第十一章・覚醒(二)
覚醒
和矢の言葉に救われた気がした紀伊也は一人、自宅のソファで目を閉じて座っていた。
何故、和矢の封印が解けてしまったのか・・・
やはりタランチュラの生命の危機に、無意識の中で覚醒させてしまったのだろうか。
『殺戮のトライアングル』あれにはハヤブサの獰猛さが必要だ。
しかし、司はそれを望んでいるのだろうか。
それに和矢も・・・
あの時、和矢はこう言った
『司を頼む』と
あの二人の間に何があったというのだ?
紀伊也は何かを取り繕うように、封印が解けてしまった事について考えようとしたが、本当は今はどうでもいい事だという事に気付き、天井に向かって溜息にも似た息を吐いた。
-それにしても・・・、疲れた
目を閉じると、毎回のように司が目の前で血を吐いて倒れる。
がっくりと力が抜け、体の上から手が静かに滑り落ちて行く。
「司っ!?」
ハッと目を開ける。
何度これを繰り返すのだろうか。紀伊也は心身共に疲れ果てていた。
数日して、集中治療室からいつもの最上階の部屋へ移される事になった。
傷の方もだいぶ癒え、あとは意識の回復を待つだけだ。
脳波を示すモニターにも僅かながらも波が見えたので、脳死の判定には至らなかった。
ただ、本当に生きているのか疑いたくなる程、静かで呼吸をする音さえ聴こえない。
ベッドの傍らでは今日も紀伊也と和矢が呼びかけていた。
和矢も覚醒したとはいえ、能力が完全に戻った訳ではない。能力の半分はまだ失われたままだ。完全になるには司の力が必要だった。
何日かぶりに病院を訪れた秀也は、司が一般病室に移されたと聞き、嬉しさ半信半疑、最上階のいつもの病室へ向かった。
ドアを開け、案の定、そこに紀伊也が居た事に何か落胆めいた気持ちが沸いた。
そして、そこにもう一人、何年かぶりに見る男の顔があった事には少し驚いた。
「和矢?」
司の高校の同級生でよく遊びに来ていた。
時々、二人の仲を疑った事もある程に仲の良い親友だった。
秀也を見た時、和矢は一瞬青ざめた。秀也には会いたくなかった。
記憶が甦った時、あの時の記憶まで封印されていた事に正直驚き、再び苦悩に苛まれたのだ。
あの時の記憶・・・
******
決して許されない事なのだ。
これだけは何としてでも理性を保って司を主として仕えなければならない。その為に恋人まで作って忘れようとした。
が、この気持ちだけはどうしても抑える事が出来なかった。
司を好きになってしまっていた。
もう明日からは会う事もないだろう。
司は東京へ戻り、そのままイギリスへ旅立ってしまい、戻って来ればブラウン管の中だ。
手の届かない存在となってしまう。
それに、次に会う時は任務の為にタランチュラと共に行動するだけだった。
「なぁ和矢、何か淋しいな。オレさ、スクールライフってこんなに楽しいもんだとは思わなかったよ。初めてだな、同級生と別れるのが辛いって」
卒業式が終わり、最後に司の淹れたコーヒーを飲みに、マンションへ行った。
ポットを廻しながら湯を注ぐと、コーヒーの香りが部屋全体に広がる。
コーヒーがガラスのポットに落ちて行くのを、じっと見つめていた。
「和矢とも今日が最後だなぁ。お前がいてくれたからすっげぇ楽しかったよ。お前のお陰だな。ありがとう」
ダイニングテーブルでコーヒーを淹れながら司は、ソファに座っている和矢に微笑んだ。
「何だか、改まって言われると照れるな」
「そう?」
用意されたカップにコーヒーを注ぐと、カップを両手にこちらへ来る。
「その制服も見納めだな」
「はは、そうだな。楽しかったよ。スカートなんて穿いた事なかったから。一応、女子高生だったしな」
笑いながら自分の制服姿を見下ろした。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
司は和矢の隣に腰掛けると、足をソファに乗せ膝を折り曲げてもたれて、コーヒーを一口飲んだ。
「和矢ぁ、お前さ、フツーの生活ってしてみたいと思わねぇの?」
「え? ・・・フツーの生活って・・・?」
カップから顔を上げると、横にいる司の顔を見つめた。
「うん、フツーの生活。 これから大学行って、社会に出て働いて、結婚して、子供作って、家族で旅行して、とかいうフツーの生活。オレ達みたいに指令の為に云々《うんぬん》っていうんじゃない、生活」
「何、言ってんの、司?」
「あ、いや、さ、お前が美咲と一緒にいるとことか見てると、そういうのもアリかな、なんて思ったりしてさ・・・・、考えた事ない?」
急に真剣な目つきになった司に誘導されるかのように、正直に自分の気持ちを言ってしまっていた。
「あるよ。俺は何の為に生まれて来たんだろうって。周りのヤツと同じように生活してんのに、何で違うんだろうって。このまま何もなく、普通に生きて行けたらな、なんてな」
「そう・・・」
司は和矢から視線を反らすと、カップに口を付けたまま呟いた。
「封印、してやろうか」
「え?」
「お前が望むなら、封印してやるよ、ハヤブサ」
「・・・・、何、バカな事言ってんだよ、そんな事出来るワケないだろ。それに俺はそんな事望んじゃいない」
思わずカップをテーブルの上に叩きつけるように置くと、司を睨んだ。
司の言っている事が信じられない。
しかし、そんな事が本当に出来るのだろうか・・・
封印・・・
「そっか、なら、やーめた。お前はオレから離れたいのかと思ってたから」
「え?」
司はあっさり言ってコーヒーを飲むと、ふうっと一息ついた。
「それに、お前に辞められると大変な事になるからな。デビューしたら指令どころじゃなくなっちまうよ、きっと」
「ちょっと待て。・・それって、俺に全部やらせるって事か?!」
「当ったり前だろ。紀伊也だって大事なメンバーの一人なんだ。他に誰がやるって言うんだよ」
ちらっと意地悪く横目で和矢を見ると、カップをテーブルに置き、タバコとライターを手にし、再びソファにもたれようとして体制を崩し、和矢に寄り掛かった。
「うわっ・・ごめ・・・」
しかしその瞬間、司の唇を塞いでいた。
司は目を見開いたまま動けないでいた。
「和矢・・・?」
ゆっくり唇が離され、驚いた表情で和矢を見つめている。
「司、ごめん・・・ 俺、お前を離したくない。お前の為なら何だってする。命だって捧げてやる。でもこれだけは言わせてくれ・・・好きなんだ・・司が」
抑えきれず、司を押し倒すと再び唇を重ねたが、次の瞬間顔を背けられ抵抗された。
「何すんだよっ、バカっ」
「司っ頼む、一度でいいから言う事を聞いてくれっ」
「い、いやだっ 何バカな事言ってんだっ、お前、自分が何してんのか分かってんのかっ!? ・・・やめろっ、和矢っっ!?」
和矢の体を押し退けようと激しく暴れ出すが、和矢は司の頬を平手で殴りつけると尚も腹に一発入れた。
これ位しないと司を押さえつける事は出来ない。
うっと呻きながらも尚も抵抗してくる。
今度は首の横に手の平の側面で打った。
体を仰け反らせると、さすがにその力が抜けて行く。
和矢は司の両手を押さえつけ首筋に口付けをした。
「司、お前が好きなんだ、どうしようもないっ」
半分気を失いかけ和矢の口付けを受けていた司は、胸が締め付けられそうだった。
信頼していた。
男でも女でもなく、同志として付き合っていたつもりだった。
それに司と和矢は同等ではない。あくまで主従の関係だ。
それを和矢は禁断の鎖を喰いちぎったのだ。
信頼していただけにショックを隠し切れない。和矢を仰視したまま動く事さえ出来ないでいた。
和矢の手が、抵抗した時に捲り上げられ露わになった脚に伸びて行く。
「や、めろ・・・っ、和矢っっ!!」
足をバタ付かせたが、更にみぞおちに一発喰らい、再び力が抜ける。
ベストの金ボタンが外され、ビリビリっと制服の白いブラウスが引き裂かれた。
「和、矢・・・」
司の声もかすれていく。
だが、司の胸元に顔を埋めようとした時、不意に肩を掴まれ、後ろへ投げ飛ばされた。
「司っ!?」
秀也だった。
恐らく二人は一緒だろうと、二人の卒業を祝おうとプレゼントを持って、東京から車を走らせて来た秀也は、玄関のドアを開け、靴を脱いでいる時に何か布の引き裂かれるような音が聴こえ、慌てて居間のドアを開けると目を疑った。
ソファの上で、脚を露わにした司の上に和矢が馬乗りになり、ブラウスを引き裂かれた司の胸元に顔を埋めようとしていたのだ。
一瞬、何を見たのか戸惑ったが、次の瞬間和矢を投げ飛ばしていた。
ハッと気を取り戻し我に返ると、秀也が信じられないと言うように司を見下ろしている。
その先に視線を移すと、和矢が床に手を付いてこちらを見ていた。
「ひ、秀也・・・?!」
体を起こそうとしたが、首と腹に激痛を感じて起こし切れない。
「司・・・お前・・・?」
秀也が時々和矢との仲を疑っていたのは知っていた。が、いつも言い訳して何とか納得してもらっていた。
が、今、この状況を見れば、その言い訳も皆無に等しい。再び疑いが襲い掛かるのは目に見えて明らかだった。
秀也は二人を交互に見ながら、何をどう信じればいいのか判らず立ち尽くしている。
「秀也っ、誤解だっ。オレと和矢はっ・・」
「司が好きなんだっ、どうしようもないっ」
司の言葉を遮って和矢は言った。
そんなっ・・・ !?
司と秀也は同時に和矢を見つめた。
「秀也、頼む・・司を俺に・・・」
和矢は立ち上がりながら右手を突き出し、手の平をいっぱいに広げて秀也に近づいて行く。
「和矢っっ!!」
次の瞬間、秀也はがっくり力が抜け、その場に崩れ落ちた。
そして、和矢は突き出していた右手を司のチェーンに弾き飛ばされ、能力を発する前にその力を封印された。
その後の事は覚えていない。
気が付くと、秀也は車の運転で疲れて寝室で寝ていたし、和矢は司とコーヒーを飲んだ後、いつの間にか自宅へ戻っていた。
そしてその後、司に封印してくれと、自らの意志で切に願い出ると、すぐにタランチュラの従者であった、ハヤブサとしての能力はもちろん、今までのその記憶は一切封印され、司とはただの同級生としての記憶のみが残った。
******
「卒業、以来だな。・・・そっか、司が心配だよな」
力なく言う秀也は、まるであの時の事がなかったかのように以前と変わらない。
ただ、和矢がここに居る事も当り前のような感じで言う。
「え、ああ。友達があのライブに行ってて・・・それで・・」
「そっか・・・」
秀也もそれ以上話そうとしない。
黙ってベッドの傍へ行くと、紀伊也が場所を譲った。
一瞬、紀伊也に視線を送ったが、すぐに視線を落とすと、今も目を閉じて息をしているのかさえ判らない司を見つめた。
「意識は?」
「まだ・・・」
紀伊也も秀也にこの返事をするのは辛い。
秀也がどれだけ司のことを大事に思っていたのか知っていたし、司も秀也の事を大切に思っている事を知っているだけに、早くこの二人を会わせたかった。
「何で、こんな事になっちまったんだろうな・・・」
呟きながら司の頬を撫でた。
最後に司に触れたのはいつだっただろう。
思い出すのさえ時間がかかる。
秀也はすうっと、手を引っ込めると俯いたまま呟いた。
「これ以上司と居るのは辛いよ・・・、紀伊也、頼む」
紀伊也としてもどう返事をしていいか分からない。
10分足らずで部屋を出て行く秀也を黙って見送るしか出来なかった。
驚いたのは和矢の方だ。
司と秀也は今だに恋人同士なのだ。
それに、あの事が全て封印されていた。
秀也は和矢同様、何もなかった事になっていたのだ。