岩塩（しお）の街
古い城塞に守られた旧市街を持つザルケスタンは、オアシスから発展した街だ。古くは周囲のオアシスを束ねるサニキス人の王の都だったという言い伝えがある。ザルケスタンの南には広大な岩塩の鉱脈があり、大規模な露天掘りが行われている。ザルケスタン鉱業という最大手の採掘企業以外にも、有象無象の山師達が元手無しに財を成そうと群がる。この岩塩採掘から得られる富に引き寄せられて、ザルケスタンは膨張を続けた。今や城塞の内側ではとても収まり切れず、周囲を新市街が取り囲み、その更に外側をスラム街が囲んでいる。最早、王は居ない。デクレシアという国の元、人々はそれぞれの夢をかき抱いて暮す。確かにここを去るのも、留まるのも自由だ。しかし、岩塩の上に築かれた蟻塚の様なこの街で暮らす事は、女王蟻を頂点とした社会を構成する働き蟻になる覚悟を決める事でもある。
アルジは馬車の手綱を操りながら、目を見張っていた。ザルケスタンに至るまでの不毛の大地では、見渡す限り人の影すらなかった。なのに、ザルケスタンに近付くにつれてその数が俄かに増え出し、気が付けば広い街道一杯、人で溢れ返っている。強い日射しと熱い風を避けるために、何かしら頭に被り、肌の露出の少ない服装で身を覆った老若男女が、埃っぽい道をてんでに歩いている。大きな荷を持った男、仲間とはしゃぎながら駆け過ぎる子供達、家畜の牛を連れた者もいる。誰もがアルジの操る馬車になど気にも留めず、馬車の直前を横切って行く。カーベルが誤って踏んでしまったり、逆に人に驚かされて暴走しないかひやひやしながら、アルジは慎重に馬車を進める。
これはきっと、何か祭りがあるんだ。そうでなければ、この人の多さと得体の知れないエネルギーが溢れかえる空気を説明できない。
「メキリオ、俺はザルケスタン鉱業に納品に行く。ここでお別れだ。」
馬車と並んで進んでいたラクダの上から、スオウが話し掛ける。
「ああ、分かった。元気でいろよ。」
メキリオはぼろの麦わら帽子を取ると、スオウに向けて右手を上げる。
「お前も元気でな。機会があれば、また会おう。」スオウも縁無し帽を取って、挨拶をする。「おい、アルジ。」
スオウに呼ばれても、反応する余裕はない。
「おい、聞こえているか？立派なトルドーになれよ。ナツメヤシの実に興味があったら、いつでも俺を訪ねて来い。この街が俺の根城だ。じゃあな。」
「うん。スオウさん、お元気で。」
カーベルの前をウロチョロする人影にやきもきしながら、スオウを見ずにどうにかそれだけ言葉を返す。スオウは声を出さずににやりとすると、ラクダの向きを変えて、人の海を渡り遠ざかって行く。
「メキリオ、僕達はどこまで行くんだ。この街のトルディア商会はどこにあるんだ？」
こんな調子じゃあ、自分がまいってしまう。
「まだ城門をくぐってもいない。まだまだ。ずっと真っ直ぐだ。」
「城門って…どのくらい先だよ。僕は初めてで、分からない！」
「慌てるな。その内に見えてくる。兎に角、真っ直ぐだ。」
「こんな祭りの日なんてついてないよ。カーベルが暴れないか心配だ。」
「大丈夫。カーベルは人込みに慣れている。それに、別に祭りじゃない。いつもこんなもんだ。」
「え～。」
ザルケスタンの街は、人々のエネルギーが気温を更に押し上げる。道の両側には出店が並び、野菜や果物から陶器や貴金属まで売っている。行き交う人も、出店の主人も客も、男はバンダナ、女は組紐を髪につけている。皆サニキス人だ。正にここはサニキス人の王が育んだサニキス人の都だ。
「出店を出しているのはサニキス人だ。トルドーじゃないよ？」
アルジは疑問を素直に口にする。
「ここで出店を出しているのは、大抵自前の品を売りに来る連中だ。野菜や果物は家で採れた物を家族の中から誰かが売りに来る。貴金属は細工師の工房から弟子が売りに来る。トルドーは殆ど行商人だ。あっちの町で商品を仕入れて、そっちの町に運んで売る。勿論、店を構えて売っているトルドーも沢山いるが、この辺りじゃあ少ない。」
「どうして？サニキス人だらけの中じゃ商売しにくいかな？」
「まさか、そんな事は無い。こうして活気がある街だ。いくらでも商売になる。店を持つという段になった時に、ここを選ぶトルドーが少ないんだろう。」
何だか、答えになっていない。
「じゃあ、結局、トルドーには商売しにくい街なんじゃない？」
「さあな。俺には分らん。」
「メキリオもその内、店を出そうと思ってる？やっぱり、出すなら首都シャルア？」
「岩塩の店を出したところで、大して儲かるものじゃない。…第一、俺は店を持つのを目指していない。このまま、この仕事で食っていければ良いさ。こうやってアルジをしごくのも楽しいしな。」
最後にふざけて見せるが、言葉の裏に隠し切れないメキリオの寂しさは、アルジにも理解できる。
「そうだね。僕も旅は好きだ。知らない景色や出来事に出会うのは、わくわくするよ。」
「お前はまだ若いんだ。もっと夢を持て。」
「なんだよ、自分は『このままで良い』なんてやる気無い事言っておいて、人には頑張れなんて、説得力が無い。」
「馬鹿、俺だってお前くらいの時は、おっきい夢を持っていたもんだ。トルディア商会も真っ青になるくらいの店を国中の町に作ってだな…」
「すっごいじゃん！それそれ。僕もそれに乗った。アルジ商会を立ち上げて、年取って馬車に乗るのがきつくなったメキリオを厩舎係で雇ってあげるよ。」
「まだ、商売も習っていないうちから、大きな口を叩くようになったな。」
メキリオが呆れている。どこまで本当に呆れているのだろう。
「夢は大きい方が良いんだろ。…でも、メキリオは何でその夢やめちゃったんだ？」
そう言ってしまってから、アルジに何故か不安になる。
「そうだな…森に迷い込んだ。行く道を見失った。」
雑踏の喧騒に埋もれてよく聞き取れない。
「森？」
アルジが訊き返した時、群衆がどよめいた。人の海を切り裂いて、そろいの赤い制服を着込んだ男達が馬車の行く手から２列になって駆けて来る。
「どけ。」「道を開けろ。」
男達は口々に言い放っては、人々を端に追い遣り、道の中央を空けて行く。彼等の胸に並んだ金色の飾りボタンが太陽の光を反射して、埃っぽい人の群れの中でひと際輝いている。
「おい、脇に寄せて停めろ。」
さっきまでの呑気な口調とはまるで違う、緊張したメキリオの指示が飛ぶ。その声でアルジの緩みかけた気分が一瞬で引き締まる。急いで出店の隙間に馬車を寄せて停める。赤い制服の男達に追い立てられた群衆も、馬車の周りに押し込められ、直ぐに人の群れに取り囲まれる。それまでてんでに歩いていた者達は、通行を遮断され、狭い空間で棒立ちになって、赤い男達の様子を見ている。理由も説明されずに道の隅に押し込められたのに、文句を言う者は居ない。
「何が起きた？」
異様な雰囲気にただならぬものを感じ、小声でメキリオに訊く。
「説明するより、見ていれば分かる。」
メキリオも低い声で呟く。
人に囲まれたカーベルが首を上下させている。
「僕は、カーベルを落ち着かせて来るよ。手綱を持ってて。」
アルジは手綱をメキリオに託すと、馬車から人込みの中に潜り込み、カーベルと人の隙間を縫って、カーベルの顔の脇に行く。頬革やはみを掴んで動きを制し、優しく撫でてやる。暫くそうしていると、周囲の人の動きが収まった事もあり、カーベルは落ち着いてきた。だが暑い。空気が滞留して、押し込められた人の熱気が一気に辺りを包む。カーベルの我慢がいつまで続くか。
馬の音だ。赤い制服の男達が群衆を脇によけて作ったがら空きの道を馬の蹄の音が近づいて来る。アルジの位置からは、群衆の頭越しに赤い制服の男の顔ぐらいしか見えない。やがて、蹄の音が間近に迫ると、人の頭と頭の隙間を、４頭立てのコーチと呼ばれる豪華な馬車が横切る。車体は葡萄色に塗られ、窓や輪郭に沿って金色の縁取りがされている。視界を過ぎる一瞬では馬車に乗っている人物までは分からない。
王様？
「この『道行き』を見るのは初めてかい？」
道の中央を走り抜ける馬車に気を取られている間にアルジの傍らに来た老人から声を掛けられる。アルジは驚いて声の主を振り返る。老人は全身を白い布で包み込み、口の周りは白髪ひげで覆われている。皴の中に埋没しかけた眼が、何とか瞼を持ち上げてこっちを見ている。
「うん。ザルケスタンに来るのも初めてなんだ。」
アルジは素直に答える。
「そうかい。あれは、ザルケスタン鉱業の幹部達だ。ザルケスタン鉱業は知っているかい？」
「あ、さっきまで一緒だった人が、納品に行くって言ってた。」
「ふん、会社の偉い人はこうして、特別待遇だ。」
「へえ、すごいや。仕事をして偉くなれば、あんな物に乗れるんだね。」
アルジが道の中央に視線を戻すと、また１台４頭だての馬車が通り過ぎて行く。今度は深緑に塗られている。
「残念だが、努力だけでは、ああは成れない。運にも生まれにも恵まれないとな。ほれ、あそこに立っている赤い制服の男がおるだろ。あの男の仲間にすら、サニキス人に生まれたら、成る事はできない。」
「あの人達はサニキス人じゃないって事？そう言えば、バンダナをしていないね。制服だからじゃないんだ。」
「会社の幹部はオーベル人だ。彼等は同じオーベル人しか信用しない。この街にある一番大きな会社を動かしているのは、一握りのオーベル人達さ。」
老人はどこか面白そうに話して聞かせる。
「ここはサニキス人の土地だと思ったけど、オーベル人も住んでいるんだね。」
また１台、視界を馬車がかすめて行く。
「サニキス人の土地か。それは良い。」老人は乾いた笑い声を小さく漏らす。「確かにここはサニキス人の土地だ。オーベルはサニキスの海に漂う浮き島か。…いいか、決して、この土地のオーベル人の前でその言葉を言うな。」
語気が強まる。その変化に驚いて老人を振り返ると、間近で皴の奥の濁った眼に出くわす。アルジが言葉を失っていると、人々が動き出す。押し込められて、棒立ちになっていた人達が、乾燥していた麺が湯の中でほぐれる様に、動き出していく。
「アルジ、馬車を出すぞ、戻って来い。」
馬車の上からメキリオが叫んでいる。
「今行く。」
メキリオに向けて返事をした後、アルジは老人に別れを言おうと振り向く。だが、老人の姿はもう、雑踏の中に消えて見付けられなかった。
ザルケスタンのトルディア商会支部は旧市街の中心部に位置する。花崗岩で造られた建物はカルーの本部に劣らない立派な物だ。大広間がある中央は道に面した正面と両側が柱だけで壁が無く、暑さが厳しいこの地方の気候が考慮されている。天井から下げられた薄い布が建物の外と中を区切り、建物の中に差し込む日射しを和らげてくれる。
メキリオは正面から、何のためらいも見せずに大股で建物に入って行く。大きなトルディア商会の建物は本部の物しか知らないアルジは、建物を見上げながらメキリオの後に続く。外の強い日射しに慣れた目には、建物の中は薄暗い。
「良いか、ザルケスタンに着いたら、まず、ギルドに寄って情報を得る。これが鉄則だ。」
建物の中に入ると足を止めて、後ろから来たアルジを振り返り、人差し指を立てて小声で言う。アルジは黙って頷く。メキリオは前に向き直ると、麦わら帽子を脱ぎ、自分のシャツの皴を手で撫でて伸ばし、背筋も伸ばして歩き始める。
なんだ？もしかして、メキリオは緊張している？
身なりを気にしても、汗染みだらけの麻のシャツでは様にならない。他の支部に入る時と違うメキリオの態度を訝しく思いながら、メキリオの後を付いて行く。
「メキリオ、お帰り。」
建物を支える柱の列を抜けると、大広間が広がる。柱が１本も無い広々とした空間の中央奥が１段高い壇になっており、そこに大きな木の机と椅子が置かれている。乾燥して大木が育たないこの地方では、木製家具は富の象徴だ。赤みを帯びた木材で造られたそれらの家具は、表面に彫刻がこれでもかと施され、ニスが薄暗い室内の光を鈍く反射させて、ずっしりとした重厚感を見る者に与えている。２人が広間に入って行った時に、その椅子に座る女性が声を掛けた。声に張りがある中年女性だ。
「マザー、お久し振りです。お元気そうで何よりです。」
いやにはきはきとメキリオの声が響く。
「まあまあね。…そちらの少年は？」
徐に椅子を立ち上がり、壇の端まで歩いて来る。白い布をドレスの様に巻いた、良く太った大柄な女性だ。
「アルジと言います！よろしくお願いします。」
メキリオに紹介される前から、その場に立ち止まり、背筋を伸ばして大声ではきはきと挨拶する。メキリオのここまでの態度や、彼女の居住いや言動から、彼女が途轍もなく重要な人物である事は察しが付く。アルジとて、そのくらいの機転は利く。
「見習いです。今回から連れています。」
メキリオが補足する。
「元気な坊やね。私はソルキーヌ。憶えておいてね。私は貴方の事を忘れない。貴方の道が平らかでありますように。」
アルジを見るソルキーヌは微かな笑みを浮かべている。その笑顔の奥にある強さはアルジにも想像がつく。
「マザー、早速ですが、岩塩の相場を知りたいのですが。」
「ええ、勿論です。ジューク！」
ソルキーヌは、首をひねって大声で呼ばわる。
「お呼びで。」
ソルキーヌが二言目を発する前に、１人の男が広間の隅に姿を現す。この暑いのに、きっちりとした服で身を固めている。
「メキリオさんとアルジさんを部屋にお通しして。それと、ベルクにメキリオさんの部屋に行くように伝えて。相場について話すように。」
「かしこまりました。メキリオさん、お帰りなさい。アルジさん、初めまして。」
ジュークはソルキーヌに辞儀を返すと、メキリオ達の先に立って、２人を部屋に案内する。メキリオはソルキーヌに深々と頭を下げる。アルジもそれに倣って、ぎこちなく頭を下げる。広間に残り２人を見送るソルキーヌの姿を、アルジは振り返って確認したい気持ちに囚われながら我慢した。何だか、背中がもぞもぞする。
部屋に通されると、ベルクを待つ間、メキリオがアルジに状況を説明した。
大広間の椅子に座っていたソルキーヌという女性は、元々ザルケスタン支部長の夫人だったが、夫が他界した後、支部長代理としてこの支部を切り盛りしている。トルドー達は皆、彼女の事を『マザー』と呼んでいる。
「物凄い行動力で俺達を助けてくれる。皆何かしらの形で世話になった経験がある筈だ。」
メキリオは至極真面目な顔でソルキーヌについて語る。今ひとつ、アルジには何故そんなにメキリオが彼女を畏怖するのか理解できない。
トルドーが扱う商品は様々だが、ザルケスタンでは特産である岩塩を扱うトルドーが特に多い。旧市街の一角に岩塩の市場がある。ここで売られた岩塩がトルドーの手で国中に運ばれていく。この市場の相場が国内の塩の値段を決めていると言っても過言ではない。自分達はこの市場で岩塩を買い付けて、首都シャルアに運んで売り捌く。儲けを出すにはできるだけ安く買って、高く売る。いくら安くても、粗悪品を掴まされたら高くは売れない。良い品質の岩塩を安く仕入れるには、変動する相場を読んで、買い時を見極める必要がある。市場に出回る岩塩の量と、買い手の数で相場が決まる。支部はトルドー達や街中に張り巡らした人脈を使って、岩塩に関する情報を集めている。こうして支部に寄って、情報を得て買い時を見極めるのだ…
見た事も無い大きな街に来て、如何にも商売然とした説明を受けて、アルジの気持ちは嫌が上にも高まってくる。やがてベルクが姿を現すと、３人は挨拶を交わした後で席に着き、話し合いを始める。メキリオは、背景を把握していないアルジにも分かるように、時々説明を加える。
ベルクが話す現況は、概ね次の様な中身だった。今の岩塩市場は様子見になっている。最大手のザルケスタン鉱業が岩塩の供給を絞っている。このため、それ以外の零細な採掘業者からの供給だけでは品薄状態になり、相場は近年では無いくらい、記録的に高くなっている。ザルケスタン鉱業での採掘には何の問題も発生しておらず、倉庫には在庫の岩塩が溜まっている筈だが、彼等は意図的に供給を絞り、高い相場を作り上げている。更にまことしやかに流れている噂では、近々ザルケスタン鉱業が一気に在庫放出を始めるらしい。噂が本当ならば、相場は急落する。相場急落の情報が広まれば、国内の塩の価格は一気に下がる。それまでに岩塩を仕入れたトルドー達は損切りを強いられる。このため、トルドー達を束ねる支部は買い控える様に指示を出している。
「でも、なんでそんな事するんだ？」
アルジは思わず、疑問を口にする。
確かに相場を乱高下させても直接ザルケスタン鉱業に利益はない。しかし、高値で岩塩を買わせて相場が暴落すれば、トルドー達は赤字だ。トルドーが苦境になればトルディア商会が救済する。結局、価格の暴落は商会の体力を奪う事に繋がる。今度は貯めに貯めたザルケスタン鉱業の在庫が市場に溢れれば、安値が続き、中小の採掘業者は利益が得られず苦境に陥る。こうやって、相場を荒らして売る側、買う側の体力を奪い、岩塩取引の主導権を握るのがザルケスタン鉱業の狙いだ。これに対抗して、トルディア商会はトルドー達に協力を要請、ザルケスタン鉱業に動きが出るまで、拙速な買いを抑え込んでいる。
何だか、良く分からないけど、そういうものなのかな。
アルジには今一つ、納得がいかない。
「結局、今は待てと言っているんだな…。」
メキリオはベルクの真意を質す。
「そうして頂けると助かります。これは、鉱業と我々の生き残りを賭けた我慢比べかと。」
ベルクは最後まで感情を表に出さない事務的な口調だ。
「アルジ、今日は岩塩を買わない。市場の様子を見に行こう。」
「うん。行こう！」
つまらない話し合いに飽きていたアルジは、即座に席から跳び上がる。支部までの道で感じた熱気、きっと岩塩の市場はもっと人の熱が渦巻いているに違いない。アルジは想像をかき立てられてワクワクする自分を抑え切れない。
２人はベルクに礼を言うと、荷物を置いて部屋を出た。大広間に出ると、ソルキーヌがさっきと同じ様に椅子に座っている。
「おや、どうでした？」
２人の姿を見つけて、ソルキーヌは笑顔で話しかける。
「暫く様子を見る事にします。これからアルジの後学の為に市場と市街を回って来ます。」
いつもは不愛想なメキリオが、こんなに丁寧な応対をするなんて、よっぽど凄い小母さんに違いない。絶対気を抜けない。
「そうかい。しっかりね。アルジ、この街をどう思った？」
「はい！人が滅茶苦茶歩いていて、ワクワクします！」
直立不動の姿勢を取って、大声で答える。
「ハハハ、アルジは人が好きかい。トルドーに向いているね。」
「マザー、岩塩の仕入れを見合わせているトルドーはどのくらい居ますか？」
メキリオは、静かにソルキーヌに近付く。
「それを訊いてどうする。お前だけ特別扱いする事はできない。」
笑顔を崩さないまま、ソルキーヌははっきり告げる。
この小母さん、やっぱり凄いんだ。
アルジは直立不動の場所から一歩も近づけない。
「失礼しました。…では、行ってきます。」
メキリオは軽く会釈をして、ソルキーヌの前を辞す。
「メキリオ、猛烈だね。」
出口へ歩きながらメキリオに囁いたアルジは、思わずニヤついてしまうのを抑え切れなかった。
岩塩の市場は活気に満ちていた。石畳の広場には露天商のような小屋が並び、周囲の建物も含め、すべて岩塩を扱う問屋だ。店先に見本の岩塩を置き、店の裏手にジュート袋に入った岩塩がいくつも山積みになっている。小売りでないから、派手な呼び込みはないものの、そこここで店主と客が話をしている。店主は殆どバンダナを巻いたサニキス人だ。客はきっと皆トルドーに違いない。旅の途中は無口で不愛想だったメキリオも、市場に来れば知り合いの店主やトルドーと挨拶を交わし、今日は買わないと言っていた意思などおくびにも出さずに、直ぐにでも買うような素振りで店主を相手に品定めと価格交渉に熱中する。別人の様なメキリオのそのエネルギーに、アルジは圧倒されていた。
「どうだ。大体どんな風に交渉するか分かったか？」
２．３回店主との交渉をやった後でメキリオがアルジを掴まえて言う。ちょっと見たくらいで分かる訳がない。でも、分からないとは言えない。
「それじゃあ、次は岩塩の見極め方だ。これは簡単。できるだけ白いものが良い。色が付いているのは不純物がある証拠だ。不純物が多い岩塩は買い叩けるが、売る時にも同じ事が言える。俺はシャルアで決まった得意先に売っている。お客の信頼で商売しているから、値が安くても質の悪いものは買わない。質の良いものを如何に安く仕入れるかが、腕の見せ所さ。」
メキリオが何だか楽しそうだ。こんな楽しそうにする事もあるんだ。
店を巡りながら、メキリオはアルジに岩塩の品定めの練習をさせる。アルジもだんだんコツが分かってくる。分かってくれば、自然と気持ちが高揚してくる。
夜は、支部の借りた部屋で寝た。夕方まで街中を巡って疲れた２人は、泥の様に眠った。
