南方フェトイの丘では20
迷信だと思っていた存在を目の当たりにし、シロビは驚嘆と敬意を持ったのに対し。
迷信だと思っていた存在を目の当たりにし、王女は単純にテンションマックスになっていた。
「本当の本当にいたのね!! 『王家の目』はお父さまとお兄さまにしか任命できないし、そもそも民の暮らしを見守るだけだというから、もしかしたらわたくしは一生お目にかかれないんじゃないかしらと思ってたのよ!」
「殿下、早く移動してください」
「キース、だってとっても嬉しいじゃないの! 『王家の目』が活躍することで悪事を裁かれてしまう物語がいくつあることか!」
「それはただの架空の出来事です殿下。『王家の目』は普通は街の出来事を見守るだけの存在です。はよ階段のぼれ」
「密かに使命を胸に抱き、民に紛れて暮らす……とってもすてきだわ! そうして、身分を隠してやってきた若き王の旅路を助けるのよ!」
「殿下は身分を隠してませんけどね」
先ほど買った器類を抱きしめながらうっとりする王女を、キースは案内された2階へと置いやった。テーブルがひとつにイスがふたつ、あとは本棚がひとつあるだけの小さな書斎には、その本棚に入り切らないほどの本が置かれている。異国の文字や分厚い辞典などが並んでいるところが、唯一パン屋らしくないところだった。
一般的な住居の狭い書斎というレアな場所に案内された王女はまたテンションを上げ、キースに手を貸されてにこにこしながら座った。パン屋の女がマグに入った紅茶を差し出すと、またぱあっと目を輝かせる。
「とっても大きいわ!! 両手で持っても重い紅茶なんて初めて!」
「申し訳ありません、不躾なものしか置いておりませんもので」
「かしこまらないように。殿下はこういう宮殿で見ないものにご執心だ」
「そうよ! 紅茶がたっぷり飲めてとっても実用的だわ。こんなに大きなカップ、わたくしも欲しいもの」
「殿下、それはマグといいます」
「マグ! 名前もとってもかわいいわ!」
女は王女の言葉を、王宮言葉でいうところの「デカくて庶民くせえもんで出すな」だと解釈して恐縮したものの、キースの注釈と王女の目の輝きを見てそうではないようだと困惑した。王女はなぜか抱えていた安もののカップやら皿やらを丁寧にテーブルに並べると、小さな両手でマグを持ち上げてうっとりしている。王女だけに焦点をあてれば、大きな宝石や聖杯を持っているのだと勘違いするほど清らかな喜びだった。
もしよろしければそれをお持ちになりますか、と恐る恐る提案してみると、王女は喜んだもののキースは「甘やかさぬように」と却下した。
ふうふうと紅茶を冷まし、一杯飲んでにっこりした王女は、少し大きいイスで浮いたつま先をこつんと合わせてから口を開いた。
「王太子である一のお兄さまのことを出したということは、お兄さまからわたくしの話を聞いていたの?」
「軽く触れはいただきました。第五王女殿下のことでいらしたのですね」
「そうなの。やっぱり何かあったのね?」
普段は王族に対してさえも存在を明かさない『王家の目』が、命を下した王や王太子ではない王族に自ら声をかけた。つまり、何かしら「普段」で片付けることのできないことが起きているということである。
「もし咎めがあるなら、代わりにわたくしが受けます。だから知っていることを話してちょうだいな」
王や王太子を憚って口が澱むのをあらかじめ防いだ王女は、ハッとなって隣に立つキースを見上げた。
「キース、いまわたくし、尋問というものをしているのではなくって?!」
「してませんし、そんな嬉しそうな顔をしないでください殿下」
「でも『黙って洗いざらいぶちまけるんだ』と言うのは尋問なのでしょう? わたくし、似たようなことを言ったわ!」
物語で読んだらしいシーンを実践できている(と思っている)王女は嬉しそうな顔をするも、すぐにまたハッと深刻な顔になった。
「でも無辜の民にそんなことを言うなんて、わたくし、残虐なる支配者として闇の冥府に行くことになるのではなくて?!」
「ギィ〜ィ……」
「聞こえる! いざなう者がわたくしを闇の冥府へ送る声が! ああ、祖王さま! わたくし王族という立場でありながらなんという罪を……!! お許しくださいませ、わたくしにはまだやるべきことが……!!」
王女はただの質問を尋問だと勘違いし、暇すぎて付いてきたらしいツィーヤ・ンイバーヤが屋根の上で鳴くのを聞いて闇の冥府に犯してもいない悪事がバレたと戦々恐々し始めた。
パン屋夫妻とシロビは心配し声をかけようとしていたが、キースは目でそれを制す。
なんか面白いのでちょっと見とこう。
そう思ったキースによって、王女の恐怖はちょっとだけ長く続いたのだった。