第十四章・選択(五)
選択(五)
「あー、来た来たっ、良かったぁっ」
透が入口で手を振って合図し、振り向いてチャーリーと宮内にも合図を送ると、二人も慌てて駆け寄って来た。
「悪ィな。しっかしよく間に合ったな。あと何分だ?」
司もタクシーから降りると、珍しく走って来た。
「大丈夫、今日はあと一時間もあるよ」
チャーリーは、自分の腕時計を指しながら「一時間も」を強調する。
「で、紀伊也は?」
「それが、全く連絡がないんだ。しかも連絡が取れないんだよ。司もどこにいるか知らない?」
チャーリーと肩を並べて足早に楽屋へ向かう。
司はポケットからタバコを出すと火を付けながら、首を横に振った。
「珍しいっスね。あの紀伊也さんが連絡も寄こさないなんて」
「何だよ」
透は司に横目で睨まれて首をすくめた。
司は煙を天井に向かって吐くと呟いた。
「あいつ、来ねェかもしれねぇな」
え?
一瞬、皆の足が止まる。
「多分、来ねぇな」
もう一度呟くと、タバコを吸った。
「どうする?」
「どうするも何も・・どうするんですか?」
「司がキーボード、演る?」
「だって、今日は新曲の披露・・・」
司を囲むように三人は困惑顔だ。 奥の廊下からテレビ局のスタッフが慌てて走って来る。
「急いで下さいっ!」
他のスタッフも廊下の道を開けながら、司たちを楽屋へ急がせる。
「企画変更だな」
壁際の灰皿にタバコを放り投げると呟いた。
え!?
今度はそのまま足早に歩き続けた。
「企画変更って!?」
宮内が振り向きながら驚いて言うと、テレビ局のスタッフが立ち止まり、全員がぶつかるように立ち止まって司に向いた。
「紀伊也がいないんじゃ、演ってもしょうがねぇし、オレも演りたかねぇよ」
一瞬、全員同じ事を考えて息を呑んだ。
「まさか、ドタキャンっ!?」
チャーリーの声が上ずった。 その顔は見る間に青ざめて行く。
ソロデビューしてから仕事のオファーはかなり来ていたが、体調を理由にことごとく断っている。 それもあり、ここの所、仕事のオファーが減って来ているのは事実だった。
久しぶりに新曲を出し、テレビ局の依頼も受け、珍しく司もO.Kを出したものの、打ち合わせの時も行方不明で、当日のリハーサルにも来れず、ようやく連絡があったのはつい先程で、しかも空港にいるという。局のスタッフには何とか誤魔化してはいたが、実際本当に来てくれるかどうか祈るように待っていたのだ。
何とか時間には間に合ったものの、それを今更ドタキャンされるとなれば、もうどこからも依頼は来ないだろう。そうでなくても、ステージでのあの事件以来、評判を落しているのだ。
「ん、違うよ。企画変更って、言ったろ。新曲は演んない」
「えーーっ!? やらないって、どうすんの!?」
宮内がすっとんきょうな声を上げた。
「バンドの連中には悪いけど、オレ一人でやるよ。何でもいいからギター、一本だけ用意してくれる?」
予定通り出演するという事にとりあえず皆ホッと胸を撫で下ろす。
「何やるんですか?」
透が訊く。
それを聞かなければ、スタッフ達は動こうにも動けない。
司は一瞬目を細めると
「ジュリエットの微笑み」
そう言って、まるでその先に何かを見つけたように遠くに視線を送った。
******
自分は今、夢でも見ているのだろうか。
そう錯覚を起こし兼ねない程驚いて目を見開くと、テレビのブラウン管に釘付けになった。
自分の車から飛び出して行ったあの日以来、行方が分からなくなったままだ。
何度となく呼びかけてはいたものの、やはり返事はなかった。
しかも自分は指令で失敗をし、重傷まで負ってしまい、挙句輸血までしてもらったのに、その後の司の安否が分からなくなってしまったのだ。
それに、何故あの時あそこに司が居て、自分とキャロラインを助けたのか分からない。
それに、何故司がテロの本当の事を知っていたのかも分からなかったし、司には別の指令が下りていた事も確かだった。
それなのに、全てが何事もなかったかのように片付いていた。
あれ程、大規模な事件が未遂に終わった事も、ごく一部の人間を除いては誰一人として知る事もなく、平穏なニュースが流れていたのだ。
しかもあれ程の能力を使えば、司はどうなっているのだろう。
それに、大量に輸血を行った後だ。
もしかして、どこかで・・・
そう考えると、自分の体を静養するよりもそちらの心配の方が大きく、落ち着いてニューヨークに居る事など出来なかった。
胸の傷の方は、ビル・ウィリーの治療もさる事ながら、自分の治癒力と司が送ってくれた治癒力のお陰で、早々にも普通に歩けるようになり、2週間後にはここ東京に戻って来る事が出来た。
それに、キャロラインに伝えられた言葉も気になった。
しかし、マンションに戻って来ても、司が戻って来た形跡はなく、あちこち連絡して探し回ったが、やはり行方は分からなかった。
だから、今日の出演もないと思ったのだ。
それなのに、今、自分が見ている自分が出演する筈だった生放送の音楽番組に、その司がいるのだ。
「何で?」
思わず呟くと息を呑んで、ブラウン管に映る司を見つめていた。
『今日は新曲を披露する筈だったんですよね』
司会者が訊く。
『ええ、まぁ。でも紀伊也がいないからやってもしょうがないんで、別のをやる事にしました』
相変わらずつまらなそうに応える。
『ジュリエットの微笑み。これはジュリエットのデビュー曲ですが、何でまた?』
『んー、まぁ気分的にね。もう一度、新しく始めてみよーかなぁって』
そう言うと、珍しくはにかんで笑った。
司会者に促され、スタジオにセットされた中央のステージに用意されたマイクの前の椅子に腰掛け、宮内から一本のアコースティックギターを受け取った。
ギターを抱え、マイクを口に近づけ体制を整えると、一度目を閉じて一息ついた。
目を開けながら指を動かし、ギターを奏でた。
澄んだ音色がスタジオに響き渡る。
ジュリエットの微笑み 今 お前にあげるから 涙を拭って
ジュリエットの微笑み 失くしたものを見つけよう この俺を信じて
どんなに遠く離れていても いつもお前を感じている
それは太陽と月が近くにあるように
強い光と優しい灯りが 冷めた石を照らすように
数え切れない程 心配かけたね
その度 笑ってごまかしたね
震える細い肩 抱き締めたい
切ない夜 寂しい夜
いつも どこでも いつまでも 傍にいたいから
たとえこの命 尽き果てようとも
この想い 変わらぬ事 伝えたい
ジュリエットが流した 最期の涙は
真実の愛に巡り会えたと あなたと生きる事を
選んだ真実と
ジュリエットの微笑み 魂まで抱き締めて
ジュリエットの微笑み この手を離さないで
微笑みの真実 見つけるまでは ・・・
「歌詞が変わってる」
司の唄を聴きながら晃一は思った。
それは間違えたのではなく、変わっていた。
司が歌詞を間違える筈がない。
ブラウン管に映るこれ程までに優しく柔らかい表情で歌う司を初めて見た気がしたと同時に、突然司が何処かとてつもなく遠い所に行ってしまったのではないかと一瞬思い、ごくんと息を呑んだ。
何故、『涙が枯れ果てる』ではなく、『この命尽き果てる』なのか。
この歌は確か、亮と作ったと言っていた。
もしかして亮が司を呼びに来たのではないだろうか。ふと思った。
体調を理由に仕事を断っていたのは、表向きの事だとばかり思っていたが、実際は本当に悪いのではないか、それに、もしかしたら、もうそんなに長くはないのではないか。
司の奏でる余りにも優しすぎるギターの音色を聴きながら、グラスを持つ晃一の手が震えた。
演奏が終わると、スタジオ内は一瞬の静寂に満ちた。
司が一息ついて組んでいた脚を下ろすと、拍手が起こり、ディレクターも手を動かす。
番組終了間際、司会者が司に質問をした。
『今日はこれから何をしたいですか?』
『そうだな・・、美味いコーヒーが飲みたいな』
そう言うと、デビューしてから初めてメディアの前で、女性らしい柔らかく甘えた笑顔を見せた。
それを見ていた和矢は、先程から溢れて来る涙を拭おうともせず、堪えきれずにテレビに向かっていた。
「司、残された短い時を紀伊也と大切にしろよ」
そう呟いてブラウン管に映る司に、自分の額をつけていた。
「司さん、これからメシ行きません?」
透が仕度を済ませた司に声をかける。
チャーリーも宮内も他のスタッフも、久々に満足のいく収録に笑顔がこぼれる。
「悪いけど今日は帰るよ。疲れた」
相変わらず素っ気無い返事だったが、何故か司から出されるオーラはとても優しい。
まるで先程の演奏をそのまま体全体で表現しているかのようだ。
「ごめんね」
珍しく言うと、軽く手を上げて去って行った。
『お疲れ様でした』を言うのも忘れ、皆黙ってその後姿を見送っていた。