第十三章・『運命』・Ⅱ告知(一)
自暴自棄になってしまった司を悩ませていたもの、それは・・・。
『運命』 Ⅱ・告知(一)
「あなたが犬に吠えられるなんて、珍しい事もあるものね」
突然、背後から声を掛けられて振り向くと、ユリアが立っていた。
ちょうど公園を散歩に来ていたゴールデンリトルリバーに手を出そうとした所、尾を振って来るどころか、吠えられてそのまま行かれてしまったのだ。
ふぅーっと、諦めたように息をついて、遠くを見つめた。
「なぁ、ユリア、サラエコフの能力の事、信じる?」
挨拶もなしに、公園で遊んでいる若者達に目をやりながら訊いた。
ユリアは紀伊也の隣に腰掛けると、同じように彼等を見つめた。
「ツカサが操られているって事?」
「信じたくはないんだけど、あいつの誕生日から全てが悪い方へ、動いている気がしてならないんだ。カズヤの言うとおり、周りを巻き込んで、運命が丸ごと変わってしまっているような感じがする。あれからあいつにとって、何一つ、良い事なんてなかった。それどころか、最悪な結果になってしまった。唯一頼みだったナミキが死んでからこの3ヶ月で10人の能力者が始末されている。 表に出ているだけで、10件だ。表に出ないのも合わせると、30件くらいカタついてるんだろ? 異常だよ。一体ツカサはどこにいるんだ?」
並木が亡くなったと聞き、急いで帰国した。
通夜には間に合わなかったが、葬儀の時もその後も、司は涙一つ見せずに過ごしていた。
余程ショックだったのだろうか。 表情一つ変えず、無言でいた事に気にはなっていたが何も聞けなかった。
その後、透からの報告でも、並木のアルバムの発売をどうするか等をめぐって、司が追悼の意を込めて歌う事が決まり、その打ち合わせをしている間も、黙ったままで、ほとんどスタッフの言いなりだった事にも気になった。
その打ち合わせの最中に、並木の話題が出た時、席を立ち、そのまま姿を消してしまったのだ。
スタッフは勿論、透もどうしていいか途方に暮れたまま、3ヶ月が過ぎていた。
紀伊也もあらゆる手段を使って、司の居所を突き止めようとしたが、いつもすれ違いで、指令が果されれば、その後の司の行方は誰も知らず、完全に姿をくらましていた。
指令は確実に実行されてはいるが、それは今まで以上に残虐なものだった。
死んだ者は勿論だが、捕らえられた者も、タランチュラに限らず、必ず何らかの毒を浴びていた。
「ユリア、本当にツカサがどこにいるか知らないの? ナミキがいなくなった今、誰があいつを救えるんだよ」
深刻な顔をして、心底並木の死を悔いている紀伊也に、ユリアは首を傾げた。
「キイヤ、何故あなたがそこまで、ナミキさんの事を悔やめるか、解らないわ。だって、あなたが彼を葬ったんでしょ?」
「俺が? 何故そんな事をしなきゃならないんだ。今のツカサにはナミキが必要だったんだぞ」
「でも、ショウが言っていたわ。彼を殺したのはハイエナだって。ツカサがそう言っていた、と」
「え?」
「え? って、あなた知らないの? ショウは、カズヤに指令を出していたのよ。Rから言われ、彼を葬るように。結局ハヤブサの能力が完璧じゃなかったせいか、彼の運が良かったのかで、失敗したらしいけど。ナミキさんは運転中に、飛び出して来た犬を避けようとして事故に遭ったんでしょ。犬を操れるのは、あなただけでしょ? だからてっきり、あなたが指令を実行した・・・・と・・・キイヤ?」
徐々に青ざめて行く紀伊也に、ユリアは口をつぐんでしまった。
「指令? ・・・指令って、何の事だよ。俺は何も知らないぞ。それに・・・、使令する能力は失われてしまった・・のに」
「キイヤっ、あなた本当に知らなかったの?! ツカサは、あなたに裏切られたって、 ・・・そう言って、行方をくらませたのよっ」
驚いたユリアは、食い入るように紀伊也を見つめた。
ユリアも並木を死に追いやったのは、紀伊也だと思っていた。
やはり紀伊也は何事にも流されず、無感情で冷静冷酷な男なのだと、改めて思った程だった。
しかし、指令が出ていた事も知らず、ましてや犬を操る事すら出来なくなったというのであれば、あれは本当に単なる偶然の事故だったのだろうか。
ユリアは、先程紀伊也の言っていた「サラエコフの能力」について、疑わざるを得なくなり、何か背筋が凍るような思いがした。
******
司と音信普通になってから、半年近くが過ぎた冬のある夜、晃一はちょっとした噂を小耳に挟み、車を走らせマンションの前で車を止めると、最上階を見上げ、カーテンの隙間から灯りが漏れているのを確認すると、ホッとしたように携帯電話を取り出した。
トゥルル・・・、 トゥルル・・・
部屋の電話が鳴り続けているが、取ろうとしない。
というよりは、体がだるくて動こうにも動けずにいた。
それに、出る気もしなかった。
しばらくして、音が止んだが、再び鳴る。
それが3回程続き、鳴り続けている電話を見つめていたが、呆れたようにフッと、笑ってしまった。
ったく、あいつ・・・
手を伸ばし、受話器を取上げると、耳に当てた。
「やーっと、出たか。 ったく、俺だって分かってんならさっさと出ろ」
「しつけェんだよ、晃一は・・・、ゲホっ、ゲホっ・・・」
懐かしい声に苦笑しながら出たが、思わず咳き込んだ。
この所の無理が祟って風邪をこじらせたのだ。
次の指令を受けようと日本に戻って来たのだが、発熱の為に自宅で寝込んでいたのだ。
「風邪か? 熱は?」
「大した事ない。何か用か?」
「お前のやつれた顔を見に来てやったのさ。今から行くからな」
そう言って晃一は電話を切ると、車から降りて司のマンションへ向かった。
司はチッと舌打ちすると、ベッドから這いずるように下りて居間へ向かった。
司がソファに腰を下ろすのと、玄関のチャイムが鳴って鍵が開き、ドアが開かれるのが、同時だった。
ふぅーっと一息ついて、クッションに倒れ掛かると、晃一が顔を出した。
「相当、重症だな」
「大した事ないと言っている。 ただ、疲れただけだ」
チッ、相変わらずだな
晃一は苦笑すると、買って来たペットボトルを冷蔵庫に運んだ。
冷蔵庫を開けると、相変わらず何も入っていない。
しかも台所はここ数ヶ月、誰も使っていないかのように冷んやりしている。
玄関に入った時も、居間へ入った時にも感じたが、ここで司は生活していないような気がした。
2、3日前、東京で司らしき人物を見かけたと小耳に挟み、それが本当かどうか確かめるべく、聞いたその日から司のマンションを度々往復していた。
昨日まで点いていなかった部屋の灯りが、今日になって点いたので、やはりあの噂は本当だったのだと、胸を撫で下ろしたのだ。
水とグラスを持って居間へ戻ると、何処かへ出かけるのか、それとも帰って来てそのままなのか、黒いハイネックのTシャツに、黒い皮のパンツを穿いたままの司が、ソファに仰向けになって寝ている。
額に当てた手は細く、顔色も冴えない。
服の上からでも、げっそり痩せ細ってしまっているのが分かる。
ジュリエット解散から1年以上が過ぎた。
司が事故に遭ったと聞いた時には、生きた心地がしなかった。
紀伊也と情報交換する中でしか、司の様子は分からなかった。
晃一も、自分の事とナオと秀也の事で、手一杯だったせいもある。心配だったが、司の事は紀伊也に任せるしかなかった。
紀伊也としてもそれは、承知していた。
とにかく皆、自分の事で精一杯だった。 一寸の余裕もなかったのだ。
並木の葬儀の時も、司には声すら掛ける事が出来なかった。
まるで、11年前の亮の葬儀を見ているかのようだったからだ。
秀也も司の様子に驚きを隠しきれず、あの時、司を責めた事をずっと後悔し続けていた。
晃一もナオも秀也も、司が気懸かりだった。
三人を取り囲む新たな友人達も、三人の前で司の話だけは、タブーだった。
とにかく晃一は司が心配で、週に一度は必ず、ニューヨークにいる紀伊也と連絡を取っていた。
「何見てんだよ」
ぼそっと呟くように言う司の声には、以前とは違った何か恐ろしいものを感じた。
「なぁ 司、皆心配してんだぜ、お前の事。少しは連絡くらい寄こせ」
グラスをテーブルに置くと、隣のソファに座った。
「心配? 別に心配されるような事はしてねぇよ。それにもう、お前等とは関係ねぇだろ」
「あのなぁ、お前が事故った後、姿くらまして、どれだけ俺達が心配したか。それに、並木が死んだ後だって、誰も連絡取れなくなって、紀伊也だって心配して、東京とニューヨークの往復なんだぜ。俺達は別にいいとして、せめて紀伊也には連絡しろよ。今のお前にはあいつしかいねぇだろ」
怒り半分、呆れながら司に視線を送る。
「あいつの名前を口にするな」
「え?」
目を開けて、天井を睨むように見つめている。
「何でもない。 ・・・、いいからもう帰ってくれ。オレの顔を見に来ただけなんだろ? 用が済んだら帰ってくれっ」
吐き捨てるように言うと、体を起こして、晃一を睨み付けた。
「司?」
冷たく突き放すような目をしていたが、どこか寂しげな瞳をしている。
晃一と目が合うと、思わず目を反らして溜息をついた。
「すまない・・・心配かけた事は謝るよ。悪いけど、一人にしてくれないか」
そう言って立ち上がると、寝室に戻りかけた。
「ここで、酒、呑んでもいいか?」
「勝手にしろ。オレは休む」
背を向けたまま答えると、ふらつく足取りで、そのまま寝室へと入って行った。
******
しばらく晃一は、居間のソファで音楽を聴きながらバーボンを飲んでいた。が、やがて立ち上がると、電話の傍へ行き、受話器を取上げた。
「もしもし、・・・あ、うん、あの噂は本当だったよ・・・今? 司の部屋・・・ああ、分かった、じゃ」
それから30分程すると、そっと玄関のドアが開き、居間に誰かが入って来た。
「司は?」
「寝てるよ。風邪ひいて熱あるみたい。相当だるそうだった。それよりお前に訊きたいんだけど、司の事」
言いながら晃一は、二つのグラスにバーボンを注いだ。
「あいつ、ホントに大丈夫なの? 何だか人が変わっちまったみたいだ」
晃一はタバコを一本抜くと火をつけ、天井に向かって煙を吐いた。
「俺にもよく分からない。並木の葬儀の後から会ってないから。 ・・・けど、司が変わったのは事実だろうな。 というよりは、変わらざるを得なかっただろう ・・・、解散してから事故の後、ニースで大変だったみたいだから。俺も会う事が出来なかった」
「そんなに?」
一息ついてバーボンを飲んだ紀伊也に晃一は驚いた。
電話でも何度か聞いてはいたが、改めて聞くと、やはり驚きを隠せない。
「しばらく食事も取らなかったらしい。 拒食・うつ・発作、その繰り返しだよ。司に何か訊いて、考えたりすると、すぐ発作だ。 誰も何も訊けなかった。それが3ヶ月も続いたんだ。突然電話をもらった時は本当に嬉しかったよ。すぐ行ければ良かったんだけど、仕事の都合で、一週間程行けなかった。行った時には既に並木が来ていて、ああ、あいつが司を何とかしてくれたんだって、すぐ分かった。元の司に戻っていたからな。並木のプロデュースして、全て元に戻ったと思ったんだけど・・・なのに、並木が・・・」
「俺も驚いたよ。 ・・・司と並木って、その・・いい関係だったんだろ?」
一瞬間が開いたが、紀伊也はちらっと晃一を見ると、黙って頷いた。
結果どうあれ、それで司が立ち直って元に戻ってくれればそれでいい。そう思っていた。
それに、実際司は立ち直りかけていたのだ。
それなのに、Rの指令によって、並木は・・・っ
紀伊也は思わず唇を噛み締めた。
「なぁ 紀伊也、司って一体・・・」
「晃一」
晃一は黙った。
やはり、訊いてはいけない事なのだ。
司が今までどんな生き方をし、今何をしているか知りたかったが、それは到底知ってはいけない事だった。
「ごめん・・・。それより紀伊也、お前、司と何かあった? あいつ、お前の名前を口にするなって、言ってたから」
一瞬息を呑んだ紀伊也だったが、再びバーボンを飲むと、首を横に振った。
「何でもないよ」
「そ、ならいいけど。今の司にはお前しかいないんだから、司の事頼むよ。何かあったら言ってくれ。あいつも俺には今まで通り無理して同じように接してるから、さ」
そう言うと、タバコの火を消して立ち上がった。
「紀伊也」
「ん?」
居間を出て行こうとする晃一が振り向いた。
「司の事、お前に預けたから」
「 ・・・、ああ」
一瞬の沈黙の後、紀伊也が返事をすると、晃一は安心したように出て行った。