南方フェトイの丘では28
「ステラローズ、あなたなの?」
ステラ王女によく似た涼しげな響きの声が囁くように返事をする。
「お姉さま! やっぱりここにいらしたのね!」
「まあ、ステラローズ……。あなた、どうしてこんなところに」
「お姉さまを救いにやってきたのよ!」
「その割に地下牢に入ってますが」
ステラ王女の姉君である第五王女ブルーローズは、どうやら同じ並びにあるふたつみっつ隣の牢に入っているらしい。
「あら……キースも一緒なのね。それなら安心したわ」
「お姉さま、わたくしは元気ですわ。お姉さまはいかが? あのゴミムシ野郎さんたちに虐げられたりしていなくって?」
「わたくしのかわいいステラローズ、ゴミムシ野郎なんて言ってはダメよ」
しっとりとした声で嗜められ、ステラ王女はキースにこっそり舌を出してみせた。キースはもっと叱ってやってくれと内心思いつつ、胸ぐらを掴んでいた見張りの男の衣服を探る。
「キース、名も知らぬ相手にむやみに触れるのはいけなくってよ」
「殿下、あなたを救うために鍵を探してるんですよ」
「そうなの? お手伝いしましょうか?」
「いえ、どうやら鍵は持ってないようです。……仕方ないな」
王女が手を出してこないうちに見張りを床に捨てたキースは、上着の内ポケットに手をやった。王女は変な曲がり癖のついた金属棒のようなものを見て目を輝かせる。
「まあ! それはあれね! 鍵開け道具ね?! キースあなたそんなに旅人っぽい道具を持っているだなんて! どうしてもっと早く言ってくれなかったの!」
「殿下、これは旅人っぽい道具ではないかと。パン持っててくださいよ」
「ねえねえ、わたくしにもやらせて!」
「宮殿に帰ったら貸してさしあげます」
「あっ! わたくしが図書室に鍵をかけて閉じこもっているとき、いつもあなたが入ってくる理由がわかったわ!」
「あれは合鍵を使っています」
手を伸ばして鍵をいじるキースの近くを、王女がどうやっているのいつおぼえたのと目を輝かせながら動いている。さながら散歩をねだるポメラニアンのような動きをしている王女にも心を乱されず、キースはあっという間に鍵を開けた。
「すごいわ! お姉さまもご覧になって?! キースがいま、鍵を開けたのよ!」
「見えていないわ、ステラローズ」
「待っててねお姉さま。キース、お姉さまの牢も開けられるわね?」
「開けられますが、安全のためには両殿下とももう少しこの牢の中にいらしていただきたい」
ぱちぱち目をまたたいた王女に、キースは説明する。
「私はこれから上にいる奴らをぶちこ…………ぶちのめして参りますから、殿下は姉君と一緒にここでお待ちいただけますか」
「まあ! わたくしを置いていくつもりなの?」
「あの人数なら倒せますが、飛び道具を使われると御身が危険かもしれません。シロビを見つけたらすぐに戻りますから」
「そうね、わたくしを守るせいであなたの動きが鈍ってはいけないものね……」
王女はかちかちパンを抱きしめながら残念そうな顔な顔をする。キースはすぐに戻ると約束すると、牢から出て再び鍵を閉めた。
「すぐに戻ってきてね。ケガをしてはだめよ、キース」
「必ずや」
キースは頷いてから近くに架けられていたランプを持ち、一旦第五王女がいる方へと歩いていく。キースが声をかけ、第五王女へ状況を説明していた。
金属の柵を握りながらその様子を聞いている王女のドレスに、何かがもさっと近寄る。
「ひゃあ! もう、ツィーヤ・ンイバーヤ。あなたまたわたくしを驚かせたわね」
「ギイ」
ツィーヤ・ンイバーヤは悪びれもせず、大きな目玉でじっと王女を見上げる。
「いまキースがぶちのめしをしに行くみたい。もう少し待っていたら出られるわよ」
「ギイ?」
「キースは強いけれど、ここの主人らしき方もなかなか剣に覚えがありそうだったわ。ちょっと心配ね」
「ギー……」
薄暗い牢の中で王女を見つめていたツィーヤ・ンイバーヤは、ぺたと向きを変えた。球体の体でなるべく檻へ近付くと、ギッと声を上げてから足代わりの手を片方持ち上げ、握る。
めこ。
ギッとツィーヤ・ンイバーヤが声を上げると同時に、金属の太い棒が歪んだ。王女は紫の目をこぼれ落ちそうなくらいに見開いて口をぱくぱくさせる。
めこめこ。
「ギイ!」
左右の柵を広げ、ぴょんと外に出て幅を確認したのち、ツィーヤ・ンイバーヤは牢の中に戻って王女に向かってニィ……と目を細めてみせた。
「あ、あなた何を」
「何をやってんだお前は」
「ギッ!」
絶句している王女の代わりに、 ツィーヤ・ンイバーヤの頭頂部にチョップをお見舞いしたのはキースだった。ツィーヤ・ンイバーヤは目をパチパチさせながら振り返る。
「おい、お前殿下を危険に晒すつもりか? 冥府の使いだろうがなんだろうがぶちのめすぞ」
「ギッ……ギイッ」
目の据わったキースに気圧されるように、ツィーヤ・ンイバーヤはぺたぺたと王女の背後へと隠れる。
「キース、檻が……壊れてしまったわ」
「殿下、壊したっつーんですよこれは」
「ツィーヤ・ンイバーヤが壊したわ」
「そうですね」
ギイ、と鳴いたツィーヤ・ンイバーヤはキースにおびえつつも、王女の背をキースの方へそっと押す。
「ツィーヤ・ンイバーヤ、まさかあなた、わたくしが出たいと思っているから……?」
「ギイ!」
本当はキースについていきたい、という王女の気持ちを汲んだツィーヤ・ンイバーヤは、そうできるようにと親切心で檻をめこっとしたらしかった。
王女が見つめると、ツィーヤ・ンイバーヤはニィと笑う。
「ギイじゃねーんだよおい」
「ギ、ギイイ」
出入り自由となった檻に入ってきたキースがごわごわの頭頂部を掴んだせいで、ツィーヤ・ンイバーヤの笑顔はすぐに消えた。