第十五章・要求(一)
余りにもごく当たり前の『要求』に、突きつけられた『現実』。最愛の杉乃と語った事とは・・
第十五章 要求 (一)
昨夜、何故司があんな事を言ったのか解らない。
『もし、生まれ変わったら・・・』
何故そんな事を言ったのだろう。
コーヒーを淹れながら紀伊也は考えずにはいられなかった。
昨夜はあれから一度も起きずに、今も眠ったままだ。
自分の腕の中で、火が消えるように力が抜けてしまった司に不安になり、一睡も出来なかった。
ベッドへ運び、自分も隣で横になったが、呼びかけても眉一つ動かさず、このまま呼吸が止まってしまうのではないかという程、静かな寝息を立てて眠っていた。
夜明けと共に起きようかと思ったが、いつ司が目を覚ますとも限らない。もう少し傍に居よう、そう思い、8時過ぎまでいたが、それでも目を覚ます気配さえ見せないので、仕方なく先に起きたのだ。
『もし、生まれ変わったら、オレの事、見つけて愛してくれる?』
その言葉に何を意味するのだろうか、考えられるとしたら一つしかない。
「死」が、確実に司に近づき、二人を永遠に引き裂こうというのだ。
司が間違いなく「死ぬ」という事だ。
受け止め難い現実を、やはり受け止めなければならないのだろうか。
紀伊也は初めて自分自身に、ある恐怖を感じた。
ハッと気が付くと、電話が鳴っている。
慌てて居間に入り、受話器を取上げた。
「司?」
「・・・、晃一か。どうした?」
こんなに朝早くに、しかも何か少し慌てたような、そんな不安を感じさせる声だった。
「紀伊也? ・・・司、いる?」
「いるけど、まだ・・」
「分かった。悪いけど、今から行くから」
応えも半ば、強引に電話が切れると少しして晃一が入って来た。
どうやらすぐ近くから電話をかけて来たらしい。
「どうした?」
幾分青ざめた表情の晃一に、紀伊也は驚いた。晃一のこんなに不安な表情は見た事がない。
「司は?」
とにかく司に会いたいらしい。
「まだ寝てるよ」
先程言いかけた言葉を口にすると、寝室を指した。
すると驚いた事に晃一は、寝室のドアを開け、司が本当に眠っているのかどうか確かめるように覗き込み、肩まで掛かった布団が微かに波打っているのを確認すると、ようやく安心したように一息ついて、ドアをそっと閉じた。
「どうしたの?」
晃一の思わぬ行動にあ然としたが、コーヒーを二つ持って来ると、ソファに腰掛けた晃一の前に一つ置いた。
「司が居なくなったかと思った」
ふと呟いた晃一に息を呑んだ。
「え?」
「昨日の番組、見たろ? 何なんだよアレ。あいつ、あのままどっか行っちまうような・・・何かすっげー不安になって・・・、だって歌詞まで・・・。それに、あんな表情見た事ねぇよ。それにギターの音だって、何であんなに切ねぇんだよ。・・・俺、てっきり亮さんが本当に迎えに来ちまったのかと・・・」
「晃一?」
半分泣きそうになりながら、一晩中抱えていた不安を一気にぶちまけた晃一に、紀伊也は思わず動揺してしまい、カップを落しそうになった。
-晃一は気が付いたのだろうか、司の事を。
晃一はヤケに勘がいい。性格は横暴だが、その分他人には気を遣っているようだ。こと、司に関して言うならば、尚更だろう。 一番理解していると言ってもいい。 近づき過ぎず、離れ過ぎずのいい位置に距離を置いて二人共付き合っているから、居心地がいいらしい。
互いに言いたい事は隠さずぶちまけるように言い合っていた。それが、殴り合いの大喧嘩になってもだ。かと思えば、何も口に出さずとも互いの言いたい事が解り、目で合図をしただけで、まるで話し合いをしたかのように、同じ行動を取っていた。
二人の間には、何か目に見えない糸でつながれたかのように深い絆で結ばれていた。
それは能力とは全くかけ離れたものだった。
「なぁ、紀伊也、司 ホントに大丈夫なの? あいつ本当はもう・・・、相当心臓の方もヤバイとか・・・。司らしくねぇんだよ。俺、本当に心配」
「 ・・・、そんなに心配しなくても・・・、晃一らしくないな。大丈夫だよ司なら。ただ、今はちょっと疲れてるだけだって。昨日も成田直行だったんだ。ここのとこずっと海外に居たから大変だったんだよ。少し休めばまた元通りさ」
自分にも言い聞かせるように言うと、コーヒーを一口飲んでソファに腰を下ろした。
「考えすぎか・・・」
晃一も呟くと、カップに手を伸ばした。
******
「危ないっ!」
駆け付けようとした時、目の前で紀伊也の右胸から血が吹き出し、ゆっくり倒れて行く。
「紀伊也っ!?」
慌てて抱き起こし揺さぶるが、目を開けようとしない。 自分の手にはべっとりと赤い血がまとわりつき、見れば赤い血に胸が染まっている。
「紀伊也っ、しっかりしろっ! 傷は浅いぞっ、これくらいの傷でっ・・・」
叫びながら止血処置を施し、抱きかかえて病院へ運ぶと、ビル・ウィリーが沈痛な表情で診ている。
「ダメかもしれんな。辛うじて急所は外れとるが分からん。お前の治癒力をどれくらい送れるかにも寄るが、難しいな」
そう言われ、愕然とした。
今、能力を使い果たせば、指令の実行が出来なくなる可能性が高い。しかし、紀伊也を死なせる訳にはいかない。
やっと巡り会えた自分の大切な人なのだ。
この命に代えてでも助けたいと思った。
それに、自分が今こうして生きていられるのは、紀伊也のお陰でもある。
本当は三度も死んでいるのだ。
それに、あの時のように、また自分一人を置いて先に逝ってしまうなんて事は、許せなかった。
もう、二度と一人にはなりたくない。
「紀伊也、頼むからオレを一人にしないでくれ。お前なしじゃ、もう生きていけない」
そう願いながら、自分の血と気を送り込んでいた。
治療が終わり、紀伊也が助かったと気が付くと、そこにはキャロラインが居た。
紀伊也の子供が産みたいと言っていたキャロラインをかばって、紀伊也は血を流した。
自分には紀伊也の願いを叶えてあげる事は出来ない。
そう思った瞬間、思わず目を反らしてしまい、再び視線を戻すと、紀伊也はキャロラインを伴って部屋から出て行くところだった。
「紀伊也っ!?」
叫んでも、振り向きもせずそのまま去って行く。
******
「紀伊也っ!?」
ガバっ、と起き上がった。
「夢か・・・。また、だ・・・」
はぁっ、はぁっ、と少し乱れた呼吸を整えながら辺りを見渡すと、ここは東京の自分の部屋だったが、いつも隣で寝ていた筈の紀伊也の姿が見えない。
「紀伊也?」
不意に不安を覚えて慌ててベッドから下りると、寝室のドアを勢いよく開けた。
「紀伊也っ!?」
確認せずにはいられなかった。
あれから何度同じ夢を見て目が覚め、紀伊也の居ない事の不安と寂しさに苛まれただろう。
能力を使った事によって激しい苦痛に襲われた時、更に「死」が、自分に近づいて来る不安と恐怖に悩まされた。そして、一人でそれに立ち向かう事の出来ない「孤独」にも悩まされていた。
一人で居る事など出来なかった。 誰かに一緒に居て欲しかった。
それは、紀伊也でなければならなかった。
「・・・、晃一・・・」
ソファに座っている二人と目が合い、息を呑んだが、紀伊也がそこに居る事に安心すると、ドアにもたれてふぅっと一息吐いた。
「どうした?」
血相を変えて部屋から出て来た司に驚いたが、晃一が居る手前、冷静に言った。
「あ・・・、腹、減っちゃって・・、何か作って」
そう言って髪をかき上げながら二人に近づくと、晃一に「よぉっ」と言いながらソファに座り、一つ大きなあくびをした。
「 ったく、いきなり起きて来たかと思えばこれかよ。心配して損した」
司の元気そうな顔に呆れたように溜息をつくと、コーヒーを飲んだ。
「フレンチトーストでいい?」
「ああ、いいねーっ。晃一も食べる? 紀伊也が作るのは美味いんだぜ」
紀伊也からコーヒーカップを受け取りながら嬉しそうに言った。
「俺はいいよ。朝からそんなもん食う気しねぇよ。朝はご飯と味噌汁に限る。それに納豆がついてりゃ、文句は言わねぇよ」
「げーっ、納豆ぉ? ヤダね~、よく、そんなもん食えるよな。オレさ、よく思うけど、その辺りの日本人の舌の感覚が信じられねぇよ。よくあんな臭いモン作ったよな。想像しただけで臭って来そうだぜ。・・・、ねぇ紀伊也、早く作って」
「俺はお前の方が信じられねぇよ」
本当に呆れると、ポケットからタバコを出して火をつけた。
そんな晃一を横目に、司は台所に立つ紀伊也に視線を送った。
程なくして、ダイニングテーブルに朝食の準備が整うと司はソファを離れ、カップを手にテーブルに付いた。
二人で始めた生活ではいつもの事だったが、何故か今朝は特別な朝のような気がした。
相変わらず黙々と食べ始める紀伊也に、仕方なく司もナイフとフォークを動かす。
カチャ、カチャ・・・
食器の触れ合う音だけが、妙に静かに響いていた。
「お前ら、いつもそうして食ってんのか?」
その静けさに耐えられなくなったのか、タバコを吸い終わった晃一が、背中を向けたまま言った。
え?
思わず二人は顔を見合わせると、手を止めて晃一に視線を送った。
「一緒に住んでんだろ」
振り向くと片手をソファに掛けて、珍しく表情なく二人を交互に見た。 そして、司に視線を移すと、急に真剣な目で見つめた。
「何で昨日、歌詞変えたんだよ」
「え・・・、あ、ああ、あれ? ・・、へへ、間違えちゃった」
一瞬ドキッとしたが、首をすくめると、フォークに刺さったままのフレンチトーストを頬張った。
ふ~ん、と晃一は珍しい事もあるもんだと、首を傾げながら元に向き直ったが、紀伊也は手を止めたまま司を見つめていた。
その視線に気が付いて、紀伊也を横目で見ると同じように首をすくめた。
『あいつは勘が鋭いな』
思わず苦笑しながら紀伊也に送ると、同じように苦笑いを浮かべている。
再び晃一に視線を移した時、突然、落ちるような強い眠気に襲われた。
「司?」
持っていたフォークとナイフを落しそうになって、慌てて皿の上に置くと、コーヒーを飲んだが、これ以上はここに居られそうもない。
「ごめん・・・、すっげぇ、眠い。ごちそうさま・・・、また寝て来る」
一度頭を振ると、ゆっくり立ち上がり、フラフラと歩き出した。
「着替えて寝ろよ」
後ろからの声に軽く手を上げると、黙って寝室へ入って行った。
「何だ、ありゃ」
司を見送りながら晃一は、ダイニングテーブルのさっきまで司が座っていた所に腰掛けると、片肘を付いて紀伊也に向く。
探るような晃一の目に思わず息を呑んだが、すぐに目を反らすと、再び食事をした。
「なぁ紀伊也、いつから?」
司の食べ残したフレンチトーストを頬張りながら、視線を紀伊也に向けたまま訊く。
一瞬、ちらっと晃一に視線を向けると、コーヒーを飲んでカップから顔を上げて、
「1ヶ月くらい前から」
と、一言だけ答えた。
紀伊也が晃一と腹を割って話すようになったのは、ジュリエットが解散し、司がニースの別荘に行ってからの事だ。
度々、司の事で連絡を取り合うようになってから、互いに言葉を交わさなくても何が言いたいのかが、解るようになっていた。
5人で居た時は、暗黙の内に役割が決まっていた。
司と秀也の間に何かがあれば、司の事は紀伊也に任せ、秀也の事は晃一に任されていた。 最後の仲裁はナオがしていた。
しかし解散し、秀也が結婚してしまってからは、何となく晃一は一人でいる事の方が多かった。店の方もほとんど秀也とナオに任せていたので二人共忙しさの余り、司の事に構っていられなかった。晃一が特に気にしていたせいもあったが、紀伊也も頻繁に連絡を入れて来る晃一には何かありがたいというか、救われていたような気にさえもなっていた。
司の事を心配する余り、そのはけ口がなかったせいもある。 紀伊也自身、やり場のない孤独と苛立ちに満ちていた。
それも晃一のお陰で初めて仲間のありがたさを感じ、自分にも親友と呼べる人間がいるのだと気が付いた。
「そっか、安心したよ。お前が一緒なら心配する事もねぇな。しかし珍しいよな。アイツがこんなに寝るなんて。ホントに寝てんのか? 死んでんじゃねぇだろな?」
寝室のドアに視線を送ると、少し不安そう言う。
「大丈夫、疲れてるだけなんだから」
呟くように言って、ハッと顔を上げると、晃一が顎で寝室を指している。
『あいつは勘が鋭いな』
司の言葉も気になったが、昨夜も一睡も出来ずにいた自分を思い出すと、カップを置いて静かに立ち上がった。
ドアを開け、恐る恐る中を覗くと、心配した自分が可笑しくなる程、ホッと安心してしまった。
言われたとおり司は、白いスウェットに着替えてベッドにそのままうつ伏せて眠っていた。
もちろん、さっき着ていた服はそのまま床に脱ぎ捨ててあった。
それを拾いながら、安心したように眠る司に思わず苦笑した。
******
どれ程眠っただろうか。
かなりの能力を使い気を送り、疲れ果てて眠ってしまった。
ふと目が覚めて頭を動かすと、先程まで隣のベッドで治療を終えて眠っていた筈の紀伊也の姿が見えない。
慌てて体を起こして辺りを探すが、何処にも居ない。
診察室へと続くドアを開けると、ビル・ウィリーが一人ソファに座り、タバコを吸っていた。
「キイヤは?」
ちらっと司に視線を送ると、窓を顎で指す。
急いで窓に駆け寄り、見下ろすと、見慣れた背中が金髪の女性と腕を組んで歩いている。
窓から身を乗り出して呼ぼうとして、口をつぐんでしまった。
その横顔に見る笑顔が、余りにも優しく彼女を包んでいた。
司は諦めて窓を閉じると、溜息にも似た息を一つ吐いた。
と、その時、突然背後から首を絞め上げられ、咄嗟にその腕を掴んでゾッとすると、恐る恐る振り向いた。
「ス・・ミス・・!? っく・・・っ」
「裏切り者っ、よくもこの私を裏切ってくれたな。殺してやるっ、死ねっ」
更にその手に力が入り、今にも首の骨が折れそうだ。思わずその手に爪を立てたが、自分の手がスミスの手に埋まり込むかのようにのめり込んで行く。
苦しさの余り、思わずチェーンを放った。
ようやく絞められていた首が自由になり、はぁっはぁっ、と呼吸を整えながら気配を伺うと、スミスの姿は影も形もなく消えていた。
その直後、ミラノフに浴びせられた冷気が全身を襲う。
ヤツは死んだ筈っ!? なのに・・、何故だ!?
全身に悪寒が走り、体を抱きかかえたが、立っている事が出来なくなり、そのまま壁に寄り掛かるとずるずると堕ちて行った。
神経を張り巡らせ、気配を伺うが、何の殺気も感じない。
凍えるような寒さに耐えていたが、次に襲われた頭を激しく殴られたような激痛に耐え切れず、そのまま床に倒れると意識が失くなった。
「司っ!?」
晃一が帰った後、チャーリーに呼び出され事務所へ行っていた紀伊也は、帰宅すると、ヤケに家の中が涼しい事に気付き、居間へ入ると真夏のデパートのような寒さに驚いた。
付けた覚えのないクーラーのスイッチが入っており、しかも温度も低く風力も最大だ。 いくら6月の末と言えども寒すぎる。
思わず身震いした。
慌ててスイッチを切ると、壁際に倒れている司に駆け寄り抱き起こしたが、震える唇は青紫色になり、眉をひそめて苦痛に耐えるかのようにその表情は険しい。
「司っ しっかりしろっ!」
何度か呼びかけながら激しく揺さぶると、ようやく薄っすらと目を開けた。
「司っ!? どうした!?」
「紀、伊也・・」
呟くと、そのまま体をくの字に硬直させて発作を起こし、再び気を失ってしまった。
薬を飲ませ、ベッドへ運ぶと居間へは戻らずそのままベッド脇に椅子を持って来て、それに腰掛けると、司を見守るように見つめた。
一体、何があったというのだろうか
晃一も司の事を「頼む」とだけ言って帰って行ったし、チャーリーに呼び出されたのも、今後のスケジュールの確認と、社長からも司の事を頼むと言われていた。
スケジュールの方も、今週取材を入れる予定でいたが、何となく今朝の司の様子から、本人と相談してからという事で、O.Kを出さずに帰って来た。
恐らく相当の休養が必要と思われた。