第十一章・覚醒(三)
覚醒(三)
その日の朝、二人は同時に目が覚めると身支度を整え、急いで病院へ向かった。
ほぼ同時にエレベーターに乗り込み顔を合わせると、お互い幾分興奮している様子が伺える。
「感じたか?」
和矢が先に訊いた。
「ああ、もちろん。僅かだが・・・。でも、乱れている」
僅かながら司の脳波を感じたのだ。
紀伊也はすぐにこちらから送ったのだが、返答は得られずに、代わりに激しく乱れていた。
それも途切れそうになっていた。病院へ近づくに連れ、それは強く感じていた。
病院へ入ると、先に連絡を受けた雅とユリアがいたが二人の表情は険しく、昨日まではなかった酸素マスクが付けられていた。
「どういう事!?」
「昏睡状態に陥ったのよ」
ユリアの顔が幾分青ざめている。
ベッドの傍らに立ち、司の顔を覗き込んで愕然とした。
その青白い肌をした額からは細かい汗が滲み出ており、苦しそうに息をし、苦痛に歪んだ表情をしている。
モニターに映し出された波も激しく乱れている。
特に心拍を示す数字は目まぐるしく変わっている。その数字はもちろん今まで以上に低い。
昼過ぎまで同じ状態が続いた。
「え?」
紀伊也に何か聴こえた。
周りの声ではない。
もう一度
「何か・・・言ってる」
紀伊也の一言に三人は司に注目したが、先程と以前変わらずに苦しそうにマスクの下で息を、ハァハァ言わせているだけだった。
『・・・連れ、てって・・・』
今度ははっきりと聴こえた。
司の声がテレパシーとなって届いた。
誰に言っているのか分からないが、とにかく紀伊也には、はっきり聴こえた。
『兄・・ちゃん、・・・連れて行って・・・』
「司っ、お前、何言ってんだっ!?」
思わず紀伊也は叫んでいた。
「紀伊也!? 何? 司、何か言ってんのっ?!」
和矢には司の声が聴こえなかった。
脳波は感じても声はまだ聴こえないのだ。
『司っ、俺の声が聴こえるかっ!? 俺が分かるかっ!?』
紀伊也は送り続けたが、返答は得られなかった。
その代わり、ひたすら亮の名を呼び続ける司の声だけが聴こえていた。
「今日、今日って何の日?!」
思わず声に出してハッとすると、司を見つめた。
今日は11月16日。
亮の命日だ。しかも亮の亡くなった時刻とほぼ一致する。
『兄ちゃん、お願いだ・・・連れて行って』
まるで目の前に亮が来ているかのように切に願っている。
更に脳波が乱れて来ていた。
『司っ お前、何言ってるんだっ!?』
「何でそんなに亮さんの所に行きたいんだっ!?」
思わず司の肩を激しく揺さぶって叫んだ。
紀伊也の呼びかけに三人は息を呑んで司を見つめた。
はっきりと何を言っているのかは解らなかったが、察しは付いた。
亮を呼んでいるのだ。
「司っ、しっかりしろっ!!」
和矢が司の耳元で怒鳴った。
それと同時に紀伊也は司の肩から手を離し、茫然と司を見下ろした。
司の言葉に絶望を感じたのだ。
『もう・・これ以上は・・・辛いよ。もう・・いい・・・。オレのせいで皆が不幸になる・・・もうこれ以上・・・生きていたくない・・・。兄ちゃんの傍で眠りたい』
そう司は亮に言った。
「まずいな、発作が起きた。ユリア、ICUへ運ぶぞ」
雅は他の医師と看護婦を呼ぶと、司を再びICUへと運んで行った。
******
あれからずっと黙ったままの紀伊也に和矢は苛立ちを覚えていた。
何故、紀伊也には聴こえて、自分には聴こえなかったのか。そちらの方の苛立ちが大きかった。
「紀伊也、司は何を言っていたんだ?! お前の呼びかけに反応したのかっ!?」
「・・・・」
「紀伊也っ」
「・・・、いや 反応はしていない。ただずっと、亮さんを呼んでいた。連れて行ってくれ、と」
「連れて行ってくれ? 亮に? ・・・・、それって・・・死にたいって事か?」
「分からない」
紀伊也にも分からなかった。
しかし、『生きていたくない、亮の傍で眠りたい』はっきりそう言っていた。
それはもう明らかに『死』を望んでいるとしか思えない。
目を覚まそうとしないのも、そのせいなのだろうか。
何が司をそんなにそこまで追い詰めていたのだろうか。
紀伊也は今になって冷静に、事件の起こる前日までの事を振り返った。
前日から遡って行く。
一緒に食事をした。
あの時は不意に自分の事を訊かれて戸惑ったが、秀也が結婚の事を考えているのではないかと、冗談めいて司に言うと、照れたように笑っていた。何も変わった事はなかった。
その前は栄養失調で倒れた。
司にはあり得ないことだったので、かなり驚いたが、その近辺に送り付けられていた小包には何が入っていた?
それを見て顔色が悪くなっていたような気がする。
確か、『マリア像と鎖』
でも、これは何を意味するのだろう。何の殺気も感じなかった。
『細いナイフの突き刺さった真っ白な仔猫と真紅のバラ』
これを見た時に倒れた。・・・、何を意味するんだ?
司の様子がおかしくなったのはいつからだ?
『広島・・・、あのツアーの日』
司は避ける事すらしなかった。
怯えていた。
怯えた司を見たのは初めてだ。
そして、『爆弾』
あの時、俺自身苛付いていた。
誰とも連絡が取れなかったんだ。秀也にさえ、取れなかった。
前の日が司の誕生日だったのに・・・・。
「二人は一緒じゃなかったのか?」
紀伊也は一つの疑問を抱くと、これまで関心がなかった二人の行動について思い起こし始めた。
が、紀伊也の思い出す限り、二人の態度について、特におかしい事は何一つない。
ただ、司が時折、切ない表情を見せていた事には少し気にはなっていた。
『もうこれ以上は辛い』
秀也もそう言っていた。
二人の間に何かあったのだろうか。
それに、秀也の司を訪ねる回数も日を追う毎に減っている。晃一とナオは事務所へ行き、代わりに仕事をしてくれていたが、秀也はどうしているのだろう。
司があれだけ反応を示さないのは、何かを拒絶しているからだろうか。
それは、秀也を拒絶しているのだろうか。
紀伊也は確かめるべく、すぐに病院を後にした。