第十二章・解散(五)
解散(五)
それから二ヶ月が過ぎた頃、突然並木が、ニースの別荘を訪ねて来た。
ドラマの収録が終わり、落ち着いた頃、また歌を出す事になり、自分で詞を書いてみたのだが、その曲を作って欲しいとの依頼だった。
「まだオレ、やる気しないよ」
庭に咲くバラを見ながら窓に向かって煙を吐くと、ソファに座ってカップを手にしている並木に振り向いた。
体の方はほぼ完治していたが、たまにピアノの前に座る事はあっても、ギターには手を触れようともしなかった。
毎日何をしていたのか、と訊かれても、どう応えていいのか返事のしようがない。
始めはユリアの指導の下、リハビリを兼ねて体力の回復を図っていたが、さすがに半年もベッドの上で過ごしていると、1キロを歩くのに、何十キロも歩いたような体力の消耗に、すぐに疲れてしまい、夜も今まででは考えられない程、異常に早く床に就いていた。
そんな自分が情けなくなり、自暴自棄になりかけそうになった時もあったが、たまに秀也はじめ、メンバーが電話をくれる事もあり、何とか誤魔化していた。
そして、やはりジュリエットのメンバーがサーフショップを出すというだけあって、開店と同時に大盛況で、晃一とナオのスクールの方もすぐに人が集まり、三人共、今まで以上な多忙を極めていた。
そんな話を耳にすると、司自身音楽の方には手を出し辛く、また、自分自身この先どうしようか、考えあぐねていた。
それに加え、弱り切った能力の回復にも努めなければならず、更にはもう一つ、悩むべき問題もあった。
和矢の事だ。
問題はいくつも抱えているのに、まずどれから手を付けていいのか分からず、考えれば一度に全てを抱え込んでしまい、堂々巡りを繰り返していた。
「うん、分かってる。でも、きっかけがないからやらないだけなんでしょ? 前に言ってたじゃない。詞を見ると、インスピレーションですぐにメロディが浮かんで来るって。だからきっかけをあげるよ。別に急がないから、気が向いた時にでもやってみて。それに、リハビリにもなるでしょ」
「兄ちゃん」
思わず呟いた。
『きっかけがないからやらないだけなんだろ? お前には才能があるんだ。俺がきっかけをあげるから、これに曲をつけてみろ』
一番最初に曲を作った時の、亮の言葉を思い出した。
あの頃は、何かの詩集を読んでいて、知らぬ間に口ずさんでいたのを亮が聴いていたのだろうか、一枚の紙を渡され、そう言われた。
その詞は、恭介が書いたものだった。
それが、きっかけだった。
テーブルの上に置かれた一枚の紙を見つめ、並木に視線を移した。
「分かった。気が向いたらやるよ」
並木は「よろしく」と一言だけ言うと、上目遣いに微笑んだ。
「そう言えば」
と、並木はふと思い出したように顔を上げ、カップをテーブルに戻すと、ソファにもたれた。
「あの三人のサーフショップ、すごい人気らしいね。当然と言えばそうだけど。三人共、インストラクターの資格まで持っているなんて知らなかった。晃一さんなんて、プロになるつもりらしいし、可愛い彼女までいるって話・・・」
「彼女? 晃一に?」
タバコを吸おうと口に持って行った手が思わず止まる。
先週電話をもらった時には、そんな事は一言も言っていなかった。
「うん。・・聞いてない?」
「知らないよ。そんな事、一言も言ってなかったぞ」
「そう? この前、友達がお店に行った時、週末だけ手伝ってる女の子がいて、誰かの彼女じゃないかっていうのが専らの噂なんだけど、愛想が良くって、美人らしいから、密かに人気があるって言ってた。晃一さんと仲良く喋ってたらしいから、てっきりそうかと思ったって言ってたよ」
「ふーん、まァ、あいつも軽いからな・・・」
「ゆかりちゃん、って言ってたかな」
え・・・?
思わずタバコを落としそうになった。
一瞬息を呑んで、食い入るように並木を見る。
並木の不安そうに自分を見つめる眼に気付いて、慌てて視線を反らして背を向けると、窓の外へ目をやった。
窓に手を付いていないと、今にも倒れそうになる位に、足が小刻みに震えて行くのが分かる。
その内、喉の渇きを覚え、息が詰まりそうになって行く。
思わず喉元に手を這わせ、肩で息をした。
分かってはいた事だった。
あの時の秀也の言葉が、「嘘」だという事は。
例えそれが「嘘」ではなかったとしても、本心から言った事ではないという事も、解ってはいた筈だった。
が、しかし、それでも信じたかった。
ほんの少しでも想っていてくれるのであれば、その言葉の片隅だけでも信じたかったのだ。
「どうかした?」
並木の心配そうな声に、
「何でもない」
そう応えるのが、精一杯だった。
******
それから1ヶ月程したある日、しばらく顔を見せなかったユリアが訪ねて来た。
「あら、司、何処かへ行くの?」
スーツケースを居間に運ばせ、窓際でタバコを吸いながら庭を眺めている司は、既に皮のジャケットも着ており、ソファの背にはコートも掛けてあった。
「ああ、ユリア。これから日本に帰るんだ。せっかく来てくれたのに悪いな」
言いながらテーブルの上の灰皿にタバコを押し付けると、カップに手を伸ばして 残りのコーヒーを飲んだ。
「話があるの」
「何? 急ぎ? もうすぐ行かなきゃならないんだ。久しぶりに曲作ってさ、早く行って並木に聴かせたいよ」
「そう。・・また、今度でもいいわ」
久しぶりに目の輝いた司の顔を見たユリアは、思わずそう応えていた。
とても重要な事だったのだが、その笑顔を見る限り、もしかしたらそう心配する事もないのではないかと、判断してしまったのだ。
「また戻って来るんでしょ?」
「そうしたいけど、どうかな? わかんないよ・・・あ、能力の方心配してんの? 指令をこなすくらいなら問題ないから、そう心配すんなって。それに、体の方だって、日本にはボンもいるから大丈夫だって」
「・・・・」
「ねぇ、ユリア、いつからそんなに心配性になったの? 眉間のシワがまた増えるぜ」
意地悪く言う司に、ユリアも苦笑せざるを得ない。
「終わったら、戻って来なさいよ」
「はいはい」
半分呆れて返事をすると、ちょうどハンスが居間に入って来て、司を呼びに来た。
じゃあね、と軽く手を振って出て行く司の後姿を、ユリアは半ば不安気に見送った。
******
帰国すると、すぐにチャーリーと連絡を取り、予てから依頼してあった通り、極秘の内に事を済ませたかった司は、あえてメンバーの誰とも連絡を取らずにいた。
並木のレコーディングが公に発表されたところで、ようやく秀也に連絡をした程度で、相変わらず取材は拒否していた。
お陰で世間の風当たりは強かったが、別段気にする素振りも見せない本人には、事務所側も「またか」とため息をつくだけだった。
せめて、皆に心配を掛け、快復したという会見だけでも行って欲しいところだったが、それすらも断っていた。
ただ、ジュリエットのホームページだけには、ファンへのコメントを入れていた。
今は何も訊かれたくなかった。
*****
久しぶりに会った秀也は、どこか変わっていた。
更に日焼けしたせいもあるのだろうか、一段と引き締まり、男らしさを強く感じて、少しドキッとした。
「忙しいって、聞いたけど」
隣でハンドルを握り、前を向いている秀也の横顔を見つめながら言った。
二人きりになった時、何から話をしていいか分からず、少し戸惑ってしまっていた。
「うん、お陰様でね。肩書きだけは何とかあるから、最初はそれに頼っちゃうけど、直にそれもすぐバレるからね。今の内に実績作っておかないと。でも忙しい分、やりがいあって楽しいよ」
そう言う秀也の弾んだ声は、初めて聞く気がした。
「そう、良かったね」
秀也が生きがいを見つけた事に嬉しい反面、何処となく素直にそれを喜べない自分が居た。
思わず秀也から顔を背け、窓の外の流れる街並に目をやった。
この車から見るのはこれで何度目だろう。
数え切れるものではない。
が、何故か今日、初めて見る景色のような気がした。
このシートの感触ももう覚えていない。
ハンドルを握る秀也の手も、以前と同じだっただろうか。
ふと疑問に思ってしまう程、遠くに感じた。
「司?」
急に黙り込み、向方を向いてしまったままの司に横目で気になって声を掛ける。
「ん?」
振り向きもせず、返事をする。
「渡したいものがあるんだ。家、寄って」
そう言うとハンドルを切り、角を曲がると秀也のマンションの駐車場へと入って行った。
見慣れたリビングだったが、一瞬入るのをためらい、入口のドアで立ち尽くしてしまった。
ここに入っていいものかどうか、誰かに訊きたくなった。
「そんなとこに立ってないで、座って待っててよ」
秀也に促されるままソファに座り、部屋を見渡した。
何かが変わっていた。
インテリアも、家具の配置も、何も変わっていないのに、何かが違って見えた。
何だろう・・・ ?
考えようとした時、秀也が隣に座り、以前と同じように肩を抱き寄せられた。
秀也の厚い胸から伝わる温かい感触を感じ、思わず目を閉じた。
以前と同じような鼓動が聴こえて来た。
不意に左手を取られ、指に何かが触れて目を開けると、左手の薬指に小さなダイヤのついた指輪がはめられていた。
「渡したいものって、これ。 昨年の誕生日にお前が欲しいって言ってたろ? クリスマスプレゼントに欲しいって言ったけど、渡せなかったから。今年の誕生日プレゼントも兼ねて」
一瞬とても不思議なものを見るように、自分の左手を目の前に持って来ると、それを見つめた。
やはり自分の手ではない気がして、秀也に助けを求めるかのように、マジマジ見上げた。
「やっぱり、要らなかった・・・ ?」
司の不思議そうに自分を見つめる瞳に、半分苦笑しながら言うと、その左手を自分の手の平に取って、その指をなぞった。
「痩せた、な」
自分の抱き寄せた司の肩が、今までにない程、ほっそりとしてしまっていた。
胸が締め付けられそうになって、思わず強く抱き締めていた。
秀也の胸の鼓動を聴きながら、このまま抱き締められていいのかふと訊いてみたくなった。
司には、今の自分自身の気持ちと状況が、よく解っていなかったのかもしれない。
ただ解っていたのは、秀也に傍に居て欲しい、それだけだった。
そのまま秀也に身を任せていた。
二人は感じるままに互いを求め、同時に果てた。
が、それと同時に、二人を襲ったものがあった。
それは「虚しさ」だった。
何故かは解らない。
それを否定するかのように、秀也は司に口付けをし、司もその口付けを受けていた。
しばらく二人はそのまま寄り添っていたが、黙って司は体を起こすと
「今日は帰る」
と、服を着始めた。
秀也も引き止める事はせず、黙ってそれを見ていた。
「下まで送ってく」
部屋の灯りをつけたまま、マンションの外へ出た二人は、一瞬目を合わせたが、司が先に目を逸らし、「じゃ」と、行こうとしたが、秀也の顔が近づいて来たかと思えば、そのまま唇を塞がれ抱き締められた。
一瞬目を閉じた司だったが、ふと目を開けると、秀也のその肩越しに、誰かが近づいて来るのが見えた。
「秀也、オレもう行くよ。指輪ありがとう、大切にするよ」
秀也から体を離して背を向けると、振り向く事なく歩き出し、角を曲がった所で、走って去った。
さっき、秀也に抱かれた部屋へ彼女が入って行くのだ
そう思うと、何かやり切れない切なさに襲われ、息苦しくなって、喉を掻き毟った。
ソファの背にもたれ、額に手をかざし、天井を仰いだ。
ふと、その指にはめた指輪を外すと、それを目の前に持って行き、眺め回した。
リングの内側に何か彫ってある。
それをよく見た司は、一瞬息を呑んだが、そのまま発作を起こし、傍にあったブランデーのビンを取って、一口飲んで呼吸を落ち着かせると、それを全て飲み干して、崩れるようにソファで寝てしまった。