南方フェトイの丘では29
「どうするんですかこれ。鍵かけた意味ないじゃないですか」
「ご、ごめんなさい。ツィーヤ・ンイバーヤ、ほらあなたも謝ってちょうだい」
「ギイ、ギイーイ」
キースの眼光は強く、その強さの前に王女は屈した。厳密にいうと自分のせいではないということを棚に上げて謝ってしまうほどには屈していた。
しょんぼりとパンを抱えた王女が灰色の化け物と並んで謝る。
「しょうがないんで第五王女殿下の牢に入っといてください。次出てきたら今後1ヶ月間殿下のお茶菓子全部食いますよ」
「わ、わかったわ」
「ギイイ」
キレているキースには反抗しないほうがいい。これまでの長い年月の中でしっかりとそう学習している王女は、しずしずと侍従の後ろを歩いて暗い廊下を歩いた。
ランプでぼんやりと照らされた牢のひとつに、白い人影が見える。
「お姉さま!」
「ステラローズ、ごきげんよう」
「お姉さまもごきげんうるわしゅう!」
ゆるく波打つ美しい金糸の長髪に、夢見るような儚げな顔立ち。ステラ王女によく似ているが瞳の色は青かった。
第五王女ブルーローズはほんのりと微笑んで牢の隙間から細い手を出し、末の妹との邂逅を喜んだ。
ステラ王女が鈴をコロコロと転がしたような声なのに対し、ブルーローズ王女は鈴を優しく揺らしたような声音だった。ちなみにどちらの歌声も、王宮の楽団からお誘いが何度も来るほどのものである。
ブルーローズ王女は大きな青い目を少し見開いて、それから首を傾げる。
「ステラローズ、あなたはまた、珍しいものを……」
驚いたような姉君の様子に、王女はにっこりと微笑んだ。その隣で、ツィーヤ・ンイバーヤも得意げに大きな目をパチパチさせている。
ブルーローズ王女はまあ……と吐息混じりに呟いて、それから妹に尋ねた。
「それは何を持っているの?」
「お姉さま、これはかちかちパンですわ! 旅路には欠かせない食べ物なの。薄く切ったお肉をここに挟んで、そのまま食べるのよ!」
「そんなものがあるの……大きいまま食べるのはとっても大変そうね」
「いや第五王女殿下注目するとこそこではないです」
第五王女の牢を開けようとしていたキースが思わずツッコミを入れた。つくろう程度には丁寧語である。
「ギッ、ギー! ギーギー!!」
「まあ、何かいるわね」
「お姉さま、この不思議なものはツィーヤ・ンイバーヤなの。こう見えて敵意はないので怖がらないでちょうだいな」
「わかったわ」
ブルーローズ王女はぺたぺたと動く灰色の毛むくじゃら物体を見やったあと、すんなりと頷いた。かちかちパンより驚きが少なかったらしい。
ツィーヤ・ンイバーヤも初めてのリアクションだったのか、若干戸惑ったようにキョロキョロしていた。
「お姉さま、地下牢にいらっしゃる割にはお元気そうね。お姉さまもつれてこられたばかりなの?」
「いいえ、わたくしの計算があっていれば、もう半月以上はここにいると思うわ」
「そ、そんなに?! お姉さま、なんて冷静なの……」
普段、王宮でばったり会ったときと同じテンションのブルーローズ王女に、ステラ王女は若干驚いた。さすが姉王女、落ち着いている。
「わたくしも最初は身構えたのだけれど、さほど大変でもないのよ。お食事のときは明かりをいただけるし、交渉したら着替えのドレスも下さったから」
「そ、そうなの……お姉さま、逆境にとってもお強いわね……」
一人旅に出てみたい憧れだけは人一倍あるものの、実生活においてメイドのトゥルーテや侍従のキースなくしてはとても生きていけないステラ王女からすれば、暗い地下牢にひとり放り込まれ、半月経っても身嗜みと平常心を保ち続けている姉ブルーローズ王女は歴戦の勇士のように見えた。
王太子に任され視察の仕事を引き受けることが多いとはいえ、地下牢生活などとは縁がなかったはずなのに。ステラ王女は、おっとりした姉に旅人としての隠れた才覚を見出した。
「第五王女殿下、申し訳ありませんが、我が殿下とともにこの牢でお待ちください。私が片付けをして参りますので」
「ええ。ステラローズ、あなたの侍従は相変わらず有能なのね」
「キースは日々もっと有能になっているのよお姉さま」
おっとり微笑む姉に、ステラ王女は得意げに胸を張った。その王女の背を押して、キースははよ入れと王女を牢の中へ入れる。
それに続こうとしたツィーヤ・ンイバーヤが入り口につっかえている最中に、キースは階段の方を見て舌打ちした。
「お、おい!! 逃げ出してるぞ!!」
「人を呼べ!!」
キースは膝でツィーヤ・ンイバーヤを中へと押し込む。ごろりとツィーヤ・ンイバーヤが入ると牢の戸を閉じた。
「鍵をかける時間がない。ツィーヤ・ンイバーヤ、ここを握っとけ。殿下の安全のために絶対離すな」
「ギイ!」
器用に起き上がったツィーヤ・ンイバーヤが大きな片手を持ち上げ、指示通りに入り口と牢の柵を一緒に掴む。がっちりと握った大きな手を、ブルーローズ王女が「それは足でなく手なのね」としげしげ眺めていた。
「殿下、なるべく壁のほうへ。血を見るかもしれませんから、こちらをご覧にならないように」
そう言ったキースはランプを壁に掛け、それから剣を抜く。どやどやと降りてくる足音が迫ってきていた。




