南方フェトイの丘では24
結局、馬車は街を少し離れたところにある家へと到着した。
さほど大きくはない建物の周りには広い敷地を柵で囲んでおり、商品を入れておくためのものらしい小屋などもある。街の中で場所を確保できない者がその外側に建物を建て、結果的に街が広がっていくのはよくあることだが、それには領主の許可がいる。かなり広い敷地を貸し出した子爵は随分とお心が広いようだとキースは思った。
「殿下」
周囲の安全を確認してから、キースは馬車の中へと手を差し出す。ステラ王女がそれを握り、小さな足で踏み台に降り立った。
「まあ! ちいさなかわいいおうち!」
無邪気な微笑みに、噴水で話しかけてきた男の表情が歪んだのをキースは見た。
王宮をよちよち歩いて育ち、宮殿をまるごとひとつ与えられている王女からすれば「民が暮らすかわいいおうち」の範囲でしかなかったが、一般的に見れば、この建物も庶民が手にするには大きすぎる家である。
屈辱を隠しきれていない男に、王女はにこにこして話しかけた。
「ここに五のお姉さまがいらっしゃるのかしら?」
「……はい。王女からすれば狭い小屋でしょうが、どうぞ中へ」
「お招きありがとう」
皮肉に対してもいつも通り微笑む王女の隣に、馬車の屋根から何かが降ってきた。
ドッと音を立てて落ちたそれに、王女が悲鳴をあげる。
「きゃああ! もう! びっくりするじゃないの!」
「なんだそれは?!」
「おい、何を企んでいる?」
にわかに殺気立った集団は剣を構える。キースはいつでも応戦できるように周囲を警戒した。
張り詰めた空気の中で、王女はぷんぷんと怒る。
「勝手についてきてしまったのね!」
「ギイ」
「もう……ごめんなさいね、みなさまがた。この……子はツィーヤ・ンイバーヤ」
「ツィーヤ・ンイバーヤ?! やはり第七王女は噂通り『闇の冥府へいざなうもの』を従えているというのか?!」
「……の、赤ちゃんよ」
「赤ちゃん?!」
「ギ?!」
ツィーヤ・ンイバーヤそのものだと言うと物騒なことになりそう、と思った王女による無理な言い訳に、周囲はざわついた。ツィーヤ・ンイバーヤもざわついていた。
「わたくしは祖王さまのお導きにより、ツィーヤ・ンイバーヤの赤ちゃんを預かることになったの」
「……どういうことなんだ?」
「このツィーヤ・ンイバーヤ……の赤ちゃんは、まだ幼くて『闇の冥府へいざなうもの』としてのお仕事はしていないの。世間を見て、闇の冥府行きになる者を見抜く目を養っている途中なのよ」
どう考えても苦しい言い訳だが、そもそも神話に出てくるような存在を当然のように受け入れている王女を見ていると、その言い訳もあり得るのかもしれないという迷いが人々の胸に湧きあがった。
「ね、キース。この子はこう見えてとても小さいのよね。本物のツィーヤ・ンイバーヤはこの倍以上のとーっても大きな体をしているもの」
「はい、殿下。本来ツィーヤ・ンイバーヤは巨大で強靭な体をしております」
王女の胸元ほどまである球体の化け物は十分でかいが、この集団は本来の大きさを知らない。キースが淡々と肯定すると、集団は不審な顔をしながらもそのまま聞いていた。
「そうよね。でもこの子はまだ小さいし、とっても非力なの。そして怖がりだから、どうかみなさま怯えさせないであげてちょうだい」
そうでしょう? と王女がツィーヤ・ンイバーヤを見ると、半目になっていたツィーヤ・ンイバーヤはハッと目を見開き、それから露骨にプルプルし始めた。
足代わりに生えている手をモジモジさせ、王女の後ろに隠れるように動く。
「ギ……ギイ……ギイ」
「まあ大変! 怖がって泣いているわ! みなさまどうぞ剣をおしまいになってちょうだいな。この子が怯えると、本物のツィーヤ・ンイバーヤが出てきてみなさま冥府送りになってしまうかもしれないわ!」
おおよしよし、と大袈裟に宥める王女とギィ〜と震えてみせるツィーヤ・ンイバーヤの構図は大変シュールだったものの、空気感に圧されて受け入れられた。
王女の隣には侍従、そして背後にはツィーヤ・ンイバーヤの子供らしき化け物。
本来の計画からはかけ離れた状態になっているが、集団はそのまま企みを続けることにしたらしい。
「よかったわね。ツィーヤ・ンイバーヤ……の子供である……ギーちゃん。みなさまの優しさに感謝しなくてはいけないわ」
「ギイ!」
「まあ、あなたわたくしのパンを狙っていて? ダメよ。これはみんなで食べるものよ」
「ギィ〜……?」
「そんな顔をしてもダメよ!」
剣をしまった集団が、戸惑いながら王女たちを警戒する。
家の中へと入りながらもシュールな会話を続ける王女が、この場の空気を完全に支配しているのだった。