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砂漠に眠る神殿では1

「いかがです第七王女さま。こちらの新しい口紅を塗れば、いつでも愛らしく美しい唇を保つことができますよ」


 ステラローズ第七王女は、夜会に出ることは少ない。それは心配性な兄王子や姉王女が出席する夜会を厳しく選別しているからでもあり、第七王女本人が夜会の時間帯にはすやすや寝ていることが多いからでもある。

 そのため、第七王女に繋ぎを作りたい貴族や商人は、日中に開かれる昼餐会やお茶会で繋ぎをつけねばならない。


「口紅ですか。ではまずあなたが3年間、毎日それを塗って過ごしてください」


 しかし、それもまた簡単なことではなかった。

 新商品を売りに出そうと張り切ってやってきた貴族は、遠慮なく口を出してきた侍従にひくりと口を歪ませる。


「わ、私は男ですから」

「男だろうがなんだろうが関係ない。あなたが売り込むのであれば、あなた自身で安全性を確保するように。我が殿下を20年前の貴族女性のような不遇の運命に陥れるおつもりか?」

「お、陥れるだなんてとんでもない!」


 完璧な仕草で主のカップに赤茶を注ぎ、小さな砂糖菓子を美しく盛り付けて添えながら、キースは冷ややかに相手貴族を見据えていた。


「美しく彩るために、我が国の貴族社会では長きにわたって害のある化粧品が使われてきた。それによって病を得た女性を『陰があり美しい』とさえする風潮もあった。だがその唾棄すべきものは、第一王女のご誕生と共に廃れ、王令によって一掃されたはずだ。もしあなたが持ち込んだその口紅が、その歴史を復活させようものなら……」

「い、いえ、私にそんなつもりはまったく!!」


 第七王女が生まれるうんと前、幼い第一王女のふっくらした赤い頬ににっこり微笑む桃色の唇は、王の美的感覚を変え、そして貴族女性の流行りさえも変えさせた。青白い頬に映える真っ赤な口紅が理想とされていた価値観は過去のものとなり、化粧は安全性が調査され、そして貴族女性の健康が守られたのである。


 それぞれの宮殿では、王女が使う化粧品について特に厳しく審査されている。桃色珊瑚の宮殿も例外ではなく、むしろ一番厳しいといわれるほどの難関だった。

 愛らしいお人形顔な上に商品審査が厳しいせいで、ステラ王女は化粧は薄く、目立たない。だからこそ、採用されれば王女のお気に入りというだけでなく安全性まで保証されることになり、貴族から余裕のある庶民にまで飛ぶように売れるようになるのだ。


 一攫千金のチャンスを狙う商人や貴族は多い。しかし、そのチャンスは想像の千倍ほどは厳しいのだった。


「そもそもその色はあなたのご令嬢には合っているようだが、殿下の高貴なお顔には似合わない。輸入品の取り扱いには長けているようだが、化粧品に手を出す前にもう少し色合いについて学んではいかがかと。もちろん、商品をご自分で3年間試すのも忘れずに」


 キースがテーブルに広げられていた商品を手早くまとめて相手の前に戻すと、顔を引き攣らせた貴族はじわじわと赤くなりながらキースを睨んだ。隣に座っている娘は早くさがりたそうにしているというのに、父が手を出さないので椅子から立ち上がりかねている。

 キースは、しばらく青い目で睨む眼差しを見つめ返す。すると貴族の男は化粧品を抱えるようにして立ち上がった。

 まだ赤い顔のままで王女に礼をして、それから去り際に小さく呟く。


「平民風情が」

「あら!」


 それまでにこにこしながら大人しくお茶を飲んでいたステラ王女が、わざとらしく声を上げた。その声の大きさに去ろうとしていた男はぎょっとして思わず振り向く。

 男のことを、紫の大きな目がじっと見つめていた。


「わたくし、とっても気に入らないわ」


 珍しく笑顔のない第七王女の視線に、怒りで赤かった顔は青くなった。何か言おうと口をパクパクさせたものの、男はそのまま逃げるように去っていく。

 商品が、とも、あなたの発言が、とも言及しなかった王女の言葉は重い。もしも王女に「あなたの家が」とでも付け足されてしまえば一族の未来の明暗が決められてしまう。逃げ帰った貴族がしばらく寝付きが悪くなる、痛恨の一言だった。

 ほとんど走るような後ろ姿をしばらく見つめた王女は、席に着いている女性ににっこり微笑みかける。


「とっても楽しいひとときだったわ。ごきげんよう」


 貴族の娘はその言葉で、真っ青な顔をハッと上げた。父の無礼を詫びる前に侍従から手が差し出され、その手を取ると椅子が引かれる。


「あ、あの……王女殿下、わ、わたくし、わたくしが」

「殿下はそろそろお戻りになられます」

「あ……」


 謝罪の機会を奪われた令嬢は、顔色を失ったままで静かに礼をするしかなかった。王女が先程とは違ってよく見る天使の微笑みで「よい一日を」と応じてくれたものの、それがどういう意図なのかまったくわからない。

 ふらつきそうになるのを堪えつつ庭を後にした令嬢は、開かれたドアのところで手を貸してくれた侍従に礼をした。


「ありがとうございました。あの、大変申し訳ありませんでした。父がご無礼を……」

「お気になさらず。殿下はあまり引きずる方ではありませんし、私情で貴族を揺るがすようなことをなさる方でもありません」


 令嬢は、キースの言葉にあからさまにホッと息を吐く。


「とはいえ、我が宮殿ではあなたの家との取引をすることはないでしょう。特に化粧品は、他の宮殿にも申し伝えます」

「もちろんです……!! わたくしは王家はもちろん、女性を傷付けるものを売るつもりはありません……!」

「ならば結構。ご子息の手腕は殿下もご存じです。王国の繁栄を彩るご活躍をお祈りしております」


 手を離した令嬢に、キースが深く礼をする。軽く頭を下げた令嬢が廊下を歩こうと踏み出す前に、キースはふと口を開いた。


「それと、あなたにもその口紅の色は似合っていません。若いご令嬢には、もう少し明るく柔らかい色が似合うと思いますよ」

「あ……」


 令嬢は自分の頬がぱっと熱くなるのを感じた。

 それではと短く挨拶をして王女の元へ戻る侍従を、令嬢は夢見るような視線で見送っている。キースはその視線を気にすることなく、真っ直ぐにテーブルへと戻った。


「まあー!」


 そしてテーブルでは、それを見ていたステラ王女がにんまりして待っていたのだった。






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