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南方フェトイの丘では22

「サピタ、シス、とっても重要な情報をありがとう。わたくしはサフィリア王家のひとりとして、お父さまやお兄さま、そしてサフィリア王国のための献身に感謝します」

「光栄にございます、第七王女殿下」


 ステラ王女はにっこりと微笑んで片手を差し出す。パン屋夫妻のシスとサピタはその手を握り、片膝をついて礼をした。

 誰にも使命を知られずに死ぬことこそ最上だと教えられてきた2人にとって、王女の感謝はこれ以上のない報酬となった。小さく華奢な手が自らの手をしっかりと握る感触に込み上げるものを感じながら、サピタは深く礼をした。隣で礼をする夫シスの眼差しも潤んでいる。


「わたくしはそろそろ行くわ。けれど、その前にひとつ大事なお願いがあるの」

「何なりとお申し付けください」


 もし「命を賭して第五王女を救え」と言われても迷わず頷く覚悟で答えたサピタに、王女も真剣な目で頷いたのだった。




「ありがとう! ごきげんよう、親切なパン屋さん!」


 そして王女は、にっこにこの笑顔でパン屋をあとにした。

 その腕にあるのは硬く大きなパン。庶民が日々の食事に使うようなカッチカチの細長いパンを2本、ただ紙に巻いただけの状態のものを王女は大事そうに抱えているのだった。


「やったわキース! わたくし、カッチカチのパンを買えたわ!」

「金払ってませんけどね」


 古くてカッチカチの一番安いパンをちょうだい、これもカモフラージュのためよ、と真剣な眼差しで告げた王女に、サピタもシスも目をまん丸にしていたのは当然のことである。

 結局、新しくて上質ものだけれど固く焼き上げたパンを献上され、王女の気分は旅人モードである。満面の笑みで手を振る王女に、パン屋夫婦は最後まで困惑したまま手を振り返したのだった。


「とってもいい香りだわ! こんなに固くて本当に食べられるかしら? こんなに長いのだから、きっと騎士のみんなにもお裾分けできるわね!」

「そうですね、殿下」

「キース、あなたカチカチパンを食べたことがあって?」

「ありますよ。石みたいにクソ固いパンも、カビかけたやつも」

「まああ! キース、あなたわたくしのしらないところで勇敢な旅をしていたのね?! カビって食べられるの?」

「旅はしてないですしカビは食べちゃダメです」


 ありふれたパンをさも大事そうに抱え、いつの間にか広告塔となっていた王女は、キースと喋りながら歩き続ける。シロビはその後を歩き、ツィーヤ・ンイバーヤは人混みを避けて屋根の上からぺたぺたと付いてきていた。


「まあ、キース! 大きな噴水があるわ!」

「ここがフェトイの中心地ですね」

「座って休憩しましょう! 旅人はね、噴水のふちに座ってひとときの安息を得るのよ」

「噴水で休憩するのは普通の民もやりますよ殿下」


 新たなる旅人シチュエーションスポットを見つけた王女は、にこにこと噴水に近寄り、流れる水にくるりと背を向けてぐるりを囲う石のタイルにそっと腰掛けた。その寸前にハンカチを挟み込んだキースの動きは素早く、シロビ以外の人間には見えなかったという。


「背中に水がかかりそうな気がしてとってもどきどきするわね! トゥルーテにも教えてあげなくちゃ」

「殿下、転ぶと水浸しになりますからお気をつけくださいね」

「わかっているわ。ちょっとキース、シロビ、あなたたちも座ってちょうだいな。こうして並んで疲れを癒して、ぽつりぽつりと気持ちを語らったりしてみましょう」

「そのくだりはどの本で読んだんですか殿下」


 ステラ王女に勧められ、キースは王女の右に、シロビは左に座る。相変わらず民衆の視線が痛いほど集まってはいたものの、王女は気にせずに憧れシチュエーションを堪能していた。


「殿下、お疲れでは?」

「そうでもないわ。お姉さまのことも聞けたし、もう少し情報を集めたいのだけれど……キース、お兄さまの騎士がフェトイにいるかしら?」

「いますよ。おそらく変装しているでしょうが」

「そうよね、きっとそうだと思ったわ。何か情報を探っているでしょうから、見つけて聞いてみましょうか」


 しばし王女はパンを抱きしめながらうっとりと探偵ごっこに浸る。シロビが横目でちらちらとそれを見ていると、王女は不意にシロビの方を向いた。


「シロビ、お兄さまの騎士がいそうなところはわかる?」

「は、……お、おそらく」

「ちょっと探してきてもらえるかしら?」

「いえ、ですが殿下のおそばを離れるわけには」

「ちょっとくらい大丈夫よ、わたくしずっとここにいるわ」

「しかし……」


 シロビは迷ってキースを見た。

 キースは眉を寄せていたものの、頷く。


「シロビ、すぐに戻れる範囲で探れるか?」

「は、その、私の家がフェトイにも店を出していますから、そこに頼むなら」

「まあすてき! シロビは商家の出だものね! ツテがあるのね!!」


 王女に尊敬の眼差しを向けられ赤くなりながらも、シロビは立ち上がった。


「すぐに行ってまいりますので、殿下はかならずここで」

「待て」


 キースの声音にシロビは周囲を警戒した。群衆の中から、上等な衣服を着た者たちが十数人、音もなく近付いてくる。そして大きな黒馬三頭に牽かれた馬車がゆっくりと広場へと入ってきた。

 キースとシロビは立ち上がった王女を守るように前へ出る。

 3人の前で停まった馬車の中から、黒衣に身を包んだ男が現れた。


「第七王女殿下。第五王女のことについてお話があります。ぜひご同行ください。もしお断りになるのなら、姉君の身に危険が及ぶやもしません」

「……まああ! なんてことなの!」


 現れた集団を警戒しているキースはもちろん背後を振り返ったりはしなかったものの、王女のその声から、紫の目をキラキラと輝かせているのは手に取るようにわかったのだった。






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