桃色珊瑚の宮殿の中では7
卵から孵して育てた火を吐くトカゲ、丸々育てた豚、分厚い鉄の甲冑、夢と希望、青いワニ。
駄目だ。やはり旅の持ち物を考える点において創作物は頼りにならない。あとこの王女はどれも不可能なことになぜ気付かないのか。
キースはそういった気持ちで、主に現実を知らしめることにした。
「殿下」
「どうしたのキース。あなたが先程から却下ばかりしていることについて、わたくしは少ししか怒っていなくてよ」
「今回の旅に必要なものは、究極的に言えばたったひとつです」
「たったひとつ……? 本当にひとつでいいの? どの物語も剣と復讐心とか、パンと航海図とか、大体ふたつは必要なのに?」
「ひとつです」
そもそも復讐心は物ではないが、王女が気にしていないのでキースもスルーすることにした。
ステラ王女は真実を語る侍従に、ごくりと息をのんで尋ねる。
「たったひとつの持ち物……それはなんなの?」
「金です」
「おかね?」
キースが頷くと、王女は大きな目をぱちぱちさせた。トゥルーテは2人を心配しながら見守っている。
王女は生まれてこのかた、金銭を用いて取引をしたことがない。そういった行為は臣下が王女のいないところですませていたし、そもそも人気の高い王女は献上品を貰うことが多かった。貢がれ体質である。
庭を歩けば花束を、厨房の近くではお菓子を、王宮を歩けば宝石やらドレスやら絵画やら壺やら本やらを、差し出された王女にとって、ものの代わりに差し出すものは笑顔であった。
物語の中には買い物も出てくるだろうが、そんな王女がカネと言われてピンとこないのは当然である。
市井でカネがいかに大事かといういことをいちからきちんと説明しようとしたキースに、王女は無邪気に首を傾げた。
「あら、お金を持っていけばいいだけなの? それならわたくしにもできるわ!」
「……殿下。金をお持ちなんですか? いつ? どこで誰から得たんです? まさか俺のいないところで城下に降りたりしてないでしょうね?」
王女が単独で宮殿を抜け出したとなれば、この王宮に勤める全員が咎められかねない。真剣に問い詰めたキースに、王女は引き出しを開けてみせた。
「お金くらい、わたくしも持っているわ。ほら」
よいしょと取り出したるは、王女の顔ほどもある巨大な金貨である。円周に沿ってバラと桃と珊瑚が囲み、中央には少女が鎮座する。そして美しく書かれた記念すべき日付と名前。
「………………殿下、それは殿下の御誕生記念で作られた紋章金貨です」
「お金でしょう? これを持っていけばいいのね!」
「使えません。使ったら陛下が憤死します」
鋳造でなく手彫りされたその金貨は、世界でたったひとつしかないものである。
どんな品物でさえその金貨1枚に値することはないし、両替しようものなら財布という名の倉庫が必要だ。間違って質に流したりしようものなら、すぐに足がついて捕縛のち絞首台だ。
トゥルーテは顔を白くして魂を飛ばしかけていたものの、キースは鍛えられた心身で冷静さを保った。懐から財布を取り出し、王女に説明する。
「それは通貨としては使えません。こういった一般的な金貨銀貨銅貨が必要です」
「まあかわいい! この金貨、ひいおばあさまだわ!」
「そうですね。一番価値の高い金貨には、殿下のお父君である陛下の横顔が描かれてますよ」
「そうなの? お父さまの顔が付いたのはよくて、わたくしの顔の金貨は使えないのはどうしてかしら? 重いから?」
「そうですね知らんけど」
面倒なので説明を省略したキースは、そういうわけなのでと王女に国宝級の巨大金貨をしまい込ませた。後で引き出しを鍵付きに改造する必要がある。
「キースはお金を持っているのね。そういうかわいいお金はどこでいただけるのかしら?」
「用意しておきましょう。金があれば大体買えますし、宿の心配もありません。航海図やらパンやらも買えますから、とりあえずそこに書いた持ち物については一切合切忘れてください」
「まあ、そうなの。お金ってとっても便利なのね!」
実際には足腰が強く我慢強い馬を用意したり、騎士を変装させて先々の安全を確保させたり、貴族に宿を用意させたりとカネでなくコネを使う場面の方が多くなるが、めんどくさくなったキースはその辺も省略することにした。下手に説明すると「どの物語にもそんなものは出てこなかった」などと言って拒否しかねない。
「さすが私のキース。あなたってとっても頼りになるわ! お金のことは頼むわね!」
「はい、殿下」
にこにこと安心した笑顔を見せた王女に、キースはしっかり頷いた。
何より重要なのは、王女が満足して笑顔でいることだ。
ステラ王女は、飽きっぽい上に本来は本ばかり読んでいるインドア派である。適度に刺激があって、かつ危険はない旅を体験できれば満足してまた宮殿に引きこもるだろう。
街を少し歩かせながら神殿まで行き、そして神殿で安全に過ごして戻ってくるだけでいい。それで王女の心に良い思い出が残れば万事解決だ。そしてそれはおそらくさほど難しいことではない。
このときキースは、長年主を守ってきた侍従としては珍しく、見当違いかつ楽観的な予想をしていたのだった。