始動
「岩塩を買うぞ。」
待ちの時間が予定の3日を超えて5日になった時、メキリオは言い出した。毎日、支部の中で悶々と過ごす日々は、どんどんメキリオの眉間の皴を濃くしていた。いよいよ堪忍袋の緒が切れたという事か。
「おい、荷物をまとめろ。馬車を市場に運んで、岩塩を買ったら、すぐに北へ走る。」
メキリオには珍しく気が高ぶっている。
「良いのかい?『マザー』に待てと言われているんだろ。」
アルジはソルキーヌとメキリオの力関係を見切っている。支部で借りた、さして広くない部屋の中で、メキリオは部屋の隅まで歩いては、もう一方の隅まで歩く事を繰り返す。
「義理は果たした。これじゃあ、無駄に時間と金を浪費するだけだ。いつ終わる保証もない。」
支部の中の誰かに聞こえるかも知れないという心配はしていない声量で話す。
「そんなの最初から分かってたでしょ。『マザー』に話してからの方が良くないか。」
そう言いながらも、アルジは荷物を1つにまとめる。
「話す必要は無い。俺達が来る前からギルドと鉱山の我慢比べは続いている。市場が品薄状態なら、国中が品薄状態になっている筈だ。多少高い値段で買い入れても、急いでシャルアに行って売れば、良い値で売れる筈だ。このまま待って、岩塩が市場に溢れてから買えば、確かに安く買えるが、一気に塩が国中に流れ出し、シャルアでの価格も暴落しちまう。それじゃあ、損をしかねない。」
メキリオは、半分アルジに説明しながら、半分自分に言い聞かせている。
「ふーん。まあ、僕はメキリオの判断に従うよ。」アルジは自分の毛布を手際良く丸めると革ベルトで縛る。「荷物は纏めた。カーベルの支度をしなきゃ。」
「よし。」
メキリオは1つ大きく頷くと、先に立って部屋を飛び出す。アルジも自分の荷物を抱えて後に続く。暖かいベッドは有難いが、無為に過ぎていく毎日に飽きて来ていたアルジは、ワクワクした気分が戻ってくるのを感じている。
「おはよう。メキリオ。」
広間でソルキーヌに出会うと、メキリオの足が止まる。
ほらほら、どうする?
アルジは後ろから事の推移を見守る。
「マザー、おはようございます。」
「その荷物は、出発ですか?」
ソルキーヌの落ち着いた張りのある声が広間に響く。
「はい。仕入れて北に向かいます。」
「そうですか…。もう待てないと言う事ですね。」
「私の様な弱小の者には限界です。私が買う程度では、価格に影響も出ないでしょう。」
指先までピンと伸ばして立つメキリオを、後ろ姿にしろ見るのは初めてだ。きっと緊張し切った表情で、受け答えしているのに違いない。
「皆がそう考えたら、結局影響が出るのです。高掴みをすれば、ザルケスタン鉱山が在庫を放出して暴落した後、結局損失が残りますよ。」
ソルキーヌは、いつもの椅子から徐に立ち上がって、メキリオに近付いて来る。
「そうなる前に売り抜けます。仕入れたら、一気に首都を目指し、暴落が追いかけて来る前に売り抜けます。」
ソルキーヌは、メキリオの前で立ち止まって彼を見上げる。大柄な小母さんと分かってはいたが、メキリオと同じぐらいの背丈がある。痩せているメキリオに比べ、大きな胴回りを持つソルキーヌの方が断然押し出しが利く。
「どうか、ご理解下さい。」
小さな声で、メキリオは漸くそれだけ言った。何だか、マザーの前ではからっきし力が出ない。ピューラでの言い合いとはえらい違いだ。ソルキーヌは暫くメキリオを見ていたが、不意に振り返ると自分の椅子に戻って行く。
「分かりました。今日、明日にも鉱山の在庫放出がありそうです。できるだけ早くシャルアを目指しなさい。」
ソルキーヌは後ろを振り返らずに言い放つ。
「はい…」
静かな低いメキリオの声は広間に反響する事も無く、アルジさえ、辛うじて聞こえるくらいだ。一気にメキリオが静から動に移る。小さく頭を下げてから、支部の出口に向けて突進する。アルジもソルキーヌに軽く会釈をして、メキリオに続く。馬車の支度をしながら、アルジはメキリオの表情を盗み見る。いつもと変わらない。暗い表情で、眉間に皴を寄せている。
「なんだ?」
アルジの視線に気付いてメキリオは手を止める。何故、アルジが見ているか分かっているに違いない。
「いや、何でもない。市場までは僕が手綱を持つよ。」
何だか、何かしてやりたくなった。
「市場の隣の広場に馬車を停める。行き方が分かるか?馬車の通れない道もあるぞ。」
「大丈夫。ここ数日、何も考えずに街をぶらついていたとでも思っているんじゃないだろうね。」
アルジは御者台に這い上がると、笑顔を作って見せる。
「じゃあ、どれくらいできるか、見せてもらおう。」
メキリオは隣の席に腰を下ろすと、街路の方向を顎で示した。
広場に馬車を停めた後、メキリオの知り合いの卸商の店を巡る。最初の日に回った店ばかりだ。
「お前達トルドーが買ってくれないから、こっちは商売にならないよ。」
店主達は、支部から指示が出ている事を承知している。だから、口では商売をするが、本気で相手をしない。
「そんな事は無い。良い条件を出してくれれば、直ぐにでも買う。」
メキリオはそれを逆手に取り、如何にも買う気を装っている様にしながら、店主が油断して、買う気を誘う為の見せ玉の条件を出す様に仕向ける。メキリオは知り合いの店主達に条件を出させた後、条件と店主の物言いから、これはと思う店にもう一度顔を出す。
「お前の所はまだまだだな。この先の店では、もっと良い条件を出してきたぞ。」
メキリオはこう言いながら、店の中に入って行く。どうせ、薄商いで時間を持て余している店主は、知り合いのメキリオの会話には乗ってくる。
「よし、それで買おう。」
頃合いを見て、メキリオは言い切る。まさか本当に買うと思っていない店主は、言われても直ぐには信じない。
「だから、今お前が出した条件で買うと言っているんだ。ブツはあるんだろ。」
「お、おい、買い控えの指示が出ているんじゃないのか?」
店主は慌てている。
「何を言っているんだ。俺は知らんよ。」メキリオは惚けた顔で言って、懐から革袋を取り出す。「銭ならここにある。ブツを揃えてくれ。」
いつもは半分死んでいる目がギラギラ光り、店主を睨んでいる。
やっぱり、商売の師匠は違うや。
アルジは、豹変したメキリオの表情を見上げて思い直した。
午迄に仕入れは完了した。岩塩の粒が詰まったジュート袋を馬車の荷台一杯に積むと、メキリオは手綱を取った。
「いいか、首都シャルアまで最短距離で行く。お前はカルーの本部に顔を出したいかも知れないが、帰り道までお預けだ。ここからは時間との勝負だ。だが、馬車は空の時より何倍も重い。カーベルが倒れちまったら元も子もない。休憩は確実に取っていく。最初は岩だらけの道だ。車輪と車軸を傷めない様に轍を選ばなければならない。ここは俺が切り抜ける。」
1人で興奮気味に言い切ると、メキリオはカーベルに手綱を当てた。