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深い森  作者: 倉谷 梟帥
3/15

南部の気風

 メキリオが井戸の中に、ロープが結び付けられたブリキのバケツを投げ入れる。少しの間をおいて、井戸の底から水の(はじ)ける音が聞こえて来る。メキリオの合図で、アルジはクランクを手で回し、ロープのもう一方の(はし)が固定されている巻取りドラムを回転させる。

 赤茶けた岩肌(いわはだ)(がけ)がアルジ達を左右から見下ろしている。ワジと呼ばれる谷底の周囲は360度不毛の大地だ。生物はアルジ達とカーベル、それと高い(がけ)の頂上近くを悠然(ゆうぜん)と飛ぶ(わし)の影だけだ。せめてもの救いは、太陽が崖の向こうに隠れ、井戸のある谷底は日陰(ひかげ)になっている事だ。

「ほら、どうした。もっと力を出せ。」

 井戸の(わき)で中を(のぞ)き込みながら、メキリオがアルジに発破(はっぱ)を掛ける。アルジは歯を食いしばってクランクを回す。ドラムの回転につれてロープが巻き上げられ、井戸の底からバケツがゆっくりと上がってくる。(ちから)が必要でも最初のうちは調子良く回せる。しかし、なかなかバケツは地上に上がって来ない。腕と背筋(せすじ)がどんどん重くなる。(ようや)くバケツが地上に姿を現し、メキリオから合図が来る。アルジはクランクから両手を離すと肩で息をする。

「アルジ、もう1回だ。」

 メキリオは、()み上げた水をカーベルに与えると、バケツを井戸の中に放り込んで叫ぶ。

 また?1回で限界。

 苦労して巻き上げたロープが、バケツの重みでいとも簡単に巻き(ほぐ)されていく。汗を(したた)らせながら、アルジはその(さま)をうつろな(ひとみ)で見ている。勢いがついた巻取りドラムはロープが(たる)んでも回り続け、(ゆる)んだロープを逆に巻き取りながら回転して、ロープが張った所で止まる。アルジは大きく深呼吸してから両手をクランクに掛けた。

「ここは、サニキス人の井戸だ。お前達は了解を取っているのか。」

 アルジがなけなしの力を振り(しぼ)ってクランクと奮闘(ふんとう)している最中(さいちゅう)に男の声がした。アルジは声の(ぬし)を振り向く。手を離したら元の木阿弥(もくあみ)だ。体重をあずけてクランクを止め、腕を休める。

 ラクダが3頭、井戸に近づいてくるのが見える。先頭のラクダの上に声の(ぬし)(おぼ)しき人影が見える。

 ラクダだ!本物は初めて見る。

 興奮のあまりクランクから体を離してしまいそうになって、(あわ)てて腕で支える。

「何だ、メキリオか。2人連れだから、判らなかったよ。」

 男はかすれ気味の低い声で、井戸端(いどばた)のメキリオに話し掛ける。

「スオウ、久し振りだ。」メキリオはラクダの上の男に挨拶(あいさつ)する。「アルジ、早く上げてしまえ!」

 一喝(いっかつ)を受けて、アルジは急いでクランクを回す。少し休めたからか、力尽(ちからつ)きる前にバケツが地上に姿を現す。

「アルジ、もういいぞ。」

 メキリオは()み上げたバケツから2人の水筒に水を入れる。巻き上げ機から解放されたアルジは、メキリオから自分の水筒を受け取る。メキリオの近くまでラクダに乗って来たスオウは、細い棒で器用(きよう)にラクダを(あやつ)って座らせる。ラクダは野太(のぶと)い声で(わめ)き散らす。いかにも不満そうな声だ。声に驚いて、アルジは2、3歩飛び退()く。

「なんだ、(ひと)り者だと思っていたが、こんな大きな息子がいたのか。」

 ラクダを降りながら、スオウはアルジを見ている。アルジも無遠慮(ぶえんりょ)にスオウを観察する。(しわ)だらけの首、浅黒い顔、黒い瞳。黒い髪の上に小さな(ふち)なし(ぼう)が載っている。

「息子じゃない。あずかった見習いだ。」

「へぇ。坊主(ぼうず)、名前は何て言うんだ。」

 スオウはアルジに(あご)を突き出しながら()く。

「アルジ。」

 遠慮がなく、ずかずか土足で入って来るような物言(ものい)いをする中年を不快に感じながら、()()なく答える。

「アルジ?…そう言えば、さっきメキリオがそう呼んでいたな。いくつだ。」

「15。」

「ふん。良いか、アルジ。ここはサニキス人の土地だ。まあ、はっきりした証文(しょうもん)がある(わけ)じゃないだろうが…、この辺にはサニキス人しかいない。だから、この井戸もサニキス人の物だ。決してオーベル人は使えない。俺達トルドーは例外だ。」

「何で?水を()んでも無くならないじゃないか。こんな所で水が無けりゃ、死んじゃうよ。」

「アルジ、お前も知っているだろ。サニキス人とオーベル人は仲が悪い。宿命だな。良いか、たとえお前の連れだったとしても、オーベル人と一緒の時は、この辺の井戸は使うな。お前にも害が(およ)ぶぞ。」

 スオウは顔をアルジに近づけ、(くさ)い息を吐きながら、人差し指をアルジの鼻先に突き出す。アルジは勢いに押されて、目を丸くする。

「スオウ、井戸は()いたぞ。使うか?」

 メキリオはバケツを井戸に落とす。

「いや、俺は良い。お前達はこれからザルケスタンに向かうのか?…荷が(から)なのを見ると、そうだろ。俺も行くところだ。一緒に行くか。」

 スオウは向きをメキリオに変える。アルジはスオウの話し相手から解放されると、ラクダをしげしげと(なが)めた。太くゴワゴワしそうな毛で(おお)われ、長い首とは不釣(ふつ)り合いな丸々と(ふく)れた腹をしている。何を()んでいるのか、(よだれ)だらけの口を始終動かして、長いまつ毛が生えた(まぶた)(なか)ば閉じた眠そうな眼でこっちを見ている。

「お前、ラクダが珍しいのか。」

 油断していたら、スオウの矛先(ほこさき)が戻って来た。

「は、初めて見た。」

「そうか、じゃあ、乗ってみるか。」

 スオウはアルジの腕を取りながら、ラクダを指差す。

「いい、いい。僕は馬車の方が良い。」

 スオウの腕を振り払い、急いで馬車の御者台(ぎょしゃだい)へと逃げ込む。スオウはアルジの(あわ)てようを鼻で笑い飛ばして、それ以上しつこく(から)もうとはしない。御者席に逃げ込んだアルジを一瞥(いちべつ)して、1人悠々(ゆうゆう)とラクダに(またが)る。

「メキリオ、ザルケスタンまでは2日の行程だ。今夜はどうするつもりだ。」

 御者席(ぎょしゃせき)に乗り込んだメキリオに向けて、スオウは声を掛ける。

「岩山の(ふもと)で野営するつもりだ。」

 手綱(たづな)を手に取り、スオウを振り返る。

「それなら、街道から西に(はず)れた所に小さな町がある。そこに行こう。俺の知り合いのサニキス人が安い値段で()めてくれる。まともな食事にありつけるぞ。」

「どうする?」

 メキリオは、隣のアルジに小声で(たず)ねる。まともな食事と聞いて、思わずアルジの口の中は唾液(だえき)でいっぱいになってくる。

「えっと、お金と時間に余裕があれば…。」

 アルジの生唾(なまつば)を飲み込む気配に、メキリオの口元が(ゆる)む。

「ああ、それじゃあ、連れて行ってくれ。」

 メキリオは大声でスオウに返事をすると、カーベルを手綱(たづな)(たた)いた。


 デクレシアの中央で東西に連なり、国土を南北に二分する山脈で降った雨が、川となって南部を流れる。山を下った幾筋(いくすじ)もの大小の河川(かせん)は、雨の降らない大地を(うるお)しながら、南に下るほど細くなり数が減り、(つい)には地表から姿を消す。その先には乾いた荒野(こうや)が広がる。地下の伏流水(ふくりゅうすい)を目掛けて掘られた井戸がそこに住む者達の命の水になる。

 町までの道すがら、馬車とラクダは並んで進んだ。広漠(こうばく)とした荒れ地はどこが道か(さだ)かでない。道でも路傍(ろぼう)でもごつごつとした大小の石が往来を邪魔(じゃま)するのは同じだ。こんな場所では車輪で動く馬車よりも四足歩行のラクダの方が向いている。車軸を(いた)めない(よう)に慎重に進む馬車とは違い、ラクダは黙っていても石をよけて歩き、むしろ速い。

 無口なメキリオとは対照的に、スオウは話好きだ。スオウは道中、ほぼ1人で(しゃべ)り続ける。彼にとって、メキリオとアルジは、旅の孤独を(まぎ)らわす格好(かっこう)の話し相手だ。いつもは御者役(ぎょしゃやく)を交代しながら進むのに、今日はスオウの相手をアルジに任せて、メキリオは御者に(てっ)して()ましている。何でも珍しいアルジには、退屈(たいくつ)な御者の役よりスオウと無駄話(むだばなし)をしている方が有難(ありがた)い。

 スオウは色々な話をした。最初に、彼が扱う商品がナツメヤシの実で、プランテーションで仕入れてザルケスタンで売り(さば)いている事、今まさに、ラクダに積んだナツメヤシの実をザルケスタンに運ぶ途中な事を話した。

「どうだ、食べてみるか?」

 スオウは悪戯(いたずら)そうな顔をして、自分のラクダに付けた革袋(かわぶくろ)の中を後ろ手に(さぐ)ると何やら茶色の粒を取り出し、隣を進む馬車に向かって放る。アルジはガタガタ揺れる馬車の揺れに(まど)わされて、(あや)うく落としそうになりながら、その粒を受け取る。

 (しな)びて(しわ)だらけの茶色の実。

「食べてみろ。」

 隣でスオウが(うなが)す。(おそ)る恐るその粒を少し(かじ)る。強い甘みが(たちま)ち口中に広がる。こんなに甘い食べ物が世の中にあるなんて。アルジは思わず目を丸くした。スオウはその表情を見て、満足気(まんぞくげ)に笑っている。

「どうだ?それがナツメヤシの実だ。」

(すご)い!美味(うま)いよ、これ。毎日これに囲まれてたら幸せだよね、スオウさん。」

 スオウは声高(こえたか)らかに笑う。

「ねえ、ナツメヤシの商売って大変なの?僕でも修業すればできるかな。毎日、好きな時にこれが食べられたら、言う事ないよ。」

「おいおい、これは商品だ。自分で食べてちゃ商売にならない。目の前にあるのにおあずけをくっている気分だぞ。それでも良いのか。」

「ちょっと自分の分を取っておけば良いんだろ。これは本当に美味(おい)しい商売かも。」

 アルジは手の中に残っていた実を(すべ)て口に入れると、その甘さをゆっくりと味わう。

「そうだ、そうだ。良いぞ、アルジ。」

 スオウは笑いながら(はや)し立てる。

「アルジ、まだ何も習得していない内から、気が早過(はやす)ぎないか。」

 メキリオが前を見たまま、低い声を上げる。

「分かっています。ちゃんと修業を終えてから、よく考えて決めます。」

 口では、神妙(しんみょう)な事を言う。

「やれやれ、親方(おやかた)メキリオ様は厳しいねぇ。」

 スオウは上機嫌(じょうきげん)だ。

 こんな美味(うま)い物が世の中にあるのか、本部でシェバリク会長と生活していたら、一生知らなかったに違いない。ちょっと外に出ただけで、こんな素晴(すば)らしい物に出会うんだ。デクレシア中回ればもっと(すご)い物がきっとある。アルジは自分の気持ちが(はず)んで来るのを感じる。でも何故(なぜ)、メキリオは不満そうなんだろう。

「ねえ、どうしてメキリオは、岩塩(しお)の商売をしているの?」

「別に理由は無い。…()いて言えば、自分の(しょう)に合っているからだ。お前には合わないかもな。まあ、南部の気風(きふう)がお前に合っていれば、ナツメヤシを(あきな)うのも良いだろう。」

「南部の気風ねぇ…」

 それまで大声で(はや)し立てたり、笑ったり、(にぎ)やかだったスオウが、一転、静かに言う。

 南部の気風?このカラカラに乾いた天候の事かな?

 アルジはメキリオとスオウを交互に見遣(みや)る。どちらも、前を見たまま、(しばら)く黙っていた。


 目的の町には、()が落ちてしまう前に到着した。

 メキリオ達の行く手に(いく)つかの家と灌木(かんぼく)が見えてくると、前を指差してスオウが口を開いた。

「あれが目的の町ピューラだ。街道から(はず)れているから、トルディア商会の支部も、トルドーも居ない。少なくともこの前俺が訪ねた半年前まではそうだ。サニキス人だけの小さな町。住人達は、井戸の水を()み上げて作る(わず)かな作物と山羊(やぎ)を飼って暮らしている。…(かね)にならない町だ。」

 最初はメキリオ達に聴かせるように話し始めたが、最後は(ひと)り言の(よう)になると押し黙った。

(かね)にならないなら、何でこんな町に知り合いがいるんだ?」

 メキリオはスオウの言葉尻(ことばじり)(とら)えて、冷たく切り込む。

「なぁに、情報を得るのも俺達の仕事には必要だろ。そうだ、アルジ、商売で成功しようと思ったら、情報は大切だ。」スオウは話の矛先(ほこさき)をアルジに向ける。「まずは、基本的な情報から確認するぞ。サニキス人はどうやって区別する?」

「そんなの常識じゃないか。バンダナと髪紐(かみひも)だ。」

 アルジは勢い込んで即答する。

 サニキス人の男は首にバンダナを巻いている。原色を配した色とりどりのバンダナを思い思いの巻き方で身に着けている。女は、これも原色を配した組紐(くみひも)を使い、髪を思い思いの形で結んでいる。原色で目立つそれらの特徴で彼等を識別するのは子供でも容易だ。

「ふん、ならば、その色の意味を知っているかい?」

 スオウは悪戯(いたずら)っぽい()みを浮かべて重ねて()く。

「意味?知らない。そんなのあるの?」

 アルジは素直に答える。

「黒は伝統、青は信仰、赤は結束、オレンジは情熱、そして白は正義。彼等は家ごとの配色を親から子に受け継いでいく。同じサニキス人同士(どうし)ならば、配色を見れば、どこの()の人間か(わか)るそうだ。」

 スオウは自慢気(じまんげ)だ。

「それが、商売の役に立つのか?」

 メキリオが横槍(よこやり)を入れる。

(わか)るもんか。いつどんな知識が役に立つとも限らん。知っていて損する事はあるまい。」

 スオウは声を大きくして反論する。それ以上、メキリオもアルジも口を開かなかったため、話はそこで切れた。

 町は数えられる程度の家が町の中心と(おぼ)しき道の両側にてんでにあるだけだった。その中でも、比較的大きな石造りの家の前でスオウはラクダを止めた。家の中からドアを開けて、中年の女性が顔を(のぞ)かせる。自分の家の前にラクダと馬車が停まり、その商隊の中にスオウが居るのを認めると、急いで顔を引っ込めた。

 ラクダを座らせてスオウは地上に降り、家の入口に向けて歩き出す。同時に、家の入口が開いて中から小太(こぶと)りの男が1人、勢いよく飛び出して来る。

「スオウじゃないか。元気かい。」

 男は、スオウの両腕をポンポンと(たた)きながら、満面(まんめん)()みを浮かべる。

「ああ、親父(おやじ)さんも元気そうじゃないか。」負けずに、スオウも男の肩を両手で叩く。「今日は、連れと一緒なんだ。済まないが、一緒に泊めてもらえないか。トルドーのメキリオと見習い中のアルジだ。」

「メキリオです。よろしく。」

 メキリオは男に近づくと、短く握手をする。

「あ、アルジです!」

 馬車の(そば)から、声を上げる。半分声が裏返ってしまうのが恥ずかしい。

「ああ、こんにちは。…ゆっくりしてくれ。部屋の準備をしよう。」男は、家の中に戻りかけて、振り返る。「馬車とラクダは、家の裏に回してくれ。納屋(なや)は狭くて、入りきらないが、馬草(まぐさ)は充分にある。」

 言い終わると、1人で(うなず)いて家の中に消える。

「俺は、まず荷を家の中に入れさせてもらう。サニキス人は信仰に(あつ)い人達だ。自分達は神様に守られた特別な(たみ)だと思っている。教義に(そむ)く悪さをすれば、天国に連れて行ってもらえないと思っているから、人の物を盗むような(やつ)はこんな所に居ないと思うが、転ばぬ先の(つえ)。この荷が無くなったら、俺も家族も生きていけないからな。」

 スオウは残り2頭のラクダに(くく)りつけられた荷を降ろしながら語って聞かせる。

「手伝おう。」メキリオは、()ぐにスオウの重そうな荷に手を出す。「アルジ、俺の馬車を家の裏手(うらて)に回して、カーベルに草と水を与えてくれ。今日の悪路で蹄鉄(ていてつ)(いた)めている可能性がある。確認してくれ。」

「分かった。」

 何をしなければならないか、イメージできる。アルジは手綱(たづな)を持って、カーベルの前に回る。

「…特別な神の御加護(ごかご)(さず)かるんだ。それなりの浄財(じょうざい)が必要なのは当たり前じゃないか。え?」

 反対の道端(みちばた)から声が聞こえた。皺枯(しわが)れた男の声は生理的に嫌悪(けんお)を感じさせる。見ると、大柄(おおがら)の太った男が2人の()せた男達に話している。どちらも目立つバンダナをしている。

「これ以上は無理だ。何とかしてくれ。」

 1人の男が手に持った紙の(つつ)みを大男の前に差し出す。

「ああ。正しい行ないには福音(ふくいん)()って答えて下さる。安心してくれ。」

 大男は包みを片手で取り上げて、猫撫(ねこな)で声を出す。

 一体、あいつ()は何をしているんだ?

 雰囲気から(あや)しい事をしているのはアルジにも判る。

 2人組の内の1人が、視線に気付きアルジを見る。その男の様子を見て、大男もアルジを振り返る。

「おい、坊主(ぼうず)。何見てるんだ。何か言いたい事でもあるのか。」

 声を(あら)げて、大股(おおまた)で大男がアルジに近づいてくる。

「見られちゃ困る様な事してたんだ。」

 大男が怖くない(わけ)じゃない。でもここで引き下がれば負けだ。

「お前はサニキスじゃないな。…そうか、トルドーか。オーベルなら、そんな粗末(そまつ)()()をしていないだろ。」

 大男は鼻で笑う。

「トルドーで何が悪い。ちゃんとした仕事をしているんだ。」

 ついつい、声が大きくなる。ちゃんとした仕事と言ったものの、自分がそれに(あたい)する役割をこなせているのか、本当は自信がない。

「は!仕事だ?お前の(よう)餓鬼(がき)にどんな仕事ができるって言うんだ。そうやって、馬を引いて歩くのがやっとだろ。」

「これだって、ちゃんとした仕事だ!そう言うおじさんだって、どうせ(ろく)な仕事してないんだろ!」

「何だと、この餓鬼が。同胞を助ける崇高(すうこう)な仕事を侮辱(ぶじょく)する気か!」

「さっき、あの人から何か取り上げてたじゃないか!」

「おい、アルジ。何をやっている。」

 大男との言い合いに気を取られていたが、騒ぎに気付いたメキリオが()(そば)まで来ていた。

「何だ、お前は。」

 反応するのは、アルジより大男の方が先だった。

「この少年の保護者だ。」

「ふん、トルドーか。一体どういう教育をしているんだ。こいつは何もしていない俺に難癖(なんくせ)をつけて来たんだぞ。」

 今度はメキリオに詰め寄る。

「あんたはいい大人だ。そんな大人が、子供の言う事を一々(いちいち)まともに取り合うのか。」

「こいつは、俺の仕事を馬鹿にしたんだ。」

 大男は、アルジを指差す。

「何言ってんだ、先にそっちが僕の仕事を馬鹿にしたんじゃないか。」

 アルジも負けていない。

「おい、ここでサニキスを敵に回して無事に済むと思っているのか?」

 大男は上から見下ろす様にメキリオに(せま)る。

「あんた、トルドーに対して喧嘩(けんか)を売ろうっていうんだね。」

 メキリオは低い落ち着いた声を出すと、下から大男を(にら)み上げる。

「ちょ、ちょっと…、ジェジベルさん、こんな所でやめて下さい。私の慶事(けいじ)縁起(えんぎ)が悪い。」

 包みを渡した男が、弱々しい声で2人の(わき)から止めに入る。

「メキリオ、なんだ?何の騒ぎだ?」一度荷物を家の中に置いて戻ってきたスオウが、騒ぎを聞きつけて顔の(のぞ)かせる。メキリオと(にら)み合っている大男を認めて何が起きているか事情を察したようだ。「お前…」大男の顔を見つめて、そう言ったきり口をつぐんだ。

「そうだな。あんたの門出(かどで)(けが)しちゃいけない。ここは、あんたに(めん)じて引き下がるとするよ。」

 割って入った()せ男に向けて話しているが、(けもの)(よう)な目はメキリオを(にら)んでいる。大男は言い終えるなり、くるりと背を向けてその場から立ち去る。痩せ男の2人はおろおろしながら、その後ろを付いていく。

「なんだよ、謝罪も無しかよ。」

 去っていく大男達の後ろ姿に、気が大きくなったアルジが(つぶや)く。

「アルジ、早く馬車を裏手(うらて)に回せ。」

 大男達が遠ざかるのを見届けて、何も無かったかの(よう)にメキリオはアルジに早口で指示すると、自分はスオウの荷物運びの手伝いに戻る。スオウは(しばら)く大男の後ろ姿を見遣(みや)っていたが、結局何も言わずに自分の荷物の世話に戻った。


 夕食は、山羊(やぎ)の肉のシチューだった。腹一杯我慢(がまん)せずに食える状況に()えていたアルジはガツガツと腹に詰め込んだ。満腹の時に出されたら、それ(ほど)の料理では無いのかも知れない。だが、その時のアルジには至高(しこう)の料理に思えた。

「若いもんの食べっぷりは、気持ちが良いね。」

 家の主人は出っ張った腹を(ふる)わせて笑う。

「少しは遠慮ってものを覚えろ。」

 家の者に気付かれない様に、タイミングを(はか)ってメキリオが(ささや)く。言われてアルジが食べるのを(ひか)えた時は、もう粗方(あらかた)満足した後だ。

「なあ、スオウ。さっき、ジェジベルと何かあったのか?」

 主人は自分も食事を()りながら、急に話題を振る。

「何?…ああ、ここに着いたときに、メキリオが(にら)み合っていた大男か?あいつ、そう言う名前なんだ。」

 スオウは口から(かす)を飛ばしながら、周囲を(はばか)らない声量で話す。

「さっきな、ジェジベルの使いがお前たちの素性(すじょう)を調べに来たよ。」

「なんだって!あいつ、何するつもりだ。」

「大丈夫、『教える事は何も無い』と言って、追い返したよ。」

「なあ、俺達と関わりがある事で、迷惑をかけちまうんじゃないか?」

 スオウは少し不安気(ふあんげ)な声になる。

「ああ、気にするな。あんなサニキスの風上(かざかみ)にも置けないような(やつ)は、気にする事はない。」

 主人は安心させる(ため)でなく、本心から大男の事を(きら)っているのだとアルジにも分かる。

「やっぱり、(いや)な奴なんだ。道端(みちばた)でなんか胡散臭(きなくさ)い事している感じだった。」

 (えら)そうにアルジが声を上げる。

「お前さんがいざこざのきっかけかい?あいつに何をしたんだい?」

 主人は半分(あき)れている。

「何もしていないよ。僕が見ていたら、勝手に寄って来て、『何見ているんだ』って()っ掛かって来たんだ。」

余程(よほど)、見られたくないところを見られたと思ったんだな。」

 メキリオがぼそりと(つぶや)く。

「見られたくないもの?そうだったかな。」

 アルジはその時の情景を思い浮かべながら、首を(かし)げる。

坊主(ぼうず)、何を見た。」

 スオウは少し面白気(おもしろげ)だ。

「あいつが、()せっぽちの()えない2人の男と話してたよ。…そう、何か受け取ってた。」

 アルジは天井を見上げて、その時の情景を思い浮かべる。

「そう言えば、俺とあの男の(にら)み合いに、その()せた男が仲裁(ちゅうさい)に入ってきた。なにか、縁起(えんぎ)が悪いとか言っていた。」

 メキリオも、自分の皿の上でスプーンを(すべ)らせながら、その時の情景を思い浮かべている。

「縁起か…きっと、その痩せた男は、自分の門出(かどで)(けが)されるのを嫌ったんだ。」

 主人の声のトーンは一段低くなった。

「門出?旅に出るのか?」

 メキリオは()き返す。

「そうじゃない。…ジェジベルは、斡旋(あっせん)業者だ。」主人が答える前に、スオウが口を挟む。「トルドーとは違う商売。俺達は物を(あきな)う。あいつは人を商う。トルドーが手を出さない商売だ。良いかアルジ、憶えておけ。俺達トルドーは、(ぜに)を使って人と商売をするが、銭も人も商品にはしない。」勢いよくテーブルに手を付いた拍子(ひょうし)に大きな音を立てながら、スオウが立ち上がる。「さあ、寝るとしよう。明日、夜明けとともにここを立てば、(ひる)にはザルケスタンに着ける。お前はトルディア商会に寄るんだろ。そのくらいには着いた方が良いだろう。」

「ああ、市場の情報を得てからじゃないと、動きがとれん。」

 スオウの言葉を受けて、メキリオが応じる。

「うむ。」

 スオウは、満足気(まんぞくげ)(うなず)く。

「すまんが、部屋は1つ、ベッドは2つしかない。」

 家の主人は、済まなそうに言う。

「良いよ、僕は納屋(なや)で寝る。」

 アルジは(ふく)れた自分の腹に満足して、自分から買って出る。

「毛布を持って行け。この(あた)りでも夜は冷え込む。一旦(いったん)部屋へ行こう。」

 スオウすらアルジの申し出を止めもしないし、礼を言うでもない。

 自分から言い出さずに、様子を見れば良かった。

 当たり前の(よう)な顔をしているのが、アルジにはちょっと悔しい。3人で一旦部屋に行くと、アルジは自分の荷物から、毛布だけ取り出した。

「それだけで良いか?」

 メキリオの目は(やさ)しい。

「うん。」

「残念ながら半月だが、目が慣れれば、明かりがなくても困らないだろう。」

「ランプを持たせると、火事が怖い。」

 スオウも同調する。

 アルジは毛布を(かか)えると、家の勝手口(かってぐち)から裏手(うらて)に出た。納屋(なや)(そば)にカーベルが(つな)がれている。

「やあ、カーベル。」

 薄闇(うすやみ)の中でカーベルの目が(またた)いている。少し離れて、3頭のラクダが座った状態で脚を縛られている。何も(つな)ぐ場所がない荒野でも、ラクダが勝手に逃げ出さない(よう)にする工夫だ。ラクダ達は首を向けて、カーベルに挨拶(あいさつ)をしたアルジを見ている。アルジは、決してラクダに近づかない様に注意しながら移動し、納屋(なや)の中を(のぞ)いた。

 月明りだけでは、納屋の中を探るには不充分だ。暗闇(くらやみ)の中に立って、(しばら)く目を()らしていると、(ようや)く納屋の中の様子が見えてくる。片側に干し草が山に積まれている。しかし、場所が狭く、いくら子供のアルジとは言え、その上に乗ろうものなら、山は農機具の上に(くず)れてしまいそうだ。上手(うま)くバランスがとれたとしても、バランスをとったまま、寝続けられる自信はない。アルジはそのまま納屋を出て、馬車の荷台に毛布を置くと納屋に戻り、一抱(ひとかか)えの干し草を取って来て荷台に載せる。そうやって、干し草を2、3度納屋から荷台に運ぶと、最後に自分が荷台に上がり、運んだ干し草を均等に広げて寝床を作る。干し草の寝床の上で毛布にくるまる。塩梅(あんばい)良く毛布で干し草がチクチクしない。仰向(あおむ)けになると、半月で月光が弱い分、星の光が強く見える。雲の無い南部の夜空は視界に入る(すべ)てが満天の星の海だ。虫の声に混じって、風に乗ってどこからか誰かの祈りの声が聞こえる。アルジは目を閉じた。明日は目的地ザルケスタン。どんな街だろうか。想像を巡らせる間も無く、彼は眠りに落ちた。


「さっきは、何故(なぜ)話を切った。」

 ベッドに寝転がり、天井を見つめたまま、メキリオはスオウに話し掛ける。

「え?何の話だ?」

 もう1つのベッドに腰掛けて、(くつ)(ひも)()きながら、スオウは()き返す。

「食事の時、言い合いになった男の話を途中で切った。」

「ん?…そう感じたか?」

「当たり前だろ。何故(なぜ)だ。」

 スオウは靴を脱ぐと、ベッドに座ったまま、壁を見つめて話し始めた。

「あの男は斡旋(あっせん)業者だ。…さっき、言ったか?斡旋業者。そう言えば聞こえは良い。だが、(よう)人買(ひとか)いだ。この(あた)りじゃ、ろくな作物ができない。草を育てて、山羊(やぎ)を飼うにも水が必要だ。自力で()み上げる水が頼りじゃ、規模は(たか)が知れている。みんな、貧しさに耐えかねて、鉱山やプランテーションで働く方がましだ思う。働きたいと思う(やつ)(あと)()たない。あいつはそれに付け込んで、職を探す者と会社の両方から紹介料を取っている。…こんな話、アルジに聞かせない方が良いだろ?」

「あいつには社会勉強が必要だ。…だが、急にいろんな話があっても、混乱するだけだな。」

「今から、お前と同じ眼つきにさせたい(わけ)じゃないだろ。」

「気を()わせたな。済まない。」

「どういたしまして。メキリオ様からそんな言葉が出るとはね。」

 スオウは両手を広げて見せると、足を上げて自分のベッドの中に(もぐ)り込んだ。



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