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第十三章・Ⅲ・別離(四の2)


 メンバーの為に当てられた控え室で、司は一人、ソファに腰掛けてタバコを吸っていた。

これでもう二度と秀也に会う事はないだろう。

あの温もりのある優しく包み込んでくれる眼差しは、もう自分には向けられない。

あの熱い胸は、もう自分を抱き締めてはくれない。

秀也は、もう自分のものではないのだ。

もうこれ以上、ここには居られない、早く去りたい。そう思う反面、もう少しここに居て、秀也と同じ場所で同じ時を過ごしたい、そう思う自分に悩み、ソファから立ち上がる事が出来ないでいた。


 カチャ、とドアが開き、誰かが入って来た。

気にも留めず、足元に向かって吐いた煙を見つめていると、近づいて来た足音が目の前で止まった。

ふと顔を上げ、息を呑んだ。

「秀也・・・」

サイドテーブルの灰皿にタバコを押し付けると、思わず立ち上がった。

「司、今日は来てくれてありがとう。お前のフルート、みんな喜んで聴いてたよ。・・・、司・・・」

まともに秀也の顔を見る事が出来ず、顔をそむけ、微かに肩を震わせている司に気が付いた。

「司、もう・・・」

「さよならだ、秀也」

秀也の言葉をさえぎって顔を上げると、秀也を見つめたが、その瞳は見る間に涙に埋まって行く。

「もうお前はオレだけの秀也じゃない。お前はあいつの為に生きるんだ。秀也はもう・・・、秀也は・・・」

止めなく溢れて来る涙をぬぐおうともせず、秀也の顔を焼き付けておくかのように、じっと見つめた。

自分の為に初めて見せた司の涙に、秀也も愛しさを抑える事が出来ず、思わず抱き締めると、言ってはいけないとは知りつつも、長年の付き合いのせいか、唯一心を許し合えていた仲だっただけに、口に出してしまっていた。

「司、お前の事は愛してる。多分これからもずっと愛してる。忘れる事なんてできないっ」

「秀也、オレだってお前を忘れる事なんて出来ない。これだけお前の事、愛してるのに・・・、なんで・・・、何でだよ・・・」

秀也の熱い胸に抱き締められながら、出逢った頃からの秀也と過ごした日々が、駆け巡っていく。

 初めてライブで秀也を見た時、いつも傍に居て欲しいと瞬時に思った事。

初めて秀也に抱かれた時の事。

ステージの上で、右を向けば必ず秀也と視線が合い、互いの興を頂点に極めていた時の事。

疲れた時、ふと寂しくなった時にはいつも必ず隣に居た。

そして、その温かい眼差しで見つめ、抱き締めてくれた。

 今も ・・・

温もりを感じながら、何故か遠くに感じる秀也を離したくはない。そう感じた瞬間、思わず強く抱き締めていた。

強く抱き締め合う程に、互いの胸の鼓動が大きくなっていく。

秀也が司の体を離すと、二人は互いの求めるまま唇を重ねていた。

愛しているのなら、まだやり直す事が出来るのではないか、そう思ってしまった時、司の中で、悪魔のような和矢の囁きが聴こえた。


『お前の能力で秀也をものにすればいい』


思わずその誘惑に負けそうになった時、秀也が体を離した。

「もう行かなきゃ・・・、司、ごめん」


 何で?


ソファに崩れるように座り込むと、自分の前から立ち去る秀也の背中を見つめ、右手をかざした。

その時、勢いよく扉が開かれ、紀伊也が飛び込んで来た。

 控室の扉の前にいた晃一とナオの様子がおかしかった。

中へ入ろうとしたが、呼び止められ、少し離れた所に連れて行かれると、他愛もない話をし始めたのだ。

『二次会? どうかな。司が行くって言えば行くけど、あの様子じゃな・・・』

さすがにあのフルートの音色からして、もうこれ以上はここに居ない方がいいだろうと思っていた。

『ま、そうだな・・・、けど・・・』

『何だよ。なぁ、中に入ってタバコ吸いたいんだけど』

さっきから今日の式の話ばかりで、紀伊也としても司の事があるだけに、心底喜べない式の話に多少うんざりしていたのだ。

『あ、待って・・・』

晃一の何か言いたそうな顔に、瞬間にして中で何が起こっているのか悟った。

『二人・・きりに、したのか?』

『・・・』

『どうしてだよ!? あれ程言っておいたのにっ。司と秀也を二人きりにするなって!』

『仕方なかったんだよ。秀也も司と話しがしたいって言うし。あいつらまだ、はっきり別れた訳じゃねぇんだろ。このまま二人で話もしないで別れるってのも、あいつららしくねぇと思ったし・・・』

『ばかやろうっ』

晃一を一喝すると、慌てて控室に走った。

今、司と秀也を二人きりにすれば、司が何をするか分からない。

 あの時のように・・・


「司っ!?」

ソファに崩れるように座っている司は、両手をついて肩を震わせていた。

思い詰めた表情の秀也が近づいて来る。

紀伊也が息を呑んで二人を交互に見ていると、すれ違い様に秀也が立ち止まった。

「紀伊也、司を頼む」

そう言い残し出て行くと、扉が閉じられた。

「司?」

恐る恐る近づいて行くと、ソファについた両手の甲にはいくつもの涙が落ちている。

「 ・・んでだよ・・・、愛しているなら、まだやり直せる・・のに、何でだよ・・・」

「司?」

「 ・・・、紀伊也・・・、殺してくれよ・・・。あいつを殺してくれよ・・・、今ならまだやり直せる・・・、紀伊也・・・」

「何バカな事言ってんだっ、司っ、もう終わったんだ。秀也とは終わったんだ。忘れろっ、秀也の事は忘れろっ」

震える肩に手を置き、あの時と同じ事を言った。

「なら、殺してくれよ・・、オレを殺してくれよ・・・、頼むよ・・、殺して・・っ」

そう言いながら紀伊也の両手を掴んで、自分の首に持って行く。

そして紀伊也の手に自分の手を重ねながら、力を入れ絞めていった。

 扉を開けた二人は愕然とし、一瞬入口で釘付けになったが、急いで扉を閉めると鍵をかけ、慌てて駆け寄って、紀伊也を引き離した。

「何やってんだよっ!?」

驚いた晃一は、司のその顔を見て更に驚き、思わず顔をそむけた。

「何やってんだよっ!?」

もう一度、今度はナオが怒鳴ったが、それは悲鳴に近い声だった。

「もうこれ以上、司を苦しめないでくれっ」

紀伊也はそう叫ぶと、晃一を突き飛ばし、司の涙に濡れた顔を自分の胸に伏せ、その震える細い肩を抱き締めた。


 ******


 深夜半過ぎ、小雪が降り出した。

昼間の陽気とは打って変わって、とても静かで少し淋しさを感じるような夜だ。

 灯りを点け、湯を沸かしてコーヒーを淹れていた。

少し飲み過ぎたせいもある、この別荘に着いてすぐに眠ってしまった。

泣き疲れて軽い発作を起こし、そのまま抱きかかえられるように、ここに連れて来られたのだ。

 もうこれ以上はこの地に居たくない。

目が覚めた時、そう思いそっと起き出して仕度をした。が、その前に一杯だけコーヒーが飲みたかった。

「また一人で行く気か?」

背後からの声に、ビクッとして振り向くと、身支度を整えた紀伊也が、呆れたような表情で立っていた。

「紀伊也・・・」

「俺の分も淹れてくれ。たまにはいいだろ」

そう言うと、コートを置いてソファに座った。

司は黙って元に向き直り、カップを二つ用意するとコーヒーを注いだ。

「紀伊也、ごめん。オレ、また取り乱した・・・」

カップを一つテーブルに置くと、立ったままカップに口を付けたが、持つ手が微かに震えた。


 また、心配をかけた


あの時も、和矢が帰った後、今日と同じように取り乱して、力いっぱい首を絞めてもらった。

誰かに殺して欲しかったのだ。

このままいつか苦しんでどこかで死ぬのなら、今すぐ誰かに殺してもらいたかった。

いつもどこかで必ず気を遣ってくれる紀伊也に、もうこれ以上は甘えられない。そう思うと、このまま一人で発とうと思っていたのだ。


 それなのに・・・、また、だ


「司、無理するな。せめて今は俺の前でくらい素直になったらどうだ? 取り乱したって構わない。それに、それだってお前はお前だろう。いつも完璧でいる必要なんてないさ・・・。お前のコーヒーも美味うまいよ」

そう言ってコーヒーを飲んだ。

 司は思わずソファの後ろに座り込み、紀伊也と背中合わせにコーヒーを飲んだが、そのコーヒーも自分の涙で少ししょっぱかった。

「雪が本降りになる前に帰ろう」

立ち上がると、紀伊也はコートと車のキーを掴んだ。

 東京へ向かう車の中で、隣でハンドルを握る紀伊也の手を横目に、司は一言も発せず、流れる暗闇を見つめていた。



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