外伝・出逢い(七)
出逢い(七)
何故、自分があんな事をしたのか解らない。
打ち上げでも周りは嬉しそうにはしゃいでいたが、何か物足りなさを感じて、心底皆と同じようには楽しめず、酒も飲めなかった。
二次会に行けばそれも楽しめるかもしれないと思ったが、何を思ったのか、そこに居ても立ってもいられなくなり、皆と別れると急いで自分の部屋に戻った。
そして、誰も居ない一人の狭い部屋を見渡した時、車のキーを掴み、首都高を走らせ、そのまま東名高速に乗っていた。
あの時、司を抱き締めたのも、口付けをしたのも、何も意識した訳ではない。
自然と衝動的に取っていた行動だった。
しかし、至って冷静だった。
あの翌週もライブで司に会ったが、司は何も言わないし、別に気にする事もなく、いつもと同じように振舞っていたが、その後、秀也の部屋へ来る事はなく、そのまま自分の家へ帰って行った。
梅雨も明け、本格的な海のシーズンを迎えて海水浴客の来る前の朝焼けの静かな海で、ボードの上で波に揺られながら秀也と晃一は、ボーっとしていた。
何人かのサーファーは、波を捕らえては滑っているが、二人はお構いなしだ。
他の者からすれば、何をしに来たのか疑いたくなるだろう。
「なぁ、秀也、お前はどうする?」
「あー、俺ェ、どうするって言われてもなぁ。・・、晃一は知ってたんだろ?」
「まぁね、そうだとは思っていたけど、やっぱり本気だったんだよなぁ」
日曜の帰り際に、大学の卒業と同時にメジャーデビューする事を告げられ、辞めるなら今の内だと言われた。
竜一は元より承知で、自分が大学を卒業したらバンドは辞めると、最初から司には言っていた。
「竜ちゃんはもう決めてるしな。アイツは外交官になるんだろ。ナオも多分家の方に入るんだろうな」
「司法書士だっけ、親父さん? 一応資格取る為に勉強はしてんだよな。晃一は? お前だって長男だろ?」
「そーだけどさぁ、別に継ぐ気ねぇしなぁ。 かと言って、フツーのサラリーマンってのもなぁ、性に合わねぇしなぁ。 秀也は? お前何かやりたい事あんの?」
「んー、一応希望は銀行か商社なんだけどねぇ。まだ、何も」
「真面目だなぁ、お前は。羨ましいよ」
「紀伊也はどうすんだ?」
「さぁ、どうすんだか。 まさかハーバードまで出て、ミュージシャンって事もないだろ。んなもったいない事するかよ。家の方の何かやんじゃねぇの? あいつもお坊ちゃんだし」
「一条グループかぁ。すっげーよなぁ」
二人は同時にため息をついて、同時に仰向けになると、眩しい朝陽を浴びた。
その後、少し波に乗って遊んだ二人は、そのまま浜辺で海水浴客に混じって、ビールを飲み、タバコを吸って、賑う浜辺を見ていた。
「おお、イイ女っ。でも、カルそーだな」
モデル顔負けのスタイルに、ビキニ姿の彼女を見つけ、晃一が鼻の下を伸ばした。
「お前にカルそーって言われてもなぁ」
秀也は苦笑する。
そして目の前で、水着姿で楽しそうに遊んでいる彼女達を見ていると、ふと思い出したように胸が切なくなった。
「なぁ、司って、何でああなの?」
「ん?」
ビールを飲む手が止まり、秀也を横目で見ると、目の前ではしゃぐ彼女達を少し切なそうに見つめている。
「さぁ、知らねぇ。よく解んないよ、司は。知りたいような知りたくないような・・・。何を背負ってんのか知らねぇが、普通じゃないのは確かだよな」
「俺、このまま司とは付き合えないような気がする」
「え?」
ポツリと呟いた秀也に不安を覚える。
「辞める気?」
「そうじゃなくて、司の事、俺達と同じように男だ、って付き合えないって事。どう見たって女の子にしか見えないし」
「秀也?」
「あ、いや何でもない。独り言独り言。気にしないで」
慌てたように首を横に振ると、少しぬるくなったビールを飲み干した。
「司の事、好きなの?」
「よく、解んないよ。 好きとか嫌いとかじゃなくてさ、何て言うのかな、司がいないと何となく物足りないっていうか、寂しいって言うか」
「要は一緒に居たいんだろ?」
「え・・・?」
思わず晃一と目が合うと、少し苦笑している。
「お前等似てんだなぁ。司も言ってたよそんな事。一緒に居たいって、好きな理由にはならないか、って」
「司が?」
「ああ、そう言ってた」
秀也はフッと笑うと、水着で海に入って行く彼女達を目を細めて見送っていた。
******
それにしても・・・・、
今日のライブは何かが違う。
そう思わざるを得ない。
珍しくスタンドマイクで歌う司はギターを抱え、絶えず指を動かしている。
既に紀伊也は抜けて観客に混じっていたが、ステージを見つめる目は何処となく不安だ。
司の後方に目をやると、いつも居る筈の長身に黒髪のナオの姿が見えない。
今夜はナオの替わりに司がベースを担当していた。
ファンも少し不思議に感じながらも、いつもと変わらないライブに酔いしれていた。
たった7曲の演奏が何十曲もやったような、そう感じる程今日は疲れていた。
ホッと一息つくと、ホールの隅のテーブル席に着いた。
「何とか乗り切ったな。 しっかしあれだな、司もよくやるよな。ベースまで出来るとは思わなかったぜ」
感心したように晃一が言うと、皆も同じように頷いた。
ナオの妹の明日香が急逝し、さすがにナオもライブをする気にはなれなかったのだろう。
葬儀以来、誰も会っていない。
「何か飲む? 持って来てやるよ」
労うように晃一は立ち上がる。
「じゃ、オレンジジュース」
疲れたように言うと、両肘をテーブルに付き、額に手を当てて目を閉じた。
オレンジジュース? ずいぶん カワイイもん飲むなぁ。
首を傾げながらカウンターへ行くが、ニヤッと笑って「それにウォッカ入れてよ」と、指差した。
「はいよ」
司の前にグラスを置くと、サンキュと言いながら手に取り、一気に半分位まで飲む。
「ゲホっ、何だよこれ、ウォッカ入ってんじゃねぇかよ・・・ ったく」
思わず咽たが、それ以上怒る気にもなれず、ため息をつくと晃一を睨んだ。
「ペリエ飲む?」
紀伊也が自分のグラスを司に差し出すと、黙ってそれを受け取りぐいっと飲むが再び咽た。
「ジントニックだぞ、これ・・・・、 晃一、てめェ、何の恨みがあんだよっ 」
ドンっとグラスを置いて晃一を睨むと、首を竦めている。
竜一と秀也は今にも吹き出しそうだ。 が、紀伊也は不安気に司を見つめていた。
ったくぅ・・・。
呟いて立ち上がろうとした。
「わぁった、悪かった。持って来てやるよ、搾り立てのオレンジジュース」
晃一が慌てて言うが、
「いいっ、自分で行くっ」
そう睨んで立ち上がったが、ぐらっと椅子に座り込んでしまった。
急に目の前の視界が落ち、頭がぐらっとする。
「どうした?」
隣にいた秀也が支え直す。
「ちょ・・、酔ったみたい。悪い、秀也、休ませて」
「いいけど」
司を支えながらギターケースを二つ抱えると店を後にした。
悪い事をしたと思いつつ二人の後姿を見送った晃一は、残った二人に向き直ると、
「珍しい事もあるもんだな」
と、呟いてタバコに火をつけた。
「さんてつ、だからね」
二人の去って行った方を見ながら紀伊也はジントニックを飲んだ。
「さんてつ?」
晃一が訊く。
「水曜の夜から寝てないんだよ。もしかしたら月曜から寝てないかも」
「何で?」
今度は竜一が訊いた。
「日曜にナオと何かあったのかな。水曜に呼び出されて行ったら、練習に付き合えって。それで、朝までずっとベースの練習付き合って、司はそのまま学校行って、帰って来てからまた朝まで練習。今朝までそれやってたから。俺は司が学校行ってる間に寝かせてもらってたけど、あいつはどうかな。あの様子じゃ寝てないんじゃないかな」
「う・・そ? だって、ベース・・」
「俺、司がベースやるのって見た事ないし、聞いた事ないよ。だから、ナオが来ないって分かった時、すぐベース買いに行ったんじゃないかな」
「マジかよっ、だったら今日のキャンセルすりゃ良かったじゃんかっ」
びっくりしたように言う晃一に竜一は、
「そういう訳には行かなかったんじゃないのか、アイツの場合」
と言うと、紀伊也と目を合わせた。
「そういや、紀伊也はいつから行くんだっけ?」
思い出したように竜一はビールを飲み込んだ。
「来月の2日」
「そっか、司も来週には行くんだよな。なんか、ちゃんと送別会出来なくて悪かったな」
思わず紀伊也は苦笑すると、首を横に振った。
「そういうの苦手だからいいよ。でも、帰って来たら竜ちゃんは、もういないんだよね」
「帰って来る? って、卒業したら戻って来るつもり?」
「多分・・・。司についてくって、俺、約束したから」
少し遠くの方へ視線を移した。
「そっか・・・、なら安心だ。司を頼むよ」
「え?」
「何かさ、俺にとっちゃ 司って、やんちゃな弟みたいな感じで、放っておけないんだよな。俺さ、亮さんから紹介されただろ。だからかよく分かんないけど、亮さんに家庭教やってもらってた時なんか、外国にいる司の話ばかりだったもん。何か、俺まで司の兄貴になったみたいな気になっちゃってさ、笑っちゃうよな」
思い出したように笑うと、ビールを飲み干した。
******
珍しく足取り覚束ず、秀也に支えられながら、ようやく部屋へ辿り着いてベッドへ腰掛けると、はぁーっと一息ついた。
「今、水持って来てやる」
ギターケースを壁に立て掛けるとキッチンへ向かった。
グラスに水を注ぎ持って来ると、その場に立ち尽くし、思わず苦笑してしまった。
いつものように既に倒れるように横になり、眠ってしまっていたからだ。
そっと足を持ち上げ、ベッドへ寝かせた。
持って来た水を自分で飲むとキッチンへ戻した。
翌昼になっても司は目を覚まさない。
晃一から事情を聞いた秀也は、そのまま司を寝かせておくと出かけた。
この様子なら夕方まで目を覚まさないだろう。
案の定、夕方5時過ぎに帰宅しても眠ったままだった。
買って来たペットボトルをしまって、一本だけ持って部屋へ入ると、ベッドにもたれ床に腰を下ろした。
タバコに火を付けながらベッドへ目をやった。
何故か、司がここで寝ている事にホッとしていた。
『好きな人がいるんですか?』
その問いかけに少し笑ってしまった。
『好きとか嫌いとかよく分からないけど、今、いつも一緒に居たい人がいるのは確かなんだ。 だからもし、エリカちゃんと付き合っても、きっとその人とは離れられないし、離れたくないと思うんだ。とにかく一緒に居たいんだよ』
『それって、好きだから離れたくなくて、一緒に居たいんですよね。 だったら、その人の事好きだって、言って下さい。そしたら私、諦めます』
真っ直ぐに見つめられて少し戸惑ったが、素直に答えていた。
「ん・・・、んん・・・」
どうやら起きたようだ。
というよりは、灯りを点けて起こしてしまったらしい。
「ああ、よく寝た。今何時?」
あくびをしながら伸びをすると、起き上がりながら目をこする。
「6時」
「え? 6時? って、朝?」
「なワケないっしょ。もう夜だよ、日曜の」
呆れて言うと、冷蔵庫からペットボトルを出して司に投げた。
サンキュ、と言ってそれを受け取り、一口飲むと目が合った。
あれから、二人きりになるのは初めてだ。
司は思わず目を反らして息を呑むと、気まずくなりかけて立ち上がった。
「ごめん、ありがと。今日はもう帰る」
ペットボトルを置いて、壁に立て掛けてあったギターケースを一つ手にした。
「ナオ、いつ帰って来んだろうな」
秀也の言葉に、手にしていたギターケースを見つめる。
もう戻って来ないかもしれない。
自分のせいで明日香が死んだのだ。
ナオは一生司を恨むだろう。
兄妹を亡くした気持ちは痛い程解る。
「司は? いつから行くの、留学」
「あ、ああ、三日後」
「ロシアか・・・。ずいぶん遠いなぁ」
「でも、8月の末には戻って来るよ。末のライブには必ず」
秀也の物寂しそうな声に、慌てて応えた。
別に、好き好んで行く訳ではないが、仕方がない。行かねばならなかった。
「その時にナオも戻って来るといいな」
励まされるように言われ、軽く頷くと俯いた。
「秀也ごめん、オレ行くよ」
これ以上ここにいたら、また甘えてしまいそうだった。
本当に疲れていた。
秀也と居ると、何故かホッとして安心したように眠ってしまう。
まるで全てのしがらみから解放されるようだった。
余りに無防備な自分が信じられないでいた。
「送ってく」
「いいよ、タクシーで帰るから」
「そうじゃなくて、学校まで送って行くからもう少し、一緒に居よう」
「え?」
顔を上げると、秀也が優しい笑みを浮かべて司の手からギターケースを取ると、壁に立て掛けた。
「秀也・・・?」
「もう少し、傍に居たいんだ、司の」
一瞬、目が合った。
少し照れるように秀也が目を反らしたが、その目を司が捕らえた。
「オレも居たい。・・・、一緒に居たいよ。・・・秀也が好きなんだ。それって、一緒に居たい理由にはならない?」
言った後で、胸がドキドキしている。
今にも心臓が飛び出してしまうのではないかと思った。
それを秀也の優しく温かい腕が包み込むように抱き締めた。
「俺も好きだよ、司の事。だから、これからもずっと一緒に居よう」
何を背負っているのか分からないこの細い肩を、今は少しでも癒してあげたい。
そんな想いが込められているのだろうか。
秀也に抱き締められながら、固まっていた強固な氷が少しずつ解けて行くように、司の体が柔らかく解き放たれて行く。
秀也はその細く尖った顎を持ち上げると、今にも解けて消えてしまいそうな柔らかく薄い唇に、自分の唇を大切な何かを包み込むように重ねた。
秀也の優しく温かく自分を包み込む口付けを、目を閉じて感じていた。
これが夢なら永遠に醒めないで欲しい
誰にもこの温もりを渡したくはない
永遠に自分だけのものであって欲しい
永遠の眠りから醒める事のない世界へ・・・
次話から第二部開始です。司と秀也の関係は・・・。