南方フェトイの丘では25
儲かっている商人の家としても、贅沢がすぎる。
室内の調度品を一瞥したキースはそう思った。
「こちらへ」
奥の間に通され、大きな机の向こうに座っていたのは体格のいい男。まだ若いその男は上等な服を身にまとい、ゆったりと椅子に背を預けたままで王女を見ている。その無礼具合に殺すぞとキースが内心ごちていたら、王女がくるりとキースを見上げた。
「キース。わたくしの大事なものをあなたに預けるわ」
にっこり微笑んだ王女が手渡したのはパンである。キースは無言で受け取り、小脇に抱えた。空いた両手を上品に体の前で重ねた王女は、しずしずと部屋に入る。
正面にいる不敬な男、そして噴水で話しかけてきた男、それから用心棒のような者が数名背後を囲う。明らかに圧迫感のある状況で、王女は美しく背を伸ばして目の前の男に視線をやっていた。
「ようこそ、2人目の王女。王宮に篭っている体には立っているのも重労働だろう。どうぞ楽にするといい」
明らかにステラ王女を馬鹿にした、見下した物言いだった。
こいつを最初に殺そうとキースが決めていると、王女がふんわりと首を傾げた。それからキースに言う。
「キース、このかわいらしいお屋敷の主人はいついらっしゃるのかしら?」
鈴の転がすような声が、おっとりと相手に殴り返した。
王族であるわたくしに許可なく話しかけるなんて、目の前の無礼な男はきっと身分が低いのだろう。ここでわたくしが答えるとむしろ不敬罪となってしまうから、無視してあげることが優しさね。ああ、まともにお話ができる人はいつ来るのかしら。
王女はそんな雰囲気で、ナチュラルに不敬男を無視した。普段は庶民だろうが貴族だろうが話しかけたい相手に話しかけ、声をかけられれば返事をする王女のこの態度。確実にわざとである。
キースが剣を抜く前に、王女が自ら拳に布を巻いて闘技場へと進み出た。
普段ぽやぽやしていて物語めいたことを夢見ている割に、王女のこういった場における戦闘経験は多かった。王族として育ち、貴族と民衆の目に常に見張られながら過ごしていたようなものである。普段はうまいこといなしているが、まれにこうやって相手が待ち構える闘技場に自ら飛び込むことがあった。
経験を積み、そして王女より経験を積んだ兄姉から薫陶を受けた王女である。社交の場における王女の拳はなかなかに重い。それを見るのは、キースの娯楽のひとつだった。
「殿下。サフィリアは豊かとはいえ、教育が行き届かぬところもございます。もしかしたら彼は礼儀を知らぬのかもしれません」
「まあ、そうなの。わたくしたちの責務は重いわね」
キースもノリノリで慇懃な態度を作り、あのアホが主人だなんてウケますね的な返事をした。
「申し訳ありません、殿下。私が知っている限りフェトイはもう少しましなところだったので今回のご行楽に選んだのですが、間違いだったようです」
「まあ! 謝らないでキース。わたくし、国のこういった貧しいところを見て回ることも王女として重要だと思っているの」
「ギイ」
キースが誠心誠意頭を下げながらディスると、王女はお人形みたいな顔でそれに乗っかってきた。
嫌味満載の会話はトゥルーテがいれば顔を青くしてオロオロするだろうけれど、キースは他人に対する思いやりなど持ち合わせていない。王女を侮辱するようなクソに対してはなおさらだった。
王女とキースを囲む男たちは明らかに気色ばみ、ここへ連れてきた男などは何か言いたそうにこちらを睨んでいる。しかし、椅子に座ったままの不敬男は表情を変えずにうすら笑いを浮かべたままこちらを眺めていた。
「確かに、ここは王女にとってはウサギ小屋のようなものでしょう。だがね、庶民は王族にはわからんほど働いてこうやって金を稼いでるんです」
ゆっくり立ち上がった男が、笑みを浮かべながら王女を見下す。
王女はにこにこと微笑みながらその眼差しを正面で受けて立っていた。
「無能なばかりの王族は、王都で遊び呆けたまま朽ちるがいい。我々は我々の方法でやらせてもらう。死にたくなくば、全権を明け渡すがいい。王にそう伝えろ」
高圧的な物言いの男は、なかなか凄みのある声でそう言い放った。普通の人間ならば怯えていたかもしれない。
だがしかし、王女はちょっと眉尻を下げ、紫の大きな目をぱちぱちしてから、隣に立つキースにそっと、しかし周囲にも聞こえるような声で言った。
「あのねキース、わたくし、この者におくちを開く許可を与えたかしら?」
きゅるるんとした雰囲気でそう言ってのけた王女に、不敬な男の目元がやっと引き攣った。キースはそれを見て満足してから「いいえ殿下」と丁寧に答えた。