第十三章・Ⅱ告知(二)
告知
ふぅー・・、ようやく終わったな・・・
煙を窓に吐き付けながら一つ溜息をつき、庭の一角を見つめていた。
しかし、よくあの時、Yの攻撃を跳ね返すだけの力が残っていたものだ。
まともにヤツの冷気を浴びていたら・・・
ここにはもう来る事は出来なかっただろうな ・・・
「タランチュラ・・・、恐ろしい人物だな。本当に人間なのか?」
窓に映った自分の姿に呟いて思わず苦笑すると、窓に背を向けてもたれながら天井に向かって煙を吐くと、目を閉じた。
******
『お前は何の為に生きている?』
能力者にしては至って謙虚な男だった。
紀伊也のように冷静で、まるで哀れむかのような眼差しを向けられ、そう訊かれた。
『何の為に?』
思わず聞き返した。
一瞬の油断が命取りになるとは分かってはいたが、Yは攻撃して来るどころか、身構えもしなかった。
『そうだ。せっかく、それだけの能力を持って生まれて来たというのに、まるで人形のようにヤツらの言い成りになって、能力者狩りをしているだけでいいのか? それを生かして、自分の為に生きてみようとは思わないのか?』
その青い瞳が哀しげに自分を見ているような気がした。
『お前は何の為に生きている? 誰の為に生きている? 能力者として生まれて、お前は幸せなのか?ヤコンスキー』
司は思わず、Yに向いていた。
『その名で呼ばれるのも久しぶりだ。私は誰の為でもない、自分の為に生きている。もしタランチュラ、お前に会う事がなければ、過去の忌まわしい出来事を忘れ、亡くなった妻の冥福を祈りながら静かな余生を送りたかった。 そう、何者にも束縛される事もなく、自分の人生を。お前はまだ若い、まだ自分を見つめ直すチャンスはいくらでもある。自分の為に生きてみてはどうだ、タランチュラ』
この状況の中、自分を諭すような事を言うYが信じられない。
次の瞬間、殺気にも似たYの瞳を見た時、司は右手をかざしていた。
『黙れっ、オレはオレの為にお前を捕れて行く。ただ、それだけの事だっ』
Yの放った冷気を一気に封印していく。
『哀れだな、タランチュラ』
そう最後に言葉を残し、全ての能力を封印されたYはFSBに連れて行かれた。
******
自分の為に生きてみろ、か・・・
笑わせてくれる・・・
今更何を・・・
『司として、自分で探して選んだ道を生きて行くって、約束したんじゃないのかっ!?』
紀伊也の言い放った言葉が、耳鳴りのようにリフレインしていく。
「うるさいっ、黙れっ」
目を見開いて思わず叫ぶと、テーブルまでつかつか歩み寄り、灰皿にタバコを力強く押し付けた。
っ!? ・・・つぅーーっ・・・
突然、こめかみの辺りを鋭い刃物のような物でえぐられるような痛みが刺した。
じりじりと細かい棘のある縄で締め付けられていく。
立っている事ができなくなり、テーブルの角に手を掛け、その場にうずくまった。
更に痛みが激しくなり、頭を抱えると必死に耐えた。
はぁっ、はぁっ・・・
それに追い討ちをかけるかのように、呼吸が不規則に乱れて行く。
いきなり心臓が飛び出しそうな勢いで、バクバク言い出し、締め付けられて行く。
っく・・・
とうとう堪えきれなくなって、床に倒れてしまった。
必死で目の前の空気を吸おうと息をし、締め付けられていく胸を押さえた。
が、苦しさは増すばかりだ。耐え難い激痛が胸を襲う。
ドアがノックされ、扉が開いた瞬間使用人が悲鳴を上げると、彼女を押し退けユリアが飛び込んで来た。
床に倒れ、苦痛に耐えている司に駆け寄って抱き起こすが、その表情から何かを読み取ると、とたんにユリアの顔色は蒼白になり、司を強く抱き締めた。
「ツカサ・・・、しっかりしてっ・・・、まだ、まだよ・・・」
だが、口から血を流して、そのまま司は意識を失ってしまった。
******
どれ程の時が経ったのだろうか、あの激痛が引き、目が覚めると見慣れた自分の部屋の天井がある事に気付いた。
傍に人の気配を感じてゆっくり視線を移すと、ユリアとその隣に、雅が思い詰めた表情で自分を見下ろしているのが見えた。
「ユリア・・・、ボン・・?」
何故ここに雅がいるのか分からない。
「ボン、いつここへ?」
「昨日だ」
「昨日?」
「そうだ、ユリアから連絡を受けて、今日で4日になる」
「え? 4日・・?」
信じられないと、ユリアを見るが、ユリアは今にも泣き出しそうになるのを必死で堪えているようだった。
「ユリア?」
思わず体を起こしたが、ふと自分の体に違和感を覚え、息を呑んだ。
自分の体から、ある期を感じた。
自分でも信じられないと、二人に交互に視線を送ったが、ユリアも雅も司と目が合うと、即座に目を反らせた。
それが答だった。
「あと、どれくらい・・・?」
思わず呟いていた。
二人共に無言だ。
ユリアが思わず顔を背けて目を閉じると、その瞼からは涙が溢れて来ていた。
「あと、どれくらい・・・、生きられるの?」
もう一度、訊いた。
雅と目が合うと、雅はじっと司の目を見つめた。
「10年は・・・ないだろう・・・」
そう言うと目を伏せた。
「そう」
雅から視線を外すと、目の前の窓から見える青い空に流れる白い雲を見つめた。
10年か・・・。10年あれば充分だ。
もう一度、やり直せる
思わず、そう思った。
『まだ、自分を見つめ直すチャンスはある』
彼の言葉が寄切った。
そうだな、まだチャンスはあるな
「無理し過ぎよっ! ・・自分の体が完全でないのに、無理して酷使し過ぎたのよっ! ツカサっ、あなたのせいよっ!」
泣き叫ぶユリアに思わず苦笑してしまった。
確かに言われる通りだった。
何かを無理にでもしていなければ、気が狂いそうだった。
自分より大切に信じていた秀也を失い、ジュリエットを失い、そして唯一救われた気がしていた並木も失い、全てを失くしたと思った時、もうどうしようもなくなっていた。
自分の体も一度は失い、紀伊也に助けられたと知った時、自分の体が自分でなかったのが分かった。
違和感を覚えていた。
それが更に悩ませていた。
指令を受け、忠実にそれを遂行して行く事で、自分自身を誤魔化していた。
タランチュラとしている時にも、以前のように冷酷でいられなくなっていた。
何故かよく分からない。
自分自身がよく解らなくなっていた。
何がこんなにも自分を責め、苛立たせていたのか、ようやく解った気がした。
自分の死期が近づいていた。
司は一度目を伏せ、再び目を開けるとうつむいた。
「ボン・・・、この事を知っているのは?」
「俺とユリアだけだ」
「そっか・・・、Rには、お前から報告しろ、義務だからな。・・・けど、紀伊也には知られたくない」
「え?」
「あいつにはこれ以上、心配かけたくないんだ。頼む」
そう言うと、目を伏せた。
どれだけ突き放しても、事ある毎にどこに居ても、駆け付けてくれる。
気が付くと、何も言わずいつも心配そうに自分を見ていた。
これ以上余計な心配をかけたくなかった。
ましてや司が、もうこれ以上生きられないと知ったならどうするだろう。
この先は恐ろしくて、考える事も出来ない。
「頼む、紀伊也にだけは知られたくない」
思い詰めたように言う司に、雅とユリアは顔を見合わせた。
「わかった」
「ツカサ、もうこれ以上は無理しないで、お願いよ」
ユリアは泣き崩れると、司の膝の上に顔を埋めた。
「泣くなよユリア・・・まだ、死ぬと決まった訳じゃない」
優しくユリアの髪を撫でながら、何かを決意したかのように、窓の外へ目を向けた。