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第十四章・選択(三の2)


「Kiiyaっ!?」

「紀伊也っ」

キャロラインともう一人の別の声が聴こえたかと思うと、二人は誰かに抱きかかえられ、影のように何処かへ消えた。

 目の前に暴風が吹いたかと思う程の強い衝撃を受けたキャロラインは、急に辺りが静かになったのに気が付くと、隣に黒い服を身にまとった華奢な体が、その膝の上で、息も絶え絶えに血に染まった紀伊也の胸に白いスカーフで、止血処置をしているのを見つけた。

 薄茶がかった柔らかい前髪から覗く、琥珀色の瞳に息を呑んだ。

角度が変わるとその色が微妙に変化する。こんなに美しい色を見たのは初めてだった。

しかし、その真剣とも険しいとも取れる横顔に、キャロラインの胸に何かチクリと刺すものがあった。

「よし、行くぞ」

程なく処置が終わると、不意にその彼がこちらを見た。

初めて見る顔だったが、初対面の気がしない。

「この先に車がある。そこまで運ぶから手伝ってくれ」

ぐったりとした紀伊也の体を肩に担いで、立ち上がった。

背は紀伊也より少し低い位だったが、その体つきはとても男とは思えない程に華奢だ。しかしよろける事なくしっかりと紀伊也の体を支えていた。

二・三歩、歩いた所で彼が振り返る。

「お前も来い。足をくじいているらしいが、そこまでなら歩けるだろ? それにキイヤはお前をかばって撃たれたんだ。キャロライン」

何故彼が自分の名前を知っているのか少し驚いたが、言われるまま黙ってついて行った。

 車の後部シートで、紀伊也の頭を膝の上に乗せたキャロラインは、運転している彼と紀伊也の顔とを見比べていた。

時折、呻き声を上げる紀伊也をどうしていいか分からず、ただ抱き締めていた。

「 ・・・ ? 何? 何か言っているわ。ねぇっ、キイヤが何か言っているわ、車を止めてっ」

仕方なくスピードを緩めると、路肩に車を止めて振り返った。

「何? 何て言っているの? ねぇっ、キイヤしっかりしてっ」

キャロラインは紀伊也の口元に耳を当て、何を言っているのか聞き取ろうとしたが分からず、首を横に振ると自分の口を紀伊也の耳元に近づけ叫んだ。

「何? 分からないわっ・・・日本語? ねぇっ、何て言っているのっ!?」

今にも泣き出しそうなキャロラインの頭を、運転席から手を伸ばしてどけた。

「 ・・・違うよ・・司、亮さんから言われたからじゃない・・・違うんだ司・・っく・・司・・・」

かすれるような声だが、はっきりとそう聞き取れた。

「もうっ、いいっ」

吐き出すように言うと、くるりと前を向き、再びアクセルを踏み込んだ。

 車はそのままハーレムの裏道に入り、とある路地裏で止まった。

運転席の窓を開けて口笛を吹くと、一軒の古びた建物から一人の老人が出て来た。

どこかで見覚えのある顔だ。もう何十年も前に付けられたと思われる頬の傷が どこかで見た事があった。

彼は車から降りると、親指を立てて後部シートを指した。

その老人は、ちらっとシートの二人を見たが、すぐ中へ運ぶよう指示すると、彼が車のドアを開けて紀伊也を抱きかかえるように外へ出した。

キャロラインもそれに続き、紀伊也の体を半分支える。

「こんな汚い所に運んでキイヤをどうするつもり? 病院へ運ばないと」

階段を上がりながら彼を睨んだ。

「ビル・ウィリー。聞いた事あるだろ」

「えっ?」

思い出した。 あの頬の傷は手配書の中で見た事があったのだ。

確か十数年前までは軍の優秀な外科医だったのだが、他国の傷兵の手当てをした事からスパイ容疑をかけられて免職となり、その後行方をくらました事から更に追求されていた。

「優秀な外科医なのにな。あいつはただの医者だ」

こちらを見もせずに言う彼に、思わず足が止まった。

「別に報告したっていいんだぜ。その代わりお前のキイヤは死ぬぞ」

冷めた眼差しが向けられて息を呑んだ。 が、キャロラインにもCIAという意地がある。

「死なせないわ。別のちゃんとした病院へ連れて行くもの」

「死ぬよ。オレが行かなきゃ」

「何故?」

「キイヤの血は特殊だからな。誰の血も輸血できない。保存はされていても、東京にしかないからな」

「え?」

「そういう事だ。オレはキイヤを死なせたくない」

そう言うと、再び階段を昇り出した。 キャロラインもそれ以上何も言わず、黙って階段を昇った。

診察室の奥のドアを開け、キャロラインは驚いた。

 外見からは似つかわしくない程、設備の整っている手術室だ。診察室の壁はすすだらけで所々穴が開き、今にもネズミが出て来そうだったが、この手術室のコンクリートの壁は大病院顔負けの清潔さがある。

「お前はここで待っていろ。ビル・ウィリーを売りたきゃ売れ、それはお前の勝手だ。オレはキイヤを助ける」

そう言うと、中へ入って行った。


「ビル・ウィリー、オレの血は好きなだけ採ってくれ。こいつを死なせる訳にはいかないんだ。頼む」

紀伊也の横たわる寝台の隣に横たわりながら言った。

「お前らしくないな、タランチュラ。が、お前の頼みなら断る訳にはいかんよ。とにかく手は尽くす。血液も人の倍以上は採る事になるがいいな。オペが終わったらお前といえども安静にしてもらうしかない。これだけは約束だ、いいな」

「 ・・・、分かった。とにかくキイヤを頼む」

ビル・ウィリーが準備にかかると、司は紀伊也をじっと見つめた。

「紀伊也、お前だけは死なせない」

そう呟くと、オペに入ったビル・ウィリーと、時折呻き声を上げる紀伊也をずっと見守り続けた。


 ******


 診察室の壁際のベンチに一人座ってから4時間が経とうとしていた。

昼間の初夏の陽射しがキャロラインの足元を照らしていた。

いつの間にか眠っていたキャロラインは、ドアの音が開く音に目を覚ますと、そこからは疲れ切ったビル・ウィリーが出て来た。

目が合うと、ビル・ウィリーは一瞬軽く微笑んだだけで、何も言わずにゆっくりとした足取りで外へ出て行った。

 キャロラインが手術室のドアを開けると、二つのベッドに各々、紀伊也と先程の彼が目を閉じて横たわっていた。

二人の腕には点滴が伸びている。

キャロラインはそっと紀伊也に近づいて、その安定した呼吸にホッと胸を撫で下ろしたが、とたんに涙が溢れて来た。


『お前をかばって撃たれたんだからな』

そう彼に言われたのを思い出す。

確かにあの時、瞬時にして紀伊也の体が自分の前に来ていた。

『俺には命と引き換えにしても守りたい人がいるんだ。だから君と会うのはもうこれまでだ。君を抱くのは任務だからさ』

昨夜そう言われた時は、ショックで思わず紀伊也を殴りそうになった。

しかし、その紀伊也が自分をかばって撃たれたのだ。

他に守りたい女性がいると言っていたにも係わらず・・・。

ふと視線を移すと、正体不明の彼が血の気を失くし、青白い顔で眠っている。


 一体、この人は誰なのだろう


『オレはキイヤを死なせない』

彼のきっぱり言い切った表情が忘れられない。

切ない程に何かを決意していた。

まるで自分の命と引き換えにしても紀伊也を助けるような、そんな眼をしていた。

そして、もう一度、紀伊也に視線を送った。

「ふっ、助かったみたいだな」

背後から声がして振り返ると、彼が体を起こしてこちらを見ている。

「あなた・・・」

ゆっくりとベッドから足を下ろし、立ち上がりかけて一瞬よろけてベッドに手をついた彼をじっと目で追った。

手をこめかみに当て、しっかりしろと言わんばかりに軽く頭を振り、一息つくと、紀伊也の傍に寄って来る。

思わずキャロラインは場所を空けた。

「紀伊也・・・」

言いながら手の甲を紀伊也の頬に当て、見つめた。

「紀伊也、愛してる」

日本語で呟くと、キャロラインを見もせずドアに向かって歩き出した。

ノブに手を掛けたとき、ふと思い出したように立ち止まると振り返った。

「お前らが聞いた情報は3日後だったが、実際は明日の正午だ。オレはまだやる事があるから行くが・・・。キャロライン・・・、キイヤを頼む」

「どこへ行くの?」

「どこへ行こうと勝手だ。そうだ、キイヤに伝えてくれないか」

一旦言葉を切ると、彼は紀伊也を見つめながらキャロラインに何か言うと、出て行った。


 彼は誰なのかしら? 会った事はないのに、会った気がするわ。


彼の出て行ったドアを見ながら考えたが、思い出せず紀伊也の傍に腰掛けた。

 しばらくしてビル・ウィリーは戻って来ると、キャロラインをちらっと見ただけで、一つのベッドに誰もいないのを見て驚いた。

「アイツはどこへ行ったんだっ!?」

「さっき、出て行ったわよ ・・・ って!? 彼女? 今、彼女って言った!?」

キャロラインはビル・ウィリーが「彼」ではなく、「彼女」と言った事に驚いたが、ビル・ウィリーは別段気にすることもなく、怪訝けげんな顔をして

「そうだよ、彼女だ」

と言っただけで、その彼女を探し始めた。

 が、本当にいなくなったのを確認すると、諦めたように息をついてその空いたベッドに腰掛けた。

「アイツは死ぬ気か・・・」

ボソッと呟くように言ったビル・ウィリーの言葉に、キャロラインはハッと顔を上げた。

「彼女の名前はっ!? ・・・、もしかして、ツカサ?」

「知らんね、彼に訊いたらどうだ」

素っ気無い返事をすると、また一つ溜息をついた。

「そいつが目を覚ましたら、起こしてくれ」

そう言うと出て行った。

どうやら診察室の破れたソファで寝るらしい。

キャロラインも「分かったわ」と返事をすると、壁際に用意されてあった革張りのソファにもたれると、その内眠ってしまった。


 それから、どれ位時が経ったのだろう。

辺りは夕闇に包まれかけていた。

部屋の灯りが点けられ、眩しさで目が覚めた。

 -ここは?

初めて見るような天井だったが、見覚えがあった。

体を動かそうとして、ふと右胸に違和感を覚えた。

 -そうか、あの時、撃たれた ・・・ けど、何故?

瞬時にしてライフルの弾からキャロラインをかばい、右胸に物凄い衝撃が走ると、ほとんど同時に意識が失くなってしまった。 が、ほんの少し前に幻だろうか、司の声を聴いた気がしていた。

司とはあれから会っていない。

少しの間、部屋で待っていたが、指令に従わなくてはならず、急ぎそのままニューヨークへ発ってしまったのだ。

 それに、指令・・・

そう言えばキャロラインは報告してくれたのだろうか?

「 ・・・っく・・・」

体を起こそうとして、胸に衝撃が走る。

「キイヤ、ダメよ。まだ無理だわ」

呻き声を聞いて目を覚ますと、紀伊也が体を起こそうと片手を付いて、胸を押さえ苦痛に耐えていた。

「キャロライン・・・、報告は?」

肩を抱きかかえられながら、再び体を倒した紀伊也は、心配そうに自分を見下ろしているキャロラインに訊いた。

「ごめんなさい・・・、あの人にあなたを頼まれたの」

「彼女?」

キャロラインは、紀伊也が撃たれた瞬間にまるでテレポートでもしたかのように、その場から数十メートル離れた建物の陰に連れて行かれてからの事を話した。

ほとんど無言で紀伊也の手当てをし、車でここへ運び、ビル・ウィリーと手術室へ入って行き、オペが終わるとすぐに何処かへ行ってしまった、と。

 初めは彼が何者なのか分からなかったが、ビル・ウィリーから彼女だと聞かされ、彼が実は女性であった事に驚きを隠せずにいた。

「彼女は死ぬつもりなの? ねぇ、彼女は誰?」

「死ぬつもり?」

「ええ、ビル・ウィリーがそう言っていたわ」

キャロラインの言葉に思わず体を起こし、再び激痛が全身を駆け巡った。

「無理をしちゃいかん」

呆れたような物言いに、二人が入口に目をやると、ビル・ウィリーがウィスキーのビンを持って現れ、一口飲むと近づいて来た。

「ビル・ウィリー・・・、ツカサはっ!?」

「さあ、わしにも分からん。安静にしろと言ったのに、相変わらず言う事を聞かんな。しかし、今回は本当にどこかでくたばっちまうかもしれん」

そう言うと、溜息をついて再びウィスキーを一口飲んだ。

「致死量までは行かんが、大量に輸血したからな。貧血でぶっ倒れているかもしれん、それに、かなりの治癒力を送り込んだからな」

「貧血? ・・・、そう言えばキイヤの血は特殊だって、言っていたわ。彼女もそうなの?」

「あいつも昔に比べて少しは人間らしくなったようだな。お前を死なせる訳にはいかない、そう言っていたぞ」

キャロラインの言葉は聞いていないのか、無視すると紀伊也を見下ろした。

「ハイエナ、お前も変わったな。その女をかばったんだろ?」

ウィスキーのビンでキャロラインを指すと、再び口を付けて飲んだ。




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