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第十三章・Ⅳ・絆(三)

絆(三)


 あれから1ヶ月、ずっとロンドンで仕事をするかたわら、パリへもおもむきプロデュースの仕事をしていた。

パリの方は何とか上手く行きそうだが、ロンドンの方ではアレコレ注文の多いミュージシャンに手が掛かり、いい加減煮詰まり始めて来た。

どうやら相棒のニックも手が掛かりそうになった為、司を呼んだらしい。

「ったく、何が気に入らねェんだっ」

今日もミーティングで、司が怒鳴り散らす。

「あいつのコンセプトはめちゃくちゃじゃねェか、なのに何でそれにオレ達が合わせなきゃなんねぇんだよっ。ちゃんと決まってからにしろよなっ。もう一度白紙に戻すぞっ」

「まぁまぁ 落ち着いて。悪かったよ、中途半端なまま呼び出して。とりあえずお前が来てくれれば何とかなると思ったんだ。けど ・・・」

ニックも呼び出した手前、バツが悪そうだ。

「それでどうにかなんのかよっ」

忌々しそうに髪をかき上げると、無造作にタバコを掴み火をつけた。

「こういう時に紀伊也がいてくれたらなぁ」

煙を吐きながら思わず呟いていた。

 アレンジ等で詰まりそうになった時、ポロっと何か言ってくれるのだが、それが見事に絡まっていた糸を解いてくれていた。

言葉にしなくても、ギターのコード一つにしても、ピアノのキー一つ取っても、何か一つ音を出すだけで、司の意図している事を導き出してくれるのだった。

それが、今までのジュリエットの流れるようなメロディを支えていた。

「何か言った?」

「NO」

日本語で呟いていた事に少しホッとした。

それに紀伊也とは、あれきり、だ。

怒ったようだったが、少し哀し気な目をして出て行った。

何が気に入らなかったのだろうか。

それも気になって、なかなか上手く行っていなかった。

「ツカサ、どうする?」

ニックにちらっと視線を送ると、他のスタッフも困惑した顔でこちらを見ていた。

「3日間のオフにしようぜ。 全てを白紙に戻して、練り直しだ。それからアイツには、何がやりてぇのか、箇条書きに書いて持って来させろっ。でなければ、オレは降りる」

「そう言うと思ってたよ。なら決まりだ。4日後にまた集まろうぜ」

ニックもホッと一息つくと、司の肩を叩きながら立ち上がると出て行った。


 -3日あれば行って帰って来れるな


最後の一服を吸い終わると、タバコを灰皿に押し付けた。


 ******


 -それにしても、何でいねぇんだよっ


少し苛付いて、受話器を押し付けた。

さっきから何度かけても出ないのだ。

オフィスにかけても、今日は帰ったと冷たく言われ、仕方なく自宅と携帯電話に何度となくかけていた。

 一応、紀伊也には連絡してから行った方がいいだろうと、何故か珍しく思った。

いつもなら、相手の迷惑等考えず、突然姿を現す事は当り前だったのだが、自分でも何故か躊躇ちゅうちょしていた。

「また、後でかけ直すか」

ため息をついて、電話から離れてキッチンへ向かおうとした。


 トゥルル ・・・ トゥルル ・・・


背後からの意表をついた電話の音に慌てて戻って受話器を取上げる。

「Hello」

「 ・・・・ 」

一瞬、相手は無言だったが、「誰か」からすぐ分かった。

「紀伊也?」

「司」

やっぱりそうだった。

「ああ、良かった。 ずっと電話してたのに、いねぇんだもん、参ったよ。なぁ紀伊也、明日そっちに行ってもいい?」

「明日?」

「うん、急で悪いんだけどさ・・・、ちょっと煮詰まっちゃってさ・・・、あ、っていうか、お前の淹れたコーヒーが飲みたくてさ・・、都合 悪い? 明後日でもいいんだけど」

人の話も聞かないで、一気にまくし立てるように喋り出す辺りが全く変わっていない。

 司の声を聴きながら思わず苦笑し、上を見上げた。


 司があと5年生きられるか分からないと告げられた時、紀伊也の大切にしていたものが、手の平の中で音を立てて壊れて行くような感覚を覚えた。

ベッドの上で血を吐いて倒れ、苦痛に歪む顔を見た時、和矢とキャロラインから責められるように言われた言葉が、紀伊也の胸を貫いた。

その寝顔を一晩中見守りながら、考えていた。

 7歳の時に2歳年下の司と出会った時、同じ能力者として生き、司を守って行くと定められた時に、自分の運命を背負った気がした。

これから先、何があっても指令には背く事は出来ないが、何よりも司を守ると決めたのだった。

何をそこまでして忠誠を尽くすのかは、よく解らないでいたが、それが自分の中では三度の食事と同じくらい、ごく当り前の事として受け止めていた。

それが、年を追う毎に気持ちの中で徐々に強くなっていったのは確かだった。

秀也と司が恋に落ちた時には、司が幸せでいられればそれで良いと思い、まるで自分の事のように嬉しく思っていた。

が、司があのステージで銃弾に倒れ、血に染まった時、自分の中で何かが切れた。

それが、何なのか今まで解らなかったが、キャロラインから『誰を想い続けているの?』と訊かれ、又 和矢から『司を大切にしてやれ』と言われた時に、それが何なのかはっきり解った気がした。 

それを認めていいものかどうか迷った挙句出した結論は、自分の中の大切なものとは、「司」自身だった事に気が付いた。

 しかしあの時、『死ぬ前に封印してやるから安心しろ』と司自身から言われた時、やはり司と自分の間には超えてはいけない壁があるのだと、改めて思い知らされ、やり場のない苛立ちを覚えて、そのまま司の前から去ってしまった。

しかし、離れれば離れる程に、司との距離が近くなっていくような気がし、思わず電話をかけていた。


「ねぇ、紀伊也、聞いてる? ・・・、え? 何?」

外で鳴り響くサイレンの音で、紀伊也の声が聞き取りにくい。

「俺が行ってやるよ」

確かそう聴こえたような気がした。 

「いいよ、忙しいんだろ。ニューヨーク行きの便ならすぐ取れるよ。 ・・・、なあ、けど、いつからロンドンとニューヨークの救急車のサイレンの音が同じになったんだ?」

言いながらふと窓に目をやると、慌てて窓を開け放った。

まさかと思い、下を見下ろしたが、通りには誰もいない。

「そうだよな、いる訳、ねぇよな」

呟いて電話が切れていた事に気付くと、ため息を一つ付いた。 慌てた拍子に電話を切ってしまったらしい。

 紀伊也の声を聞いたとたん、会いたいというはやる気持ちを抑えながら話をしていた。

本当は、一番知られたくなかった紀伊也に自分の死期が近づいている事を知られてしまい、かなり動揺していたが、紀伊也自身にそれ程の動揺が見られなかった事に、少し気落ちしてしまっていた。

それが、何故だかよく解らない。

あの紀伊也の性格を考えれば、冷静でいられるのは当然の事だ。

それに、紀伊也は他人なのだ。

『他人』という単語に思わず疑問を抱く。本当に紀伊也は他人なのか。

和矢に思いがけない事を言われた時は、ドキッとした。

『秀也がいなくても、亮がいなくても生きてはいける。けど、紀伊也がいなくなれば生きてはいけない』

今まで考えた事もなかった。

亮のいない人生なんてあり得ないし、秀也がいなければ一人では何も出来ない。 

そう思い続けていた。

その為にどれだけ打ちひしがれただろうか。辛く苦しく切ない毎日を過ごしていた。

でも今思えば、あの時は決して独りではなかったような気がした。

闇雲やみくもに指令を受けていても、必ずどこかで紀伊也の影があった。

何かなぐさめの言葉を言う訳でもなく、優しく抱き締めてくれる訳でもなかったが、遠くからただ見守るように見ていてくれた気がした。

気が付くとそこに居て、コーヒーを淹れてくれたり、レモンの入った水があったり、薬を飲ませてくれたり、居て欲しい時に、そこに居た。

だからどれだけ遠くに離れていても、いつも傍にいるような気がしていた。


『お前にとって、一番大切なものは何なのかよく考えてみろ』


和矢の最後の叫びが耳にこだまする。


「今頃気付くなんて、な・・・もう、おせェよ」

受話器を見つめながら呟くと、一度ぎゅっと握り締め、諦めたように電話に戻した。


「無用心だなぁ、鍵が開けっ放しだ。しかもドアも閉めてなかったぞ」

突然いつものように呆れた声が背後から聴こえ、振り向くと目を見張った。


 やっぱり来てくれた・・・


今、自分に必要だと思った時には、やはりそこに居てくれる。

いつも嫌味な程、冷静沈着に助言し判断をして、司を助けてくれていたその目は強く優しく見守ってくれていたのだ。

 そして今も。


「そんなに驚く事ないだろ。お前が俺を呼んだんだ。疲れたから美味うまいコーヒーをれろってな」


 -もう迷ったりしない、何があっても守り抜いてみせる


そう紀伊也は自分自身に誓った。

「ああ・・・、オレのわがままに、振り回されっ放しだ・・な」

近づきながら胸が熱く込み上げて行く。

「お前のわがままには、もう慣れてる。それに、それくらいのわがままは、わがままだと思っちゃいない・・・司」

「紀伊也っ!」

自分の一番大切なものの名を叫んで、その胸に飛び込んで行った。

「司・・もう離さない。何があってもお前を守る」

やっと自分自身に素直になれた。

 司の体を抱き締めながら、今まで命がけで守って来た一番大切なものを二度と手離したくない、最期まで傍にいて守り抜きたい、そう強く願っていた。

「紀伊也、やっと気が付いたんだ。お前がオレには必要なんだって。 ・・・っ・・今頃気付くなんて・・・、今更っ・・・、オレ、バカだっ・・・」

「司・・・」

「誰かが居てくれなきゃ、生きられないんじゃない。お前が居てくれたから、ここまで生きて来られたんだ。お前がいなけりゃ、あの時だって、もう・・とっくに死んでた・・・いつもお前が居てくれたんだ。紀伊也が居たからオレ、何でも出来た。こんなに近くに居たなんて・・・、オレにとって本当に大切な人が・・・なのに・・気付くのが遅すぎた・・もう・・・いられない、なんて・・・っ・・紀伊也っ・・・っ・・」

どれだけ強く抱き締めても、紀伊也の大きくて優しい温もりを感じる事が出来るのはあとわずかしかない事に、言葉で表し切れない程の切なさが込み上げて来る。

「司、もう一緒に居られないなんて言うなよ。まだ居られる。それに、今まで俺達何年一緒にいたと思ってるんだ? 25年だぞ。これだけ長く居られたんだ。それだけでも・・・、十分だろ・・・」

自分自身にも言い聞かせるように言うと、唇を噛み締めた。

紀伊也にしても、今の司と同じ気持ちだった。

 司が居たから自分が生きて来られた。

もし、司という存在がなかったら、自分に架せられた定めの中で、どう生きて行っていいか分からないでいたかもしれない。

司は自分にとって、生きる支えだった。

「司が居たから、俺も生きていられた。お前がいなけりゃ、俺の存在はあり得ない。司、お前を愛している。その事に気付いたんだ、だから・・・」

「だから?」

「生きているうちに気が付いて良かったんだ。もう一緒に居られないんじゃない、一緒に居られた事に気が付いて良かったんだ。お互い死ぬ前に気が付いて良かった。死んでからでは遅い。死んでしまったら何もないんだ。お前を亡くす前に気が付いて良かった。俺は司を愛している」

そこまで言うと、とうとう堪えきれなくなった。

一度伏せた目は潤んでいる。

「紀伊也・・・」

司の指が紀伊也の涙をぬぐった。

「オレもお前を愛している。もう何も要らない。紀伊也さえそばに居てくれればそれでいい。紀伊也さえ・・・」

何か言おうとするその震える唇がふさがれた。

司の今にも解けてなくなりそうになるその震える薄い唇を、紀伊也のしっとりとした優しく温かい唇が包んだ。

止め処なく溢れて来る涙は、紀伊也のどんなに優しい指がぬぐっても、ぬぐい切れるものではなかった。

 25年という長い年月の中で、ようやく二人は自分達の本当に大切な人と、真実の愛に気付く事が出来た。

それは、血を分けた肉親でもなく、恋人でもなく、生死を共に分かち合った 互いの存在だった。


 5月の風が吹いた。


まだ肌寒いロンドンの夜、二人は互いの血の通った温もりを確かめ合った。


ニースの丘の別荘に咲く、白いバラの隣に植えられた赤い大輪のバラが一株根元から枯れ果てた。


同じ熱い吐息の漏れる長い夜が明けた時に広がる新しい世界が、受け入れてくれる時間はあとどれくらいあるのだろうか。


「誰かが言ってたよ。離れる程近くに感じるのがきずなだって。それ、オレ達の事だったのかもな・・・」

そう呟くと、再び紀伊也の温かい胸に顔をうずめた。





第十三章・終

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