第十四章・選択(三)
選択(三)
『指令』任務に就いたなら一切の感情を捨てなければならない。ほんの僅かな感情が相手に読み取られ、それが命取りになり兼ねない。
一寸の隙も許されないのだ。それは解っている。しかし思わぬ彼女の言葉に思わず動揺してしまった。
「子供・・・?」
任務の為に恋人を装って潜伏先のホテルに宿泊していた。 が、フリだけでは相手は能力者だ。どこまでの能力を持っているかは分からない。装うというよりはそうでなければならなかった。
元恋人同士で、しかも最近まで関係のあった彼女なら上手くやれるだろう、そういう計らいだった。
しかし、どうやら彼女は本気らしい。
「そう、あなたの子供が欲しいわ」
はっきりと自分の子供が欲しいと言われ、戸惑いを隠せない。
以前、そんな話をした事がある。
『お前は自分の子供が欲しい、とかって思った事あるの?』
秀也に子供が産まれたと聞いて、祝いを届けたその夜の事だった。
『俺? 考えた事ないな。でも、秀也のあんな顔見るのは初めてだったな。兄貴達の子供を見てても別に欲しいと思った事ないけど、何となくいいかなって思ったかな』
『そう・・だよな・・・。秀也もそれ望んでたんだもんな。ああいうのが普通の幸せって、いうヤツなんだろうな・・』
胸の中で呟く司が何となく寂しそうだった。
『司は? そういう気、持った事ないの?』
『あのなぁ、冗談が過ぎんぞ。だいたい想像しただけでゾッとするよ』
『はは・・・、それもそうだ』
司に睨まれ、思わず笑ってしまった。
「でも、俺は君とは結婚できない」
「いいの。それでもあなたの子供が欲しいわ」
「キャロライン、何故、そこまで?」
「好きな人の子供を産む事って、女としての最高の幸せだと思うからよ。あなただってそうでしょ? 自分の愛する女性に、自分の子供を産んでもらったら幸せでしょ?」
「そう、だな」
隣の部屋に居た司は、思わず息を呑んだ。
「どうした? タランチュラ。何か暗号でも読み取ったか?」
やや濃いめのブロンドの髪をし、鋭い目付きの男がソファから身を乗り出した。
「 ・・・、いや・・、お前らの悪趣味な盗聴にはうんざりだ」
そう言うと、デスクにあったモニターを叩き潰す。
「何をするっ!?」
もう一人の男が、司にライフル銃を突きつけたが、先程の男がそれを制した。
「スミス、お前はどう思う?」
司が振り向くと、とてつもなく冷酷な瞳が鋭い目の男に向けられ、スミスと呼ばれたその男は、思わずゾッとしてしまった。ライフル銃を持った男は息を呑んで一歩退いた。
「そうだな。お前の読み通りこいつらは関係ないだろう。むしろお前の言っていた向かい側のホテルにいるヤツ等が本星だろう」
「で、いつやる?」
「そう焦るな。これには失敗は許されない。これだけでかい事をするんだ。まず本番の前に余興を楽しまないと」
スミスは両手を胸の前で合わせると、ほくそ笑んだ。
「余興?」
「そうだ。まずはお前の能力のお手並み拝見と行きたい。私は鼻から信じている訳ではないのだよ、タランチュラ」
「ふん、そんな事は最初から承知の上だ。オレも貴様を信じている訳ではない。それに、信じるという事が愚かだという事くらい貴様にも分かっているだろう」
顔色一つ変えずに互いを探り合っている二人に、ライフルを持った男は背筋に何か冷たいモノでも流れているかのようにゾッとし、その場を動けずにいる。
「それより、先ずは隣の二人の余興でも楽しむとしよう」
スミスは司に近づきながら言うと、背後からその手を胸に這わせようとしたが、手首を捻り上げられ、その瞬間にライフル銃が向けられたが、その銃口はスミスの左胸に突きつけられていた。
「オレはお前らの悪趣味に付き合うつもりはない。楽しみたければ勝手にしろ」
興味なさそうに半分苛立たしげに言うと、スミスを突き放した。
「それは残念だ。が、タランチュラを怒らせるのは賢明ではないようだ。それより、お前にはやって欲しい事がある」
余興を諦め、本題に入ったスミスの眼光が妖しく光った。
「例のシンイチ・コウヅキ抹殺の件だ。 調べではどうやらこちらの動きを感づかれたのか、警戒が厳しすぎる。どうしても今週中にヤツを始末しなければならないのだが、我々では無理だ。そこで、お前に頼みたい」
「本当にこいつに任せていいんだろうな?」
ライフルを持った男が司を疑わしげに見る。
「タランチュラは完璧だ。刃向えばこちらが殺られる」
「しかし・・・」
「お前も殺られたいのか?」
「それは・・・」
「タランチュラ、どうだ殺ってくれるか? 報酬は100万ドル出す」
「オレは金では動かん」
その言葉に一瞬警戒の色を見せ、身構えたスミスだったが、顔色一つ変えずに不敵な笑みを浮かべた司に苦笑すると、ソファに腰掛けた。
「そういう事か・・仕方がない。 ・・・、明後日の正午に決行だ。時計台と自由の女神を狙う。その騒ぎに乗じてお前が実行してくれればいい。我々の合言葉はHoney or Sugar 答えはHoney。タランチュラには逆らえないな。だが万が一の為にビルの前に人を張らせてもらう。ヤツが生きて出て来た時にはビル毎吹き飛ばす。それから、お前も生きてニューヨークからは出さない。既にお前には私の毒気が憑りついている事を忘れるな」
スミスの脅迫とも取れる言葉に鼻で笑うと、黙って部屋を出て行った。
「スミス、今の男は?」
閉じられた扉を見つめながらライフルを持った男が訊いた。
「タランチュラ・・・。あいつは男ではない。しかし・・・、私にもよく分からない。あれ程冷酷な瞳を持ち、何の感情もない人間を見た事がない。本当にあれは人間なのかどうかも分からない。15年前に会った時と変わっていない。それが不思議だ。 ・・・だがいずれにせよ、あの二人は始末せねばならないな。 男はともかく、女はCIAだ。 明日殺ってくれ。私はもう少し余興を楽しむとしよう」
そう言うと、スミスはウィスキーの入ったグラスを傾けながらソファの背にもたれると、隣の部屋へ続く壁を見つめた。
スミスは明日から始まる自分の命運を懸けたイベントを前に、二人の演技とも本気ともつかない戯れを目を細めて見ていた。
******
翌早朝、気配を感じて身構えた紀伊也は、キャロラインにも合図し、部屋の片隅に身を潜めた。
案の定、かけた筈の鍵が音もなく壊され扉が開くと、盛り上がった布団の上に向けられ、自動小銃が放たれた。
ガガガガッ・・・・ッ!!
静けさを破る銃の音に頭を抱えたキャロラインは思わず小さな悲鳴を上げそうになって、紀伊也に口を塞がれた。
羽毛が部屋一面に広がる。
ゆっくりと銃を下ろし、満足そうな笑みを浮かべると、扉を開けたまま部屋を出て行った。
男の足音が遠ざかったのを確認すると、ホッと一息ついたが、すぐに部屋を出ようと入口に近づいて気配を伺うと、先程の足音が慌てたように戻って来る。
「キャロライン、窓を開けろっ」
小声で叫ぶと、青ざめたキャロラインは震えて足が動かず、何とか這うように窓際まで行った。
窓を開けるのと、男が入口に立ったのが同時だった。
一瞬、男と二人の目が合うと、男は焦ったように銃を身構えた。
二人の死体の確認を忘れ、慌てて戻って来たのだ。
引き金に手が掛かるのと同時に、紀伊也に投げ付けられたガラスの灰皿が男のその手に当り、天井に向かって銃が放たれる。
男はハッとして二人から目を離し、再び窓に視線を戻した時には、既に二人の姿はなかった。
慌てて窓に駆け寄り、外を覗き込むように見ると、二人は立ち上がって、紀伊也がキャロラインの腕を引っ張って走り出そうとするところだった。
チッ、舌打ちし、窓から二人を狙ったが、銃声を聞いた向かい側のホテルに居た別の捜査員が慌てて外へ出て、窓に居た男に向かって銃を放つ。
男は忌々しそうに身を潜めると、襟元につけたマイクに向かった。
「ヤツに逃げられた。そう遠くには行っていない筈だ。何せ3階から飛び降りたんだからな」
激しい銃声を聞きながらキャロラインは痛む足を引き摺って紀伊也に引っ張られていた。
紀伊也に抱きかかえられて窓から飛び降りたのだが、運悪く片方の足を地面についてしまった。
どうやら右足を挫いたらしい。
「もうダメよ、走れないわ。後はあなた一人で逃げてボスに報告してちょうだい。私は仲間を待つわ」
紀伊也の手を振り解くと座り込んでしまった。
彼女にしてみれば、足が痛いというよりは腰が抜けてしまったとでもいうのだろうか。
銃社会に身を置き、犯罪の捜査では慣れてはいた筈だが、実際自分が危険な目に遭ったのは初めての事だ。
あの勢いよく舞った羽毛が、もしかしたら自分の血や肉だったかもしれないという恐怖が彼女を包んでいた。
「何バカな事言っている!? あいつ等の事は考えるなっ。もう少しで表に出られる。そこまで頑張るんだ」
怖がるキャロラインを励ますように見つめ、立ち上がらせようとした時、一発の銃声がし、キャロラインに向かって弾が飛んで来た。
瞬間目にも留まらぬ速さで、キャロラインを自分の背に隠した紀伊也の右胸がえぐられた。