第十三章・Ⅰ指令(一の2)
翌朝二人は寄り添ったまま目を覚まし、互いの存在を確認し合うと、軽く口付けを交わし、シャワーを浴びて身支度を整えると、朝食を取りに階下へ下りた。
何となく照れながら朝食を済ませると、居間のソファへ座り、コーヒーを飲んでいた。
司の顔色もかなりいい。
使用人の誰もが思っていた。
やはり、並木のお陰なのだろう。
皆、二人を微笑ましく見ていた。 それに今の司からは、男らしさを感じることは全くと言っていいほどなく、優しいオーラに包まれていた。
庭を散策しながら、時々並木は司の肩を抱き、司も寄り添うように歩いていた。
不意に誰かが慌てて司を呼びに来る。
「ツカサ様、お客様です」
フランス語で早口にまくし立てている。
彼女もまた驚きを隠せないないようだ。
突然の来訪者だったが、本当に彼女としても何年かぶりに見る顔で、現在の司との関係をよく知らない彼女にとっては、今の司には会わせたくはない人物と言っても良かった。
以前彼がここへ来た時には、必ずと言っていい程、司の表情は険しくなり、人が変わってしまったかのように、近寄り難くなってしまうからだった。
「誰?」
「それが、その・・・、イチジョウ様で・・・」
「Kiiya!?」
瞬間、司の目が輝いた。
「司っ」
振り向くと、テラスの方から紀伊也が駆け寄って来るのが見える。
思わず司も走り出していた。
まさか、こんなにも早く来てくれるとは思ってもみなかった。
長年遠くに離れ離れになっていた親友の再会とでもいうように、二人は互いの存在を確かめ合うかのように、抱き合って喜んだ。
「司、良かった」
他に言葉が続かない。
紀伊也は両手で力いっぱい司を抱き締めた。
こんなに痩せて、細かったか・・・
思わず胸が締め付けられる。
「紀伊也、そんなにきつくしたら、苦しいよ」
見た目にもそんなにたくましいと言えた方ではないが、さすがに鍛錬されただけの事はある。引き締まった胸をしていた事に、思わずドキッとした。
「本当に大丈夫なんだろうな? 本当に心配したんだぞ。 一時はどうなるかと。お前の心拍が停止した時、俺は・・」
え・・・?
言いかけてハッとなった。
感極まって思わず口を滑らせてしまった。
紀伊也が、自分に気を送り込んでくれた事は分かった。
体の中の紀伊也の血に反応した事も分かった。
それによって、脳波が戻った事も分かった。
しかし一旦死んだとなれば、話は別だ。
紀伊也は気付いているのだろうか?
『紀伊也、オレの声が聴こえるか?』
紀伊也の目を見つめたまま、声を送った。
『ああ、聴こえるよ。以前のままだ』
返事が返って来た。
テレパシーは通じるようだ。 となれば、もう一つの能力の方は破壊されている筈だ。 というより、自分に注ぎ込んでしまっている。
「司、ごめん、つい・・・」
不安な表情で見つめられ、戸惑った。
司が銃弾に倒れてから、冷静さを欠いてしまっている自分が情けなかった。
これでは、司を守る事も出来ない。
「いや、ありがとう。 お前に助けられたんだ。お前の血が二度もオレを救ってくれたんだ。 感謝してるよ」
そう言うと、紀伊也に抱きつき、耳元で囁いた。
「お前の封印する能力は失われてしまった。オレのせいだ、ごめん」
一瞬、自分の耳を疑ったが、黙って首を横に振った。
司が助かればそれでいい。
それに、自分の血で司を殺してしまうかもしれないと思ったあの恐怖に、今の司の言葉に救われた気がしていた。
「お前の顔色が良いのは、あいつのせいでもあるんだな」
司の肩越しに見えた並木の姿に、体を離すと司を振り向かせた。
「え・・あ、まあ・・ね」
並木が近寄ると、紀伊也は手を出した。
「並木君、ありがとう。司の事・・」
差し出された手を握り返した並木は、思わずはにかみ笑いをして司に視線を送ると、司も照れたように笑っていた。
使用人に呼ばれてテラスへ戻る時、ふと紀伊也は、並木から司と同じ石鹸の香りを感じて二人の後姿を目で追った。
並木は、司にまるで恋人でも見るかのような眼差しを送っていたが、司が並木を見上げるその眼は、10年前に亮に向けられていた眼と同じだった事に気付き、一抹の不安を感じずにはいられなかった。
もうこれ以上、自分を苦しめるのはよせ・・・
そう司の後姿を見送った紀伊也が、風を感じて、ふと視線を移すと、白い小さなバラの花びらが少し寂しそうに舞っているのが見えた。
******
自分は一体今、何を見ているのだろう
思わず息を呑んで、庭のテラスに視線を送ったまま、翔は身動きが取れなかった。
司が向かい合って、誰かと紅茶を飲んでいた。
それはいい
だが、その相手が問題なのだ。
その背格好、鼻筋が通り、尖った形の良い顎、薄い唇、少し垂れた切れ長の目、カップを持つ手に、仕草、そして何より、司に向けるその眼差し、全てがあの男と同じだった。
それに対し、司の方も、あの時と全く同じ眼差しを返し、微笑んでいる。
全く警戒心のない無防備な笑顔と言ってもいい。
瞬間、得体の知れない気が渦巻き、翔の中で戦慄が走った。
何故、あいつがここに居るのだ・・・
「よく似ているでしょ」
不意にユリアが翔の傍らに立ち、テラスへ視線を送った。
「ナミキさん、ツカサのお友達なのよ。日本で俳優をしているわ」
「俳優?」
「そう・・。彼を見た時本当に驚いたわ。私まで錯覚を起こしそうになったくらい。 実際、そのせいでツカサは錯覚を起こしてしまったけれど ・・・。彼のお陰で立ち直ったの。それに、今回もよ。あんなに嬉しそうな表情、こちらへ来てから初めてじゃないかしら」
確かに翔も、司の顔を見て驚いた。
先週来た時も何とか元気そうだったが、今は見違える程に明るい表情をしている。
それにまして体調も良さそうだ。
そして、今までとは何かが少し違って見えた。
「司、翔さんが帰って来たよ」
紀伊也に言われ、振り向くと、窓越しに手を振っているのが見える。
三人は揃って翔とユリアの元へ行った。
「兄さんお帰りなさい。紹介するよ、並木。日本で俳優やってる・・」
「ユリアから今聞いたよ」
素っ気ない返事から、翔が動揺している事を悟った司は、思わずクスっと笑った。
「並木、ごめんね。兄さん驚いてるんだよ。お前が余りにも亮兄ちゃんに似てるから。 だって、翔兄さんと亮兄ちゃんは双子だったんだ」
言われて並木はハッとして、戸惑いながらも軽く頭を下げた。
「司、ちょっと」
翔は急に気懸かりになり、司を連れ出すと訊いた。
「お前、大丈夫なのか?」
「何が?」
「何がって、あんなに亮に似ていて・・」
「並木の事? 心配性だなぁ。 兄さんはいつからそんなにオレの事を心配するようになったんだ? オレなら大丈夫だよ。それに並木と居ると、兄ちゃんといるみたいで安心するんだ」
笑いながら言うと、翔の前から立ち去り、並木の元へ戻って行った。
亮といるみたいで安心する、か・・・
思わず苦笑したが、内心穏やかではなかった。
何か引っかかるものがあった。
亮に対するわだかまりは、既に無くなっていたが、亮に対してではなく、並木に対して、何か引っかかっていた。
それが何なのかはっきりしないまま、一日を過ごした。
夕食の間も、その後のティータイムでも、並木から目が離せないでいた。
そんな翔の視線を、紀伊也とユリアは注意深く見守っていた。
二人にも、今の司と並木の関係を穏やかに見ている事は出来なかった。
だが、そんな二人は一向に気にする事なく、互いに熱い視線を絡ませていた。