第十三章・Ⅲ・別離(四)
別離(四)
冬晴れの中、教会の鐘が響き渡り、白いウェディングドレスを着た花嫁と、白いタキシード姿の秀也が姿を現すと、皆こぞって祝福の歓声を上げた。
空高く舞ったブーケが足元に落ち、それを見つめて顔を上げると、一瞬、微笑んだ秀也と目が合った時、静寂が自分を囲んだ。が、次の瞬間、隣にいた晃一に思い切り肩をど突かれ、周囲の声にも導かれて、それを拾わざるを得なくなってしまった。
更に歓声が大きくなる。
それを拾い上げると、戸惑った挙句、隣にいた紀伊也に慌てて突きつけた。
「何だよ司、せっかくお前が拾ったのに。花嫁のブーケを受け取ったヤツが、次に結婚できるんだとよ。お前も幸せになれんじゃないの?」
晃一が茶化す。
「ばあか、んなもんもらったって嬉かねェよ。そんなに秀也にあやかりたいなら、お前がもらえば?」
司も言い返した。
「ああ、じゃ、そうしようかなぁ。紀伊也ちょーだい・・・、あれ?」
見れば紀伊也の手にはない。
「あ、ごめん。あげちゃった」
紀伊也の指を辿ると、恐らくゆかりの友人なのだろう、ブーケを抱えて喜んでいるのが見えた。
「そーいう事だ。残念だったねェ、晃一くん」
司は嫌味っぽく鼻で笑ったが、その後すぐ腹を抱えて笑い転げた。
パーティーが始まるまでの間、皆は控え室で談笑していたが、その中に司の姿はなかった。
「司、風邪ひくぞ。せめてコートくらい着ろ」
外の渡り廊下でタバコを吸っていると、肩からふわりと黒い毛皮のコートが掛けられた。
「しっかし、秀也もわざわざこんな寒い所でやらなくてもいいのにな」
暖冬のせいもあり、12月になっても雪の降らないここ軽井沢では、冷たい空気が肌を刺していた。
「東京よりはいーんじゃないの、静かで」
「確かにな」
針葉樹の緑は残るものの、枯れ木が立ち並ぶ雑木林を見つめた。
「司」
「ん?」
「大丈夫か?」
「ああ」
先程まで見せていた笑顔とはまた別の、妙に憂いた優しい表情をした司の横顔が、紀伊也には少し眩しく見えた。
しかしそこから感じるものは、何故か寂しさだった。
教会に響くパイプオルガンの音色も、聖歌隊が歌う賛美歌も、どこか遠くの方で聴こえていた。
目の前で優しく微笑む秀也の横顔が、まるでスクリーンの中の映画のように遠くに感じた。
幸せのオーラが二人を包んでいた。
自分にとって、秀也は一体何だったのだろう
どういう存在だったのだろう
そんな思いで秀也を見ていた。
「司、紀伊也、こんなとこにいたのか。そろそろ始まるぞ」
晃一が二人を呼びに来ると、三人揃って会場へ入って行く。
披露宴が始まり、決められたように祝辞が述べられて行くが、慣れない固い話に司たちメンバーは、いささかうんざりしながら聞いていた。
ようやく乾杯までこぎつけると、晃一が音頭を取った。
「えー、請謁ながら 元ジュリエットのメンバーで、わたくし矢神晃一が音頭を取らせていただきます。えー」
少し緊張しているのか、ふざけているのか、ニヤけて秀也を見る。
「晃一、前置きはいいからさっさとしろ」
すかさず司が不機嫌そうに横槍をいれる。
「チっ、リーダーのご命令とあれば ・・・。とにかく秀也、ゆかりちゃん、おめでとう。俺達仲間は心からお前等の幸せを望んでるよ。な、司」
突然振られたが、司はグラスをかかげると、秀也を見つめた。
「ああ」
晃一は満足気に司を見ると、すぐ向き直り、グラスを高々と掲げた。
「では、須賀夫妻の末永い幸せを祈って、乾杯!」
会場にいた全員が笑顔で二人を祝福すると、一斉に拍手が起こった。
司は一気にグラスを空にすると、黙って席に着いた。
さすがにこのテーブルの盛り上がりは他と比べると異様だった。
相変わらず司と晃一が飛ばしている。それに加え、今日はナオもチャーリーも、盛り上がっていた。
しかし紀伊也は、表面上は皆に合わせてはいたが、内心はいつになく冷静だった。
「あそこのテーブル、本当に楽しそうね」
目を細めながらゆかりが秀也に囁いた。
秀也はずっと、司を目で追っていた。
もしかしたら、今日は来ないかもしれない。どこかでそう思っていた。
神父の前でゆかりを待つ間、司の姿を見つけた時はホッとしていた。
1ヶ月前に会った時も、無理に明るく振舞っていた事に気になったが、仕方がない。
晃一からも、司がショックを受け、更にショックの上塗りをする気かと言われた時は、司の為だと思ったが、本当にあれで良かったのかと、少し後悔もしたりしていた。
あの時も思ったが、やはり顔色が優れない。
「心配?」
「え?」
司を見ている事に気付いたのだろうか、ゆかりが少し笑いながら秀也の耳元で言う。
「だってあそこのテーブル、物凄いペースでワインが無くなっていくのよ。 私の友達の席なんて全然空いてないのに。他のテーブルの倍以上の量が無くなって行くの。足りるかしら?」
確かに言われてみればそうだが、当然の事だけに驚いたりはしない。
それに、そんな事くらい初めから承知だ。
恐らくあいつらでも、飲みきれない程の量は用意してある。
「いつもの事だから心配する事ないよ」
「でも司さん、まだ体調そんなにいい訳でもないんでしょ? 何かの雑誌に載ってたわよ。それ理由にテレビ出演断ってるって」
「心配するなって、そんなの言い訳の一つだよ。あいつらしいよ」
笑って応えたが、なぜか心底笑えなかった。
ワインの飲み方一つにしても、タバコの吸い方にしても、以前とは違って見えた。
何か自分自身ごまかしているのか、何かを隠しているのか、そんな風にも見えた。
ゆかりがお色直しの為に出て行った後、秀也は皆のテーブルに行った。
ピューっと、口笛が吹かれ、メンバーの歓迎に合う。
「おい、秀也、何とか言ってくれ、司のヤツ、すっげー飲み過ぎなんだよ。これじゃ、余興なんて出来る訳がない」
晃一が呆れながら秀也の肩に手を廻した。かなりいい気分になっている。
「うるせェな、てめェに言われたくねぇよ」
いい加減にしてくれと言わんばかりに言い返すと、タバコに火をつけた。
「それにしてもあれだな、もう秀也を頼りに出来ないな」
その瞬間メンバー全員の視線を浴びたチャーリーは、ギョッとしたが、
「だって、何かと秀也の事、頼ってたろ。それに機嫌悪くなった時なんか、秀也が安定剤みたいなもんだったから、俺も助かっちゃったけど、これからその秀也が本当にいなくなっちゃって、司一人だもんな。大丈夫かなぁ」
全員に息を呑んで見つめられたチャーリーだったが、酔いのせいもあり、一向に気にする事はない。
「ねぇ、司、一人でも大丈夫? 他のスタッフもみーんな心配してんだよ。並木さんの事もあったしね。ホント、ボロボロになっちゃったみたいだから、本当はもう再起不能かと思ったよ。けどまあ、何とか立ち直ってくれたから、よかったけどさぁ」
「あのなぁ、司をボロ雑巾呼ばわりするなよ 」
何とか晃一が静まり返ったメンバーを促すが、誰も付いて来れない。
横目で司を見るが、表情一つ変えずに、タバコを吸って煙を天井に吐いていた。
「ね、司、秀也にはさ、ゆかりさんという奥様がいるんだからあまり心配かけないようにね。もう頼っちゃダメだよ」
「分かってるよ」
ぼそっと呟くように言うと、タバコを灰皿に押し付けた。
「ホント?」
「解ってるよっ、それくらい。うるせーな、だいたいチャーリーは、何だかんだ言って、自分に迷惑がかかんきゃそれでいーんだろーがっ、ったく」
声を荒げ、忌々しそうに言うと、ガッとグラスを掴んで残りのワインを飲み干した。
固唾を呑みながらチャーリーの言葉を聞いていたメンバー全員は、一気に酔いが醒めてしまった。
新婦のお色直しの後、キャンドルサービスが始まったが、その間、テーブルに司の姿は見えなかった。
キャンドルサービスが終わる頃、黒いケースを抱えて戻って来た司は、黙って座ると、皆の喝采を浴びた二人を一瞬見ただけで、すぐに視線をそらせてしまった。
ほんの数十秒という短い時間でも、二人が並んでいる姿を見る事が出来ないでいた。
紀伊也がピアノの前に座り、司がその傍らでフルートを構えると、一斉にフラッシュが焚かれるが、気にする事なく目で軽く紀伊也に合図を送ると、紀伊也の指が鍵盤の上を滑り出し、同時に会場が静まり返った。
司がフルートを奏でると、秀也はじっと司を見つめた。
以前何度かパーティーの席で、秀也のギターに重ね、司が奏でていた「マイウェイ」だった。
曲の流れと共に、司と過ごしたあの頃の日々が、走馬灯のように駆け巡る。
週末、小さなライブハウスで行われたライブはいつも盛況で、ライブの終了と同時に、必死でファンから逃げ、その後二人でドライブに行った事もあった。
土曜の夜を秀也のアパートで過ごし、日曜の夜を司のマンションで過ごし、月曜の朝、制服を着た司を高校まで送って行った事も数え切れない。
司がイギリスに行っている間は、会う事が出来なかったが、夜中に突然電話が来たり、手紙で近況の報告があったりした。
デビューしてからは忙しくなって、二人きりで何処かへ出かける事は出来なかったが、ライブの後の夜を過ごし、共に余韻に浸りながら酒を呑み、タバコを吸い、互いを求め合い、と同じ時を生きて来た。 しかしそれももう叶わない。
秀也は急に胸が締め付けられると、唇を噛み締めた。
曲が終わり、司は秀也を見つめて目を伏せ、軽く一礼すると、再び目を開けて秀也に視線を送ったが、その瞳は少し潤んでいるようにも見えた。
一斉に拍手が起こり、その中を黙って席に着いたが、司を迎えた晃一とナオは、切なそうに司を見つめていた。
今日の音色程、切なく哀しいものはなかった。
紀伊也もピアノを弾きながら、司の音色を聴いて胸が締め付けられて、それがまた、紀伊也の奏でるピアノの音色にも表れていた。
披露宴が終わり、会場を出る時、秀也の両親と顔を合わせた司は、一瞬戸惑ったが、軽く頭を下げると何も言わずその場を去った。
「司くん」
突然呼び止められ、振り向くと秀也の姉だった。
晃一にも劣らない嫌味の応酬を交わしていた。
「何だ、まだ生きてたのか」
「あんたこそ、この前死んだんじゃなかったの? 余程、悪運強いのね」
「うるせーな、何か用かよ」
「あたしはてっきり、あんたが義妹になるかと思って、楽しみにしてたんだけどね・・・」
少し上目遣いに言ってみる。
「ふんっ、そいつぁ おあいにくさま。 残念だったな。オレよりも可愛い義妹ができたんで、小姑としちゃ、イビリ甲斐ってもんがねぇんだろ」
鼻で笑うと、舌を出した。
余りに淡々と嫌味を言う司に、大した表情も見られない事に、やはり心配になって、思わず口をつぐんでしまった。
「 ・・・、 そうね、つまらないわね。秀也にはデキすぎの子よ」
「良かったじゃねぇか。おやっさんとお袋さんも喜んでんだろ。だったら何よりじゃねぇか」
「まぁね」
「何が言いてぇんだよ」
「もう、あんたに会う事もないのよね・・・」
「そうだな」
「 ・・・、うちの両親もホントはあんたの事、心配してんのよ。秀也とは長かったから」
そう言ってちらっと、入口に立っている両親に視線をやると、司も同じように視線を送った。
秀也の両親は好きだった。
高校生の時は秀也がいなくても、一人で夕飯を食べに行ったりしていたし、デビューしてからも、静岡でライブがあった時には顔を出したりしていた。
特に母親の作る料理は格別に美味しかった。
司は母親に食事を作ってもらった事が一度もなかったので、これがいわゆる「お袋の味」なのか、とエラク感激したし、それに対して母親の方も我が子のように親切にしてくれていた。
父親とも気が合い、秀也がいない時には、息子の代わりに一緒に酒を呑んだりもした。
姉には恋人のフリをさせられ、しつこい男を追い払ったり、姉の嫌いな友人の自慢に付き合わされたりしたが、それも楽しんでやっていた。
思い出すほどに切なくなる。
「心配する相手を間違えてんじゃねぇよ。そう言っといてくれ。オレはもう関係ない」
突き放すように言うと、背を向けた。
「司くん、大丈夫?」
「・・・、ああ」
目を閉じて返事をすると、そのまま歩き出して止まると、振り返った。
「バカ姉貴、弟に先越されてんじゃねぇよっ。 さっさと嫁に行って、親孝行してやれっ」
舌を出して軽く手を上げると、その場を去った。
両手をポケットに入れながら去って行く司の後姿が本当に寂しそうだった。