第十三章・Ⅰ指令(四)
指令(四)
「しばらくは安静だな」
体中から管を伸ばした司を見下ろしながら、雅は首を横に振った。
能力の使用と共に、体力の消耗が激しすぎる。
慎重に検査せねばならないが、司の体の中で、何か異変が起きているかもしれない。
雅はすぐに、ユリアと連絡を取った。
それからしばらくして、並木が帰国して来ると、司も毎日のように見舞いに訪れた。
別に何の話をする訳でもなく、顔だけ見て安心したようにすぐ帰ってしまうのだが、それでも並木は嬉しかった。
滞っていたレコーディングが再開されたとある夜、並木の部屋で寄り添っていた司は、ふと顔を上げると、
「ねぇ、並木の考える幸せって、何?」
と訊いた。
「え?」
突然、思いもかけない事を訊かれ、戸惑ったように司を見つめると、何か考えるような真剣な瞳をしている。
「普通の幸せ?」
「そう。もし俳優やってなかったら、どんな幸せを望む?」
「考えた事なかったな、そんな事。 ・・・でも、そうだな、やっぱり好きな人と結婚して、子供作って、家庭を作って、家族を守りたい、かな」
「・・・・」
「はは、一般論すぎた?」
そう笑うと、司の肩を抱き寄せた。
「でも司は、守られるっていうより、自分で守って行くんだろ? 誰かに守られたりするのは、大きなお世話って 感じなのかなぁ。お前は、いつも自由なんだよな」
「 ・・・、前にも同じ事、言われた・・・」
並木から視線を反らすと、遠くを見つめた。
『お前に俺は必要ない』
今でも、あの言葉が突き刺さる。
ギュッと目を瞑った。
司の体が一瞬こわばった。
「司?」
「あ、いや・・・。お前の言う通りだな。誰かに守られたり、手を貸してもらうなんて、大きなお世話だし、自分の身は自分で守るさ。それに、誰かに、一々指図されるのは嫌いだ」
目を開けると、そう言い切った。
「そうやって、突っ張るのもいいけど、たまにはこうして気を抜いて甘える事も必要だね」
「 ・・・、そうだな」
司は目を閉じて、亮と同じ事を言う並木の肌の温もりを感じていた。
******
その衝撃的な知らせを受けたのは、レコーディングも無事に終了し、アルバムの発売を1ヶ月後に控えた雨の夜だった。
取材先から自分の車を走らせていた並木は、司の元へと向かうべくアクセルを踏み込んだ。
何故か切ない程の旋律が部屋中に響き渡っていた。
『別れの曲』を奏でていて、自分でも胸が締め付けられそうになり、誰かに抱き締めて欲しい、そう思うと更に切なさが増して行く。
その指をピアノから離すと、そのまま司は自分の体を強く抱き締めていた。
トゥルル・・・ トゥルル・・・
静けさの中、やけに電話の音が大きく聴こえる。
受話器を取ると、チャーリーだった。
チャーリーの声が段々遠くに聴こえていく。
自分の体がこわばり、震えて行くのが分かる。
受話器を置くと、バイクのキーを掴んだ。
献花する司に、物凄い数のフラッシュが焚かれる。
白い菊の花に口付けをし、祭壇の上の写真を見つめると、黙って花を供えた。
その微笑んだ写真を背に戻って来る司を見た時、紀伊也と雅には、11年前のあの葬儀を再現させるようだった。
その無表情な眼差しが、何も語らなくなっていた。
11年前と全く同じだった。
その祭壇の遺影も、司の表情も。
ただ違うのは、周りにいる者が黒服のSP達ではなく、カメラを構えたマスコミだという事だった。
斎場を出た司に、マイクを持った記者達が取り囲む。
サングラスをつけた司は、立ち止まらざるを得なかったが、記者達の質問にはまるで聞こえていないかのように、押し黙ったままだった。
『司、ずっとお前の傍にいてあげたいよ。愛してる』
それが、並木から聞いた最期の言葉だった。
チャーリーから知らせを受け、雨の中バイクを走らせ病院へ向かった。
案内されたのは、霊安室だった。
ほとんど即死のようだったという。
その二度と開かない瞼を見た時、司の体の中で、何かが堕ちて行った。
暗く底のない穴へ吸い込まれるように、静かに静かに堕ちて行った。
また、大切なものを失った
もう、あの笑顔は戻っては来なかった。
******
並木の葬儀から数日後、とあるカフェで打ち合わせをしていると、ふと誰かの言葉が耳に入って来た。
「並木さんて、動物に憑りつかれていたんですかね。 アフリカでダチョウに蹴られた後、あのテロでしょ。あの事故の前にも、何かの撮影先で、カラスの大群に襲われた時、そのカラス狙って鷹が襲って来て、それにもやられる所だったとか言ってたし、それであの事故ですもん」
「事故? ああ、あれって、犬が飛び出して来て、電柱にぶつかったんだよねぇ。 運が悪いと言えば悪いけど、本当、お気の毒」
司の視線が気になったのか、二人は口をつぐんでしまった。
バツが悪そうに、周囲のスタッフと目を合わせる。
が、司は相変わらず表情一つ変えず、二人を見つめていた。
何気に聞いていた会話だったが、何か引っかかるものがある。
「鷹に襲われた?」
「並木さんからそんな話、聞きませんでした?」
「イヤ、そんな事言ってなかったよ」
初めて聞く話だ。
司に心配かけたくなかったのだろうか。
「そう言えば、マネージャーの磯部さんの運転する車のフロントガラスにも鳩がぶつかって来て、危なく事故りそうになった事もあるっていうのも聞いたよ」
別のスタッフが言う。
「たまにいるよね。立て続けに鳥受難に遭う人。しっかし怖いよなぁ。もし、そんなんで死んだらたまらないよ」
そんな会話が不謹慎だとは思いつつも、皆相槌を打っていた。
鳥・・・?
まさかと思いつつ、ある考えを巡らせた。自然では起こり得ない事が重なりすぎている。
司は突然立ち上がると、「後は任せる」と言い残して、店を出て行った。
*****
「若宮和矢を呼び出して欲しい」
突然、サングラスをかけ、黒い皮のジャケットを羽織った男が、目の前に現れ、まるで恐喝でもするかのような口調で言われ、受付の女性は一瞬身を引いてしまった。
この辺りのオフィスビルには、およそ似つかわしくない格好だ。
「あ、あの・・・」
「光月司が来たと言えばいい、とにかく、すぐここへ呼んでくれ」
女性は言われるまま受話器を取上げ、おもむろに司の名を告げると、気が付いたように、その男を見上げた。
薄茶がかった前髪に、鼻筋がすっと通り、細く尖った顎のラインが、つい先日見た週刊誌の写真と重なる。
「司っ!?」
紺色のスーツに身を包んだ和矢が、驚いたように慌てて走って来ると、司の腕を掴み、受付から遠ざける。
が、不意に司がその手を振り払った。
「お前に確かめたい事がある」
サングラスの奥から、その冷酷な瞳に見つめられ、和矢も一瞬鋭い眼差しを向けた。だがすぐに、何か後ろめたいものでもあるかのように、一歩引くと息を呑んでしまった。
「お前が殺ったのか?」
「何の事だ?」
「あいつを襲わせたのは、お前なのか?」
「あいつ?」
「とぼけるなっ。並木を襲わせたのは、お前だな。何でそんな事をするっ!? あいつが何をしたって言うんだ。 あいつは普通の人間だぞ、何の関係もない。それなのに・・・、何であいつが死ななきゃならないんだっ」
最後には拳を握り締め、唇を噛み締めていた。
「仕上げは・・・・っ、ハイエナかっ」
吐き捨てるように言う司は、自分自身放った言葉が信じられないでいた。
和矢が鳥を操って並木を襲わせたが失敗し、紀伊也が犬を使って並木を事故に追い込み、死なせたのだ。
それで、一連の事故の説明がつく。
しかし、単独でこんな事をしたとは思えない。
紀伊也も並木には何の恨みもない筈だ。むしろ並木の事は、大切にしろと言っていたくらいだ。
「指・令・・・? 誰の、指令だ・・・」
「・・・・」
「お前が従うヤツと言えば、・・・翔・・・」
「司、お前の為だったんだ。あいつは危険だった。お前を狂わせていた。指令がなくても俺はお前から、あの男を遠ざけたかった。 あれ以上は近づいて欲しくなかった。司、目を覚ましてくれよ。元の司に戻ってくれよ。頼むから、俺の知っている司に戻ってくれよ」
やはり司が気が付かない訳がない。
観念した和矢は、思わず口に出していた。
和矢が司の手を取ろうとしたが、それを払い除けると、
「紀伊也までも・・・っ」
と、搾り出すように呟いて和矢に背を向けた。
その背中からタランチュラの殺気を感じた和矢は、本当にこれでよかったのか、疑問を持たずにはいられなかった。
本当に良かったのだろうか。司の為だったのだろうか。
******
「司、どうした? お前から呼び出すなんて珍しいな」
振り向きもせず、窓際で庭を見下ろしている司の隣に立つと、同じように庭を見下ろした。
「兄さん・・・」
切ない声を出すと、翔に抱きついた。
突然抱きつかれ、また何かつらい事でもあったのかと、翔はその細い肩を抱いた。
「どうした? 何かあったのか?」
司は背中に回していた手に力を込め、その胸に顔を埋めた。
「よく平気でここに来られるな。ここは亮兄ちゃんとオレの想い出の場所だぞ」
冷ややかな口調が棘を刺す。
翔は思わず自分の耳を疑い、司の肩から手を離すが、司は更に強く翔を抱き締めた。徐々に体の骨が軋んでいくように締め付けられる。
「司っ!?」
「何故、並木を殺った」
ようやく力を緩めると、冷めた棘のある眼差しを翔に向けた。
「お前の、為だ・・・」
締め付けられる痛みから解放され、息を整えたが、今度はその冷めた琥珀色の瞳から逃れる事が出来ず、苦し紛れに答えていた。
「オレの為? 違うな。それは自分の為だろ、翔」
司は翔を離すと一歩退いた。
「あいつが亮兄ちゃんに似ていたからだろ? 似ていたからだけじゃない。生写しだったからだろ? 亮兄ちゃんとオレがそうなったように、あいつとオレが・・・」
パシっ!
思わず翔は司の頬を打っていた。
左手で打たれた頬をさすると、翔を睨み上げた。
「ふっ、やっぱり・・・。 兄さんがそう簡単に亮兄ちゃんを許す訳がないと思っていたよ。だいたい、亮兄ちゃんが事故った時に乗っていたオレのバイクに細工したのだって・・」
そこまで言いかけて、司は息を呑んで翔を見つめた。
亮が、そう簡単に事故に遭う訳がないと思い、調べたのだ。
あの時の司のバイクも買ったばかりだし、その1週間前に乗った時も、異常は見られなかった。
しかし、事故を起こしたバイクは紛れもなく司のバイクで、しかも部品の一部が欠損していた。
最初は、翔と長兄の真一を疑ったが、当時二人とも日本にいなかった事から、恐らくRの指示によるものだと確信していた。
何故なら、その1ヶ月前に、二人の関係を知られてしまったからだ。
しかし、確たる証拠がなかったので、司も諦めたのだ。
それに、亮の事は、それ以上思い出したくはなかったからだ。
「まさか、翔兄さんが・・・っ!?」
並木を殺せと命じたのが翔であれば、それもあり得ることだ。
しかしさすがにそれは、信じたくはなかった。
「そんなに、兄ちゃんが憎かったの・・・?」
何も言わず、黙って司を見つめているその目が答だと思った。
「兄さんっ、何でっ!?」
「お前には、自分でお前自身の生き方を見つけて欲しいんだ。お前には、もう亮は」
「オレの生き方だとっ!? ふざけるなっ、兄さんは亮が邪魔だったんだっ。オレがタランチュラに成り切れなかったからっ・・・、そうか、だから今度も並木が邪魔だったんだな・・・、和矢が言ってたよ。元のオレに戻れって、和矢の、ハヤブサの知っているオレに戻れってな・・・、そういう事か・・・」
徐々に体中から殺気がみなぎる司に、翔は身震いした。
その瞳も冷酷さを増して行く。
「許せない・・・紀伊也まで巻き込むなんて・・・、あいつもオレを裏切ったんだ・・・許せないっ・・・」
「紀伊也?」
「とぼけるなっ。あいつにも指令を出したんだろっ。Rにまで手を廻したのかっ!? 紀伊也はオレかRじゃなきゃ、指令は出せない筈だっ」
「紀伊也は関係ない」
「関係ないとは言わせないっ。並木は、飛び出して来た犬を避けようとして、事故で死んだんだぞっ。 犬を単独で操れるのは、ハイエナだけだっ!」
吐き捨てるように叫ぶと、ニースの別荘を飛び出して行った。
それ以来、誰も司とは連絡を取る事が出来なくなった。