即座に否定するには躊躇ってしまう。
「新刊って言った? って事は第一号か。 どんなコンセプトなの? その雑誌」
気を取り直してコーヒーを飲む。
「えーと、30代の未婚の女性をターゲットに自分が生きる事の価値を見出す事をテーマに云々ですかね」
宮内は送られて来たFAXの内容に目を通しながら読み上げた。
「ふ~ん、で、雑誌の名前は?」
「VIVERE」
「ラテン語で、生きる、か」
呟いて思わず微笑んだ。
力強く生きてみろ、そう言われているような気がした。
「ちょっと電話してよ、そこ」
「え?」
「ちょっと聞いてみたい」
「いいですけど、司さんが電話に出るんですか?」
「まあいいから、早く」
宮内を急かしながら立ち上がると、カップを持ったままデスクへと行く。
篠崎のデスクの電話が鳴った。
「はい、篠崎です」
「今井編集長に電話。いないみたいだから出てくれる?」
「はい」
内線からだった。 半ば今井のデスクを睨みながら出る。
昨夜は光月司の取材が取れるかどうか、一かバチかで深夜まで企画を練り、FAXを流したところで興奮冷めやらぬまま夜を明かしてしまった。
自宅に戻ったのは午前3時近かった。そしてまた9時に出社である。
しかし、オフィスのあるビルまで自宅から1時間は掛かる為、8時には家を出なければならない。睡眠時間は2時間位だった。
一時間遅れるという今井の電話はほとんど寝起きの声だった。
オフィスまで30分の距離にあるというのに、まったく何という上司だ。
思わずムッとしてしまった。
「はい、お電話代わりました。Vivere担当の篠崎です」
「光月司の事務所の者ですが、編集長の今井さんお願いします」
「申し訳ございません。あいにく席を外しておりますが・・・」
え? 言いながら息を呑んだ。 何故か心臓がドキドキしている。
「いない、って言ってますよ」
相手がまだ何か話しているようだったが、宮内は受話器を外すと司に向いた。
「今の誰?」
「担当者」
「そ」言いながら司は宮内から受話器を奪い取った。
「君でいいよ。その雑誌の担当でしょ?」
「はい、そうです」
突然ぶっきらぼうに質問され、些か戸惑った。
まったくこれだから業界の人間は・・・っ。
半分ムカッとした。 そうでなくても今井の事があるのだ。
「その雑誌、新刊なんでしょ? その趣旨を聞きたいんだ」
「趣旨?」
趣旨と言われ、一瞬息を呑む。 いきなり何を訊いて来るのかと思ったが、自分自身この雑誌の担当になった時、自分のメインテーマを掲げているような気がして嬉しかったし、打ち込んでいた。
「そう、君の考えでいいんだけど」
「私の考えですか?」
「うん」
少し戸惑ったが応えていた。
「今、この現代社会において30代未婚の女性って増えていますよね。それに結婚して働き続ける女性も。彼女達をターゲットに今自分自身に最も大切なモノは何か、仕事をしていく上で見出す価値観など、自分に対する生きる悦びをテーマに書いていこうと思っているんです。 実際私自身30代で未婚ですけど、今しか出来ない事ってあると思うんです。結婚して家庭を持つ事も大切かもしれませんが、独りで出来る時間も限られていますし、今やれる事って、独りの方が思い切って出来ると思っているんです。あ、これはあくまで私個人の考えですけど。 だからその中で、ああ生きていて良かった、とか、今生きていられる事の悦びみたいなものを表現できたらと。ま、いわゆるキャリアウーマンの応援本ですかね」
「悪く言えば、行かず後家の後押しか・・・はは・・・」
イカズゴケっ!?
思わずムッとして怒鳴りかけた。
何て失礼なっ・・・!?
「いいよ、取材O.K だよ。オレもその行かず後家の仲間って訳? はは・・・おもしれぇな」
「え? 取材O.Kって・・・」
「昨夜、FAXくれたろ? お宅んとこが先着1番目なの。だから最優先させるよ。 編集長にも言っておいて。ところで君、名前は?」
「あ、篠崎、篠崎かほりです」
「そ、よろしくね。 とりあえずかほりちゃんがオレの担当してくれるんでしょ? ああそうね、レコーディングもあるから取材は早い方がいいかなぁ。 今オレの担当と代わるから後の事はよろしく」
そう言うと、受話器を宮内に返してソファの方へと戻って行く。
生きる悦びか、旨い事を言う
オレだけじゃないんだな、みんな必死で生きてる
大切なものか・・・
オレは恵まれている方かもしれない
大切な人を既に見つけたんだ
紀伊也が居てくれる・・・、それだけで十分だ
あとはオレ自身やりたい事、やればいい
一つ何かに救われたような気がして微笑むと、振り向いて宮内に握られた受話器を見つめた。