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第十五章・要求(四の2)

 

 ******


 帰りの車の中で、亮太郎は、隣で頭を窓につけてシートにもたれた司を時々見つめていた。

その視線に気が付いたのだろうか、こちらを見もしなかったが、ふと呟いた。

「親父・・・、オレ、もうすぐ死ぬんだよな・・・」

「・・・・」

「仕方のない事だと分かっちゃいるけど・・・、死にたかねぇよ・・・」

その言葉に胸が締め付けられ、思わず司の頭を抱き寄せた。



「 ・・・様? 旦那様?」

「親父っ、聞いてんのかよっ」

突然、隣に座る司に怒られたように言われ、ハッと我に返り、手にしていたグラスに口を付けた。

「ったく、何、ボケーっとしてんだよ。せっかくばあやが作ってくれたのに、何も手ぇつけてねぇじゃねぇかよ。早く食わねぇと冷めちまうぞ」

フォークを突きつけられ、思わず苦笑した。つられて司も苦笑する。

亮太郎と目が合い、笑みがこぼれたのは初めてかもしれない。苦笑というよりは照れ笑いに近かった。

亮太郎は観念したようにフォークとナイフを手に取ると、左手を見つめた。

今でも司の頬に伝わった涙の跡が残っている。

「ねぇ、でも、ばあやが全部作るなんて珍しいね。足の方はいいの?」

同じ食卓の少し離れた席で、ナイフとフォークの替わりに箸を使って食べていた杉乃に視線を投げながら、ハンバーグを頬張った。

「ご心配なさらなくともこの通りピンピンしておりますよ。それに、お嬢様の為でしたらいつでも作らせていただきます」

「そう、オレとしちゃ、ばあやが作ってくれるならありがたいし、ホントに毎日作ってくれるならこの家に帰って来てもいいよ」

本気とも冗談とも取れる司の発言は、杉乃を喜ばせた。 が、母や弘美達は浮かない顔をして、二人の弾んだ会話を見守るように見つめていた。


 ******


 トントン


ドアをノックすると、「どうぞ」と優しく温かい返事が返って来る。

思わず微笑んでドアを開けると、一人掛けのソファにその老体を休ませるかのようにもたれ、何かを編んでいたのだろう、毛糸と針を膝の上に置いてこちらを見ていた。

「あ、そのままでいいよ。続けて。勝手に入って来たのはオレの方だから」

後ろ手にドアを閉めると、一息ついて思い切ったように杉乃に近づいた。

「何編んでんの? ・・・マント? ・・・ずいぶん小さいなぁ」

淡い黄色をした小さなマントを呆れたように見ていたが、杉乃が突然クスクス笑い出したのを見ると、しばらく考えていたが、「ああ」と思い出したように納得した。

「翔兄さんの!?」

「はい。ようやく翔坊ちゃんにもお作りする事ができて、ばあやは嬉しくて仕方がないのですよ」

本当に心底嬉しそうな表情で言う杉乃に、翔をうらやましく思った。

自分にはもう、杉乃を喜ばす事が出来ないのだ。

 子供のいない杉乃にとって、光月家の子供達は我が子同然だった。特に司は生まれてすぐに母親を亡くした為、杉乃が育てたと言っても過言ではない。

司も杉乃には、母親の面影を追っていたのかもしれない。どんな時でも司をかばい、優しく温かく包み込んでくれる杉乃が愛しかった。

 いつものように膝まづき、杉乃の膝の上に腕を乗せて自分の頭を乗せると、その温かい手が司の頭を優しく撫でた。

全てのしがらみを忘れ、ホッと安心する。

この心地好さは、紀伊也でさえも導き出す事は出来ない。

目を閉じるとこのまま眠ってしまいそうだった。 永遠に・・・。

「お嬢様、このまま眠っておしまいにならないで下さいましね。お風邪をひきますよ」

杉乃の声に引き戻された。

「ああ、ごめん。何だか気持ち良くて、このままってしまいそうだったよ。ばあやの膝はホントにあったかいな」

顔も上げず、目だけを開けていた。

その視線は、洋服ダンスの上に飾られた写真に向けられている。

杉乃を挟んで、制服を着た司と亮が笑っていた。

「亮兄ちゃんの所へ行けるだろうか」

ふと呟いた。

自分がして来た今までの事を考えれば、到底亮の所へは行けそうもない。 

自分が行く所は、間違いなく地獄と呼ばれる所で、安らかに眠る事など出来ないだろう。

そして、タランチュラにきばけられた多くの能力者の魂の念に苦しめられるのだろう。

もし、死後の世界があるのだとしたら、自分は間違いなく・・・


「怖い」

「お嬢様、ばあやが先に行って亮坊ちゃんにお願いして来ますよ」

司の呟きを聞いてかいないか、杉乃もまた写真を見つめながら言っていた。

「ばあや?」

思わず顔を上げて杉乃を見ると、遠い目をしていた。しかし、司には不思議と杉乃が遠くに行ってしまうようには感じなかった。

「ばあやも長く生きすぎました。光月家に来てから45年。本当に長い間お世話になりました。旦那様は厳しい方ですが、とても良くしていただきました。杉乃にはもったいない程に・・・。 真一坊ちゃん、翔坊ちゃん、亮坊ちゃん、それに、司お嬢様の子育てのお手伝いをさせていただきました事には、ばあやは何よりも嬉しゅうございますよ。皆様本当にご立派になられて・・・。杉乃の自慢にございます。もうそろそろお迎えに来て下さってもよろしいのでしょうが」

「迎え? ・・・死ぬ、の?」

杉乃の話を黙って聞いていた司は、口にしていた。

「怖くない?」

司に子供のような眼差しを見たのだろう。思わず杉乃は微笑んだ。

「怖い事なんてありませんよ。人は生まれて来たらいつかは必ず死ぬのですから。それにばあやはもう十分過ぎる程生きましたから、もう満足でございます。いつお迎えが来て下さってもよろしゅうございます。でも、お嬢様とお別れするのは少し寂しい気もいたしますが」

「そうだよ、死んじゃったらもう会えないんだよっ。こうやって話をする事も、ばあやの膝枕だって、何もできなくなっちゃうんだよっ、それでもいいのっ!?」

思わず叫んでいた。


 死んでしまえば、何もできなくなる。 

そして会えなくなる。

もう一緒に時を過ごす事もできなくなる。


「会えますとも」


 え?


強く握り締めていた杉乃の膝掛から手を離した。

「お嬢様が生きている間に、ばあやの事を思い出して下さればいつでも会えますとも。それに、ばあやは、亮坊ちゃんにもいつでもお会いしていましたよ。それから亡き奥様にもお会いしておりました。 お嬢様は亮坊ちゃんにお会いしませんでしたか? 亮坊ちゃんは、お嬢様にお会いしたと言っておりましたよ」

「兄ちゃんが?」

「ええ、お嬢様が命日には必ず思い出してくださるので、一日中お嬢様とお話していました、と」

「思い出すから? 想い出の中で会えるって事?」

「そうです。だから亮坊ちゃんは、お嬢様の心の中で生きておられるんですよ。それに、このばあやの心の中にも」

「でも、自分が死んでしまったらもう会えないっ。二度と会えなくなるっ」

「お嬢様は何をそんなに怖がっておいでなのです?」

「え?」

「お嬢様はまだ死にませんよ。それなのに自分が死んでしまうようなどと」

可笑おかしな事を言うものだ、と笑って司を見ている。


 自分だってもうすぐ死んでしまうんだっ。 もう何もできなくなるっ!


そう叫んでしまいたかった。

「 ・・・・、いつ死ぬか分からないだろ。兄ちゃんのように突然死んでしまうかもしれない。そしたら・・・、何もできなくなる・・・っ。兄ちゃんだってまだやりたい事沢山あったかもしれないのに・・・ っ」

「そうでしょうか? 亮坊ちゃんは亮坊ちゃんなりに満足してらしたと思いますよ」

「何で? 何でそんな事分かるんだよっ。死んだ人間にっ」

「そう言ってらっしゃいましたから」

「え? ・・・、言ってた?」

「ええ。生前、お亡くなりになる前によく言ってらっしゃいましたよ。何をするにもいつも一生懸命でいらっしゃいましたから、何故そんなにいつも一生懸命なのですか? とお聞きした事があったんです。そうしたら、やれる時にやっておかないと、後で後悔なさる、と。だから自分で納得のいくように全力でやるんだと、そうおっしゃっていました。 亮坊ちゃんらしい言い方でしたわね。そう言えば司お嬢様もその辺りの所は亮坊ちゃんによく似ておいでです。あの子達もそう言っていましたものね」

「あの子達?」

司の手に自分の手を重ねてふっと笑った杉乃を見上げた。

「ええ、お嬢様のファンの方達ですよ。今の自分を大切に、今しかできない事をやる、と言って、本当に全力でなさるお嬢様が大好きなのだと、あの子達は言っておられましたよ。それを聞いた時、お嬢様の中に亮坊ちゃんが生きておられるのだと思いました」

「兄ちゃんが? 生きてる?」

「ええ、亮坊ちゃんと同じ。だからお嬢様もまだまだ今しかできない事沢山なさって下さい。まだまだ神様が与えて下さった時間は十分ありますよ」

「時間? 時間なんて・・・、オレには時間なんてもうないよっ」

「いいえ、まだありますよ」

思わず口に出してしまった言葉だったが、杉乃はまるでそれを知っていたかのように、穏やかにさとすように言う。

「そんな事分からないだろっ!? 明日かもしれないのに・・・っ、何でそんな事分かるんだよっ!?」

抑え切れない不安を搾り出すように叫んだ。

「ばあやには分かります。心配なさらなくともお嬢様にはまだ時間はありますよ」

穏やかにいつくしむような杉乃の声が司を包み込む。

「・・・、まだできるかな・・・。まだやれるかな・・・」

「ええ、できますとも」

「・・・、まだ居られるかな・・・。まだ一緒に居られるかな・・・」

再び杉乃の膝に頭をうつ伏せた。


 もう少し、紀伊也と一緒に居たい・・・


そう思ったが、不意に昼間ぶたれた頬に痛みが走った。同時にズキっと胸が痛んだ。


 これからの紀伊也の人生

 

それが重くし掛かる。

どうしようもない切なさに、胸が押し潰されそうになった。

「紀伊也さんの事がお好きなのですね」

「・・・・」

「あの方は昔からお嬢様の事を大切になさっていましたものね。いつも気遣って下さって・・・」

「ばあやには分かるんだね」

「ええ、あの方の目を見ていれば分かりますとも。 純粋で、一途な綺麗な目をしてずっとお嬢様の事だけを見ていらっしゃいました」

「ばあや、・・・気付くのが遅かったんだ。オレ馬鹿だった。こんなにも近くに居て、紀伊也が傍に居てくれた事が余りにも当り前すぎたんだ。それなのに、愛してるって、気付いた時にはもう遅かった。オレ達にはもう時間がないなんて・・・。ばあや、苦しいよ・・・、紀伊也と別れたくない・・・っ・・・、もうどうしようもないなんて・・・っ」

「だったら、お行きなさいまし。ご自分で時間がないとお思いでしたら、今すぐにでもお行きなさい。紀伊也さんにお会いすれば、まだ時間がある事が分かりますよ」

司の濡れた頬を撫でながら、優しく励ますように言った。

「でも・・・」

昼間の一条家でのやり取りを思い出すと躊躇してしまう。

 自分がこのまま死ぬ事は確実なのに、未来ある紀伊也までも道連れにはできない。

紀伊也の人生を考えたら、このまま封印して別れた方がいい。

それが今後の彼の為だ。

「さあ、お行きなさい。今行かなければ後悔しますよ。今の自分を大切にするのでしたら、今の自分の心に素直に従って下さい。それがお嬢様の為です」

司の両肩をポンと叩いた。

 顔を上げると、杉乃が見守るように微笑んでいる。 一瞬亮が隣で同じように微笑んでいるように思えた。

「ばあや・・・」

「さあ、お行きなさいまし」

もう一度、今度は力強く肩を叩いた。

「うん、行って来る」

涙をぬぐうと、首を縦に振って立ち上がった。

何か言おうとしたが、言葉が出て来ず、黙ってドアのノブに手を掛け、一度振り返った。

「ばあや」

「はい」

「・・・、おやすみ」

「おやすみなさいまし」

温かく優しい声が司の耳の奥に響いた。

 杉乃は、閉じられた扉を見つめながら、ホッと一息つくと、タンスの上の写真を一旦見つめ、再びマントを編み始めた。





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