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深い森  作者: 倉谷 梟帥
5/15

空色の陰

 翌日も待ちになった。メキリオは商会の意向を()んで、3日間は待つと決めた。(たくわ)えがある(わけ)じゃない。長く(とど)まれば、無駄(むだ)出費(しゅっぴ)(かさ)む。アルジという、底なし沼の(よう)に食物を飲み込む育ち(ざか)りの見習いが一緒なら尚更(なおさら)だ。やる事が無くなったメキリオは支部で骨休めを決め込む。アルジはエネルギーを持て余す。メキリオは厄介払(やっかいばら)いを()ねて、アルジに昼飯代を渡して、市内に出る事を許可した。

「いいか、無駄遣(むだづか)いするんじゃないぞ。(ぜに)が無くなっても、今日はそれ以上、渡さんからな。」

 メキリオはアルジを(にら)みつけて、人差し指を突き出して宣告する。

「ああ、分かった。」

 自由に街中を闊歩(かっぽ)できると聞いて、出掛ける前からソワソワしている。

「道に迷うなよ。」

 メキリオの言葉が終わらない内に、アルジは部屋を飛び出した。広間のソルキーヌの前は「行ってきます。」と静かに挨拶(あいさつ)して通り過ぎる。薄暗い支部の建物から明るい陽射(ひざ)しの中に出て、大きく深呼吸をする。

 やっぱり、太陽の下で動いているのが僕だ。

 最初は昨日行った岩塩市場に行こうと思っていたが、行き()う人の流れの速さに付いて行けない自分の歩幅を意識したら気が変わった。気になる路地(ろじ)を適当に曲がり、金細工(きんざいく)の商店は、どうせ買わないだろうと(たか)(くく)られながらも(かま)わず(のぞ)いてみて、広場の石像を間近(まぢか)で見上げ、壁際(かべぎわ)まで下がって全体を(なが)め、サニキス人の独特な宗教施設は、余所者(よそもの)が汚さない(よう)に離れて通り過ぎ、街を見下ろす尖塔(せんとう)には、汗を()きながら螺旋(らせん)階段を上って、階上の見張り台で暑い乾いた風に吹かれてみた。そうしている内に腹が減ってきた。そう言えば、ピューラの宿で食べた山羊(やぎ)肉は最高だった。これだけ大きな街だ。きっと、もっと(うま)い物があるに違いない。アルジは食い物を探して、街の中を徘徊(はいかい)し始める。そう言う時に限って飯屋は見つからない。どうやら、この(あた)りは住居地区らしい。飯屋どころか、商店すら見当たらない。

 良い(にお)いがする。香辛料と共に焼ける肉の匂い…。きっと、匂いのする方向に店があるに違いない。アルジは空気の流れに乗ってくる、匂いの方向を定めて歩き出す。路地を抜けて、広めの通りに出た。馬車が通れる石畳(いしだたみ)の道だ。匂いの()()が分かった。肉の(かたまり)を数個ずつ(くし)に刺して焼いている。その串を持ち上げた婦人が、子供が持つ皿の上にその串を置こうとしていた。串を焼いているのは男だ。恐らく、婦人の夫であり、子供の父親だろう。子供は皿を持ったまま、婦人の顔を見上げている。アルジに背を向けているからその表情は分からない。でも、婦人の(やさ)しい表情を見れば、子供の表情も容易(ようい)に想像できた。

 お店じゃないや。

 アルジの動きは彼()親子を見たまま止まった。

「どうしたんだい。」

 背後からの声に、アルジは振り返る。間近(まぢか)に老人の顔を見て、思わず声が()れそうになる。全身に白い布を巻き、白髪髭(しらがひげ)に囲まれた口元、何よりも(しわ)と一体になってしまった両の眼には見覚えがある。

「…なんだ、昨日の小父(おじ)さんか。」

 安堵(あんど)したアルジの表情を見て、(しわ)の中の眼が笑っている。

「お(なか)が減っちゃったんだけど、どこか食べられる所を知りませんか?」

 アルジは、昨日会ったばかりの老人にできるだけ丁寧(ていねい)()く。

「そうか、腹が減ったのかい。…よし、案内してあげよう。」

 老人はくるりと背中を向けると、手振りで付いてくるように合図する。2人は並んで石畳の街路を歩いた。老人は道すがら、アルジの名前を訊いた。自分の事はドーゼルだと名乗った。

「アルジはトルドーかい。」

「うん。ドーゼルさんもトルドーじゃないですか?」

「ほう、どうしてそう思う?」

「バンダナをしていないし…」

「バンダナをしていないのなら、オーベル人も同じだ。」

「トルディア商会の…ギルドのマザーが同じ様な白い布の服装をしていました。」

 ドーゼルは、自分の横を歩くアルジを見下ろして(しわ)白髭(しらが)でできた顔で笑顔を作る。

「アルジは頭が良いな。大切な事だ。」

「トルドーなんですか?何を扱っているんですか?やっぱり、岩塩(しお)。」

「ザルケスタンは岩塩(しお)の街だ。トルドーだけじゃない。ここに住むサニキス人もオーベル人も(ほとん)どが岩塩に関わって生活している。だけど、アルジはスオウにも会ったんじゃないかい?」

「ドーゼルさんは(すご)いな。何で知っているんですか?」

「私の事は、『(じい)さん』で(かま)わないよ。敬語も()らない。昨日、スオウのラクダと君の馬車が並んで進んでいるのを見掛けたからね。」

「なんだ。でも、スオウさんとも知り合いなんですね。やっぱりトルドーだ。」

「…どうだ、ここにしようか。」

 ドーゼルは、焼いた鶏肉(とりにく)の絵の看板(かんばん)が下がっている店を指差(ゆびさ)す。(うま)そうに黄金色(こがねいろ)になった肉が、今も店頭で焼かれているのが見える。

「ドーゼルさん、(すご)い店知っているんだ。ありがとう。」

 アルジは口一杯に唾液(だえき)が出てくるのを感じながら、ドーゼルに礼を言うと、店先へと走る。焼いている鶏肉は、どれも(あぶら)で輝やいている。まずは自分の(ふところ)を探り、メキリオに(もら)った(ぜに)を確かめる。

「銭を気にしているのか。(じい)さんに任せておけ。」

 アルジの後から来たドーゼルは、アルジの腕を(つか)んで店の中へと入ろうとする。(しわ)だらけの老人とは思えない力で引っ張られて、アルジはよろけながらも抵抗する。

「いえ、会ったばっかりの人にそこまでしてもらってもお礼ができません。」

水臭(みずくさ)い事を言うな。トルドー同士じゃないか。」

 無理矢理(むりやり)引き()り込んだアルジを席に着けると、勝手に料理一切(いっさい)を注文する。料理は、さして待たずにテーブルに運ばれて来た。

「ザルケスタンはどうだい?」

 (とり)頬張(ほおば)るアルジを(なが)めながら、自分は酒を()め舐め老人が(おもむろ)()く。

「うん、(すご)い街だ。人が一杯いて、ずっとお祭りしているみたいだ。昨日、市場に連れて行ってもらって、いろんな人と話をしたけど、みんな親切にしてくれたよ。」

「そうか。そりゃ、いい出会いをしたな。」

 アルジは一つ、気になっている事を()かずにはいられない。

「えーと、ドーゼルさん。」

「『(じい)さん』で良いと言っているだろ。」

「じゃあ、ドーゼル爺さん。スオウさんを知っているって事は、メキリオさんも知っている?」

「アルジは、メキリオに付いて修行をしているんだろ。あの男の因果(いんが)だ。」

「ねえ、メキリオさんってどんな人?」

 アルジは食欲が満たされてくると、話にのめり込む。

「なんだ、一緒に居て分らんのか?」

「うん、何だかね。あんまり(しゃべ)らないし。メキリオさんが手綱(たづな)を握っていると、馬車を停めるまで、一言も喋らない時もある。」

「ほう。…あいつは、今まで長い間、1人で旅をしてきた。喋らないのが身に()み込んでしまったんだろう。」

「スオウさんも1人で商売しているけど、沢山(たくさん)話してくれたよ。」

「ははは、スオウはこの街に家がある。女房(にょうぼう)、子供と暮らしておるからな。」老人は楽し()に笑うと、(うま)そうに酒を()める。「何故(なぜ)、メキリオの事が知りたい。」

 何故?と言われると、アルジは答えに(きゅう)した。一緒に居て、この人はどんな人だろうと無意識に思っていた。理由なんか無い。

「メキリオはみなしごだった。」

 老人はテーブルの表面を見つめている。唐突(とうとつ)物言(ものい)いで、アルジが言葉を理解するのに一瞬()()いた。

 この爺さんは何でも知っている。なんでそんなに詳しく知っているんだろう。

 アルジは(しわ)(ひげ)で構成された老人の顔を見つめた。

「僕も親がいない。」

 アルジの口から何のためらいも無く言葉が出た。どうせ、黙っていてもこの爺さんは分かっている。そうして、こっちがどうするかで人を(はか)っている。そんな気がする。だったら、みんなさらけ出してしまおう。

何故(なぜ)そんな事を言う。」

 ドーゼルは顔中の(しわ)で笑顔を表現する。

「ドーゼル爺さんは何故、メキリオさんの事を言ったの?」

 アルジの切り替えしを受けて、老人はのけ()ると声を上げて笑った。

「こりゃ、私の負けだ。アルジは一人前のトルドーだ。」

 アルジは楽しそうに笑う老人を(しばら)くそのまま放っておいた。老人が笑っている間に残っていた鶏肉を口に頬張(ほおば)る。

「メキリオはもっと陽気な男だった。」笑う事に満足すると、老人は勝手に語り出す。「そうさ、アルジ、今のお前の(よう)に活気(あふ)れた男だった。」

「じゃあ、何で今の様になったの?」

「さあなぁ…そこまでは知らん。気付いたら今のメキリオになっていた。」

 ドーゼルはもぞもぞと口髭(くちひげ)を動かして(うな)った。

「ふうん…じゃあ、僕もあんな(ふう)になるのかな。」

 嫌だな。

 口に出さないが、何だか()まらない人生に思えてならない。

「そうとは限らんだろう。アルジは、どんなトルドーになりたい?」

「んー、まだ何とも。…これから、修行する中で決めていく。ただ、早く一人前になりたい。自分で何でも決められるように早くなりたい。」

 今日、こうして街を歩いた(よう)に。アルジは物心(ものごころ)ついたときには、もうトルディア商会で暮らしていた。誰に言われた(わけ)じゃなかったが、いつも()い目を感じて生きてきた。誰かの世話になっている。それが自分を(しば)っていた。

「メキリオと一緒の旅は嫌か?」

「そうじゃないよ。親切に教えてくれるし、僕の商売の師匠(ししょう)だよ。ただ、ちょっと陰気なだけさ。…そうだ、メキリオさんは、僕に呼び捨てにしろって言うんだ。最初は、『メキリオさん』とか、『親方』とか言ったんだけど、気持ち悪いって(いや)がるんだ。何でだろう?」

「そうか。あいつはそんな(やつ)さ。放っておけ。詰まらない(こだわ)りだ。」

 突然、男が1人、開け放たれた店の入り口から(ころ)げ込む。アルジは入り口を背に座っていたから、激しい物音と男の(あら)息遣(いきづか)いを聞いて驚く。振り返ったアルジのすぐ目の前の床に(ひざ)をついて、肩で息をする男がいる。白い襟無(そでな)しのシャツは土埃(つちぼこり)で所々茶色く染まり、汗まみれだ。首に巻いたバンダナも土埃と汗にまみれて色褪(いろあ)せ、見る影もない。

 男に気付いた店主が奥から出てくる。

「さあ、仕事の邪魔だ。出て行ってくれ。」

 太い腕で男の腕を握り、強引に立たせようとする。

「済まない、(かくま)ってくれ。」

 日に焼けた男は、重い(まぶた)の両目ですがるように店主を見上げる。

「冗談じゃない。(かか)わるのは御免(ごめん)だ。」

 店主は男を店の外へ引き()って行く。太った店主の首に巻かれた色鮮やかなバンダナが、アルジの目の前を通り過ぎて行く。

 同じサニキス人なのになんて冷たいんだ。

 声を上げようとしたアルジの腕をドーゼルが引っ張る。アルジが振り返ると、黙って首を横に振る。

「でも…」

 腕をつかむ手に更に力が(こも)る。(あらが)おうとするアルジを、老人の(しわ)の中の瞳が許さない。そうしている内に男は街路に放り出される。男は路上にへたり込み、悲哀(ひあい)に満ちた表情で店主を見上げる。

「いやあ、ご迷惑をお掛けしてすいません。」

 皴枯(しわが)れ声の太った大男が彼等に近付く。

 あの男だ。ピューラの町で言い(あら)いをした、いけ好かない男。

「さあ、戻りますよ。これ以上手間がかかると、何があっても私は保証できないから。」

 大男は路上の男の腕を(つか)み、男の顔に自分の顔を近づけて(すご)む。男はがっくりと肩を落とし、よろよろと力無く立ち上がる。大男は男の背中に腕を回し、来た道を戻って行く。物事が片付(かたづ)いたと踏んだ店主は、2人を振り返りもせずに、さっさと店の奥に戻って来る。

「アルジ、そろそろ帰ろう。ギルドに戻るんだろ。送っていくよ。」

 老人は残っていた酒を一気に(あお)ると立ち上がった。


 帰りの道すがら、アルジは怒っていた。

「あいつは悪い(やつ)だ。ザルケスタンに来る前の町であいつを見たんだ。町の(すみ)で何か悪い事をしていたんだ。今日だって、男の人を無理やり連れて行っちゃった。」

 アルジは老人に止められた鬱憤(うっぷん)を晴らさずにはいられない。

「アルジの言う(よう)に悪い人かも知れないが、無理やりは連れて行かなかったと思うぞ。男の人は観念して付いて行った様に見えたけどね。違うかい?」

「きっと、逆らえない何かがあるんだ。前の町で見た時も、男の人達はあいつに(おび)えている様だった。なんかとんでもない事をしているに決まってる。」

 話している内に、だんだん怒りが増してくる。

「確かに(おび)えていたね。それで、もし私が止めなかったら、どうするつもりだったんだい。」

「そりゃ、勿論(もちろん)、あの男の人を助けるんだ。少しくらい体が大きい(やつ)が相手だって、ビビったりしないんだから。」

「アルジは(いさ)ましいんだな。助けるって言っても、私()に何ができる?あの大きな奴と喧嘩(けんか)でもするかい?アルジは勇ましくても、私の(よう)な老人では相手にならないよ。」

「ドーゼル(じい)さんには迷惑かけられないよ。僕1人で相手になる。結局、負けたとしても、あの男の人が逃げる時間ぐらい(かせ)げるだろ。」

 アルジは、ファイティングボーズを取ると、右の(こぶし)を前に()り出す。

「おおう、立派(りっぱ)な覚悟だ。アルジが戦っている間にあの男が逃げたとして、逃げ切れないだろ。もう、よろよろだった。早晩(そうばん)捕まってしまう。」

「…あの店のおやじさんだって冷たいよ。同じサニキス人が困っているのに、放り出しちゃうなんてさ。」

「うむ、冷たい。でも、冷たくしなければならない事情もあると思わないかい?あそこで男を助けたら、(るい)が店主にも及ぶ。店主だけじゃない。下手(へた)をしたら店だって危ない。そんな危険な()けができるかな。」

 いちいち反論する老人に最初は苛立(いらだ)ちを感じていたが、少し頭が冷めたアルジは思い(いた)る。

「ドーゼル爺さんは、何か事情を知っているの?」

 老人は口髭(くちひげ)を動かして()みを作ると、前を見て歩きながら話し出した。

「あー、そうだなぁ。少しは事情が分かっている。だから、アルジの(よう)に真っ直ぐに行動に移せないのさ。爺さんにはちょっとアルジが(うらや)ましいよ。…あの男、店に逃げ込んで来た男がいたろ?あれは、岩塩鉱山から逃げて来たのさ。この辺の()せた土地じゃあ生活が苦しい。生活の苦しさから抜け出そうと、(まと)まった金と引き()えに男達は山で働く。少しでも家族に楽をさせようとしてね。別に考えが甘い(わけ)じゃない。山で働くのが(つら)いのはみんな理解している。それでも、露天掘(ろてんぼ)りとは言え、炎天下(えんてんか)の毎日の重労働は過酷(かこく)だ。耐え切れなくなって、現実から逃げ出す者が出る。そういう事さ。逃げたあの男は、内では分かっているのさ。逃げてもどうにもならない事を。逃げる先なんか無い事を。」

「店のおやじさんも知っているのかな。」

「ああ。ザルケスタンで暮らしている者は、大概(たいがい)事情を理解している。それだけ、逃げて来る男が多いって事さ。」

「そうなんだ…助けても無駄だって事だね。」

「うーん、男の(ため)になるとは言えないね。」

「じゃあ、僕が悪い人だって思った(やつ)は、逃げた人を岩塩鉱山に戻すのが仕事なんだ。」

「今回はそうさ。でも、アルジがその前に見た仕事はまた別の仕事の(よう)だね。どっちにしても、あいつは岩塩鉱山に人を()り立てる番犬の役割をしているって(わけ)さ。」

 老人は、わざとあざとい言い方をした。

「番犬…牧場主の代わりに羊を追い立てている感じかな。」

「ヒャヒャヒャ、ああ良い表現だ。そう、番犬と言うより、牧羊犬(ぼくようけん)だね。主人の顔色を(うかが)う犬は、命じられた目的を実行するためなら、いくらでも冷酷(れいこく)になれる。主人は目的を命じただけで、やり方は犬が勝手に決めた事だと思い込む。主人も犬もお互い責任は自分に無いと思っている。誰かの責任にして自分を納得させられれば、人間はどんな残酷(ざんこく)な事も()()げられるもんだ。…そうなると、主人がどんな奴等(やつら)か気にならないかい?」

「主人?昨日、ドーゼル爺さんと会った時に見た馬車の人達?別に。気にならないけど。」

「やっぱり頭が良いね。それなら良い。気にしない方が良い。真っ直ぐなアルジが一人前のトルドーになるのには関係の無い事だから。」老人は1人で勝手に(うなず)く。「アルジ、空を見上げてごらん。」

 老人は(みずか)らも空を見上げている。言われて見上げたアルジの眼に左右の建物で切り取られた細長い青空が広がっている。

「雲1つ無い、あの空のどこかに光の()さない暗い(かげ)があると言ったら、アルジは信じられるかい?」

 アルジには老人が言いたい事が分からない。黙って空を見上げ続けている。

「底抜けに明るい空に隠れた陰があっても、(まぶ)しくて見付(みつ)けられない。不思議じゃないさ。たとえその存在を知らなくても何の不都合(ふつごう)も無い。自分の人生を不自由なく暮らしていける。でも、もし本当に見えない陰があるとしたら。そして、その陰が見えるかも知れないとなったら。アルジ、お前はその陰を見ようとするかい?」

「何だか分からないけど、本当にそんな物があるなら、見てみたいと思うよ。」

「もしかしたら、それがアルジをもっと幸福にするかも知れないし、(ある)いは(ひど)い不幸にするかも知れない。唯一(ゆいいつ)断言できるのは、知らなかった時とはきっと違う人生になるって事さ。見ようとするかどうかは、アルジが決める事だ。」

 アルジは答えなかった。そんなもんあるのかな?()(かた)いて青さを増した、(みずか)らの頭上に広がる青空にはそんな気配はまるで無い。

 老人は歩みを止める。アルジは、今度は何かと老人を見遣(みや)る。老人は前方を指差(ゆびさ)した。

「ほら、このまま行けばギルドだ。見えるだろ。ここでお別れだ。今日は楽しかった。これから先も気を付けてな。」

 アルジの目にも石造りの支部の建物が見える。

「うん。ドーゼル爺さんも元気で。」

 アルジは意識して元気良く挨拶(あいさつ)する。

「ああ、そうだ。今日私と会った事は、メキリオには黙っていた方が良い。」

 老人はそう言うと、アルジが歩き出すよりも早く、今来た道を戻って行った。



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