第十二章・解散(二)
一月も過ぎ、二月も半ばを過ぎた頃、ようやく一人で体を起こせるようになり、突然皆を集めるように言った。
晃一・ナオ・秀也の三人は、自分達の夢を実現させる為、司の意識が回復したのを機に、方々を走り回り、毎日のように話し合っていた。
今年の春には店を構える予定だ。
約4ヶ月ぶりに5人顔を揃えたが、以前のような覇気がない。
無理もない。司が皆を拒絶していたのだ。
久しぶりに司の顔を見たが、完全に心を閉ざしてしまっていた。
晃一に言わせれば、一番最初に会った時の氷のような冷ややかな眼差しに戻ってしまったとでも言うようだ。
何を話す訳でもなく、誰かを待つように沈黙が流れていた。
不意に扉がノックされ注目すると、チャーリーが入って来た。
ベッドを囲んで気まずい空気が流れているのを感じたのだろうか、一瞬戸惑い、立ち止まっていたが、恐る恐る近づく。
司の顔が見たかった。
ベッドの上で体を起こし、真っ直ぐにこちらを見ている司には、以前のように生き生きとした光は何処にもなく、青白い肌は、一目見ただけでも判る程に弱々しく見えた。
何より変わってしまったのは、その瞳だろう。
今までに見た事もないような冷めた瞳をしている。
まるでその全てを拒絶しているような、そんな気がした。
「司・・・、皆が・・・」
何から話そうか迷った。
皆からの伝言もあったが、それを伝えようか、とにかく何でもいい、司と話がしたかった。
が、それを遮るかのようにすぐに沈黙が破られた。
「チャーリー、・・・皆も、聞いてくれ」
一瞬メンバーを見渡したが、すぐに目を反らしすと、窓の外を見つめた。
「当然だが、オレは動けそうもない。皆には迷惑をかけてすまないが、当分の間は無理だ。だから、活動の休止宣言をする」
「え!?」
驚いたのはチャーリーだった。
状況から考えれば、当然の事だったが、わざわざ休止宣言をするまでもない。
「・・・いつまで?」
「さあ・・・、いつまでかなぁ。無期限・・かな・・」
窓の外の澄み渡った冬晴れの空を見上げた。
「もう、始めてんだろ?」
言いながら晃一に視線を送ると、黙って頷いた晃一に安心したように、ホッと息をついた。
「例の話は代理人を通してお前らに資金提供するさ。約束だからな。・・・で、紀伊也、お前はいつ行くんだ?」
「え?」
一瞬面喰った紀伊也に、皆の視線が一斉に注目する。
「何も知らないとでも思っていたのか?」
「知って、いたのか?」
「当り前だ。何年付き合ってると思ってるんだ」
「何の事だ?」
司と紀伊也の会話に、晃一が怪訝な顔をして訊く。
それに、いつ行く? とは、一体どこに行こうというのだろうか。
「もう言ったっていいんじゃないのか? 隠さなくたって、活動が出来ないんじゃ、そっちに集中出来るってもんだろ?」
本当に全てを知っているようだ。
しかも最初から、何もかも・・・
紀伊也は驚きを隠せず、目を見張ったまま黙ってしまった。
「ビジネスだよ。ニューヨークで大学の時の仲間と始めたんだ。始めた、というよりは、誘われたって言った方が、正しいのかな」
そう言った司に紀伊也は顔を覗き込まれて、思わず頷いた。
「え・・・いつから?」
驚いた晃一が紀伊也に訊くが、息を呑んで司を見たまま黙ってしまっている。
「最初からさ。デビューする少し前、か? まさか、こんなに忙しくなるとは思わなかったからな、紀伊也も運が悪いと言えば悪いな」
苦笑しながら紀伊也から窓の外へ視線を移した。
「そんな事聞いてないぞ。何も知らねぇよ、紀伊也がそんな事してたって」
晃一は、信じられない眼差しを紀伊也に向けた。
何も知らなかった。
紀伊也がジュリエットの活動以外にも何かしていようなど、夢にも思わなかった。
司が曲のアレンジをしていた時には、必ず一緒にいて、アレンジしていた筈だった。
それに、あれだけの過密スケジュールだ。
何をしようにも、そんな時間はない筈だった。
ナオと秀也も驚いて紀伊也を見つめたが、それを司が何もかも知っていた事には、更に驚いていた。
「言ってないんだから、知らなくて当然だろ。それに、誰にも迷惑をかけちゃいないんだから、何しようが勝手だ。オレの知った事じゃない」
冷たく言い放つが、相変わらず窓の外を見たままだ。
「いい機会だ。自分の生き方を見つけてくれよ」
誰一人、返す言葉がなかった。
司が倒れてからの2ヶ月、このまま目を覚まさないのではないかと疑ったあの日、各々の中で「司のいなくなった日」の恐怖を感じていた。
大学を卒業し、周りの者が企業へ就職していく中、司の帰国を待ちながらバイトをして過ごした。
そのバイト先も全て司が手配してくれていた。
帰国と同時にデビューし、一気に階段を駆け上がり、気が付けば全てが司中心で動いていた。
それに関して、誰も何も疑問を持たなかった。
自分の中でそれが当然だったのだ。
しかし突然、目の前で自分の中の軸が倒れ、崩れて行く様を見た時、これから自分達はどうなって行くのだろう、という不安と、ある種独りで生きて行けるのか、という恐怖に襲われてしまったのだ。
『自分の生き方』
それを考え始めたところだった。
「チャーリー、そういう事だ。明日にでも発表してくれ。会見を開けというならオレがやるさ。後の事は全て任せる」
茫然とメンバーを見渡しているチャーリーに指示をする。
自分の知らない所で、皆各々、歩き始めていた。
それも、別々の方角に。
「司・・・」
チャーリーは本当にこれでいいのか訊ねたかった。
このままでは、本当にバラバラになってしまう。
そう思った。
たかが、狙撃事件だ。
普通にしていれば、世間の同情を買い、すぐに元通りやり直せる事が出来る。
それなのに・・・
「放っておいてくれ、チャーリー、悪いがしばらく放っておいてくれないか」
何か言いたそうなチャーリーに突き放すように言う司だったが、その切に願うような眼差しに、チャーリーは何も言えなくなってしまった。
「分かった・・・、事務所に戻るよ。何かあったら呼んでくれよ。また、来る・・・」
放心状態のままうな垂れて黙って部屋を出て行くチャーリーを、メンバーは無言で見送るしかなかった。
司の突然の宣言にどう反論していいのかわからずにいた。
「お前らも、行ってくれ」
背後からの司の声に振り向こうとしたが、何かがそれを拒み、振り向く事が出来ずに、そのまま唇を噛み締めると黙って出て行こうとした。
「秀也・・」
最後に秀也だけが振り向いて足を止めた。
「どうした?」
「あの娘と・・、その・・・」
不意に訊きたくなった。
本当はそんな事を訊くつもりではなかった。
ずっと会いたかった。
全てを拒絶していたにも係わらず、一人病室で待ち続けていた。何を期待するわけでもなかったが、待っていた。ただ、待っていた。
「司、生きてて良かった」
「え?」
顔を上げると、秀也がじっとこちらを見ている。
「生きてて、良かった」
秀也の言葉に、皆が足を止めて振り返った。
司に会って、一番最初に言いたかった言葉だ。
それは紀伊也も同じだった。
「お前の事、まだ愛してるんだ。だから、どこへも行かないで欲しい」
「・・・秀也・・・」
秀也の温かい手が、司の冷たい頬に触れた。
そのまま秀也の胸の中に飛び込んで行きたかった。
もう一度、その熱い胸に抱かれたかった。
しかし、首を横に振ると、両拳を膝の上で握り締めて俯いた。
「もう・・いい・・・もう、やめてくれ・・・っ・・」
あの時、マリア像に絡まった鎖が砕けた時、秀也の笑顔を見た気がして、ホッとしたのだ。
それをまた、このまま胸に飛び込んで行けば、再び秀也を苦しめる事になる。
自分に会いさえしなければ、こんな事にはならなかった筈だ。
それなのにまだ、愛しているだと?
愛している・・・
ずっと、秀也だけを愛している。
しかし、それを言ってしまえば、今度は解く事の出来ない鎖が巻きつくだけだ。
手を伸ばせば、すぐそこに居る。
亮には届かなかったが、秀也には届く。
「出て行ってくれ・・」
「え?」
秀也は、高まる気持ちを抑える事が出来ずに抱き締めようとしていた手を止めた。
「出て行ってくれ、もういいっ! もうっ、やめてくれーーっっ」
秀也の手を払い除けると、振り絞るように叫んでいた。