南方フェトイの丘では19
「かわいい! キース、あれを見てちょうだい!」
「あれはカブの蒸し煮ですよ。殿下、どこがかわいいと思ったんですか」
「この葉っぱの切り口がバラみたいじゃない? それに、まるまる蒸してるのがいいわ! 少し透き通ってほかほかだわ!」
「あれは中がくり抜いてあって、内側に具材を詰め込むんです」
「とっても美味しそう!」
騎士シロビは神経を張り詰めながら、王女の背後を警備していた。
民が多過ぎる。
王女に対して好意的な視線や興味の眼差しがほとんどだとしても、大勢の挙動は予想しにくく、そして事故につながりやすい。不届き者が出て来れば王女に近付く前に剣を抜く自信はあるが、多くの人が倒れ込んできたら王女を守り切れるか不安だった。体格のいいゴルドン隊長が付いてくるべきだったのでは、と今更ながらに思ってしまう。
おそらく王女が自分を選んだのは、この「買い歩き」が何者かに対するアピールだからだろう。騎士として小柄な自分を付けていれば、相手が油断するかもしれない。そうすれば情報も得やすくなるだろうし、もしかすると、起こっているかもしれない第五王女に対する何かしらの事件の関係者が近付いてくるかもしれない。
どう考えても王女がする思考ではないと思いつつも、シロビが道すがら見てきた王女の様子からしてあり得る話だった。
「あの焼いているのは何かしら?」
「殿下、あれはブタの足です」
「とっても大きいわね。持って帰るのが大変じゃないかしら?」
「注文した分だけ削ぎ取って売るんですよ」
「わかったわ! それを岩みたいに硬くなったパンに挟んで、馬を走らせながら齧り付くのよね?!」
「いえ殿下、一般的には普通のパンに挟んで食卓で食べます」
どう見ても、市井の暮らしに興味津々な、あとちょっと物語の影響をもろに受けがちな箱入り王女様だけれど。
ステラ王女が見た目通りなだけの王女でないことは、シロビにもなんとなくわかってきていた。
「殿下」
「あら! あれがパン屋さんね! 看板がすてきだわ!」
「殿下、中に客がいますから少しお待ちください」
「順番を待つのね。ここに並んでていいのかしら?」
王女が足を止めたのに合わせて、シロビは背後を警戒しながら中の様子を見た。
間口の狭いパン屋は、中に入って注文をするようになっている。左右の壁にはパンの種類と値段が書かれた紙が貼ってあって、割り込み禁止、喧嘩は外で、などの注意書きもある。普段は列ができるほどの人気があるようだ。
しばらく睨んでいると、中にいた客が出てきた。パンを抱えた人間は人だかりに眉を顰め、そばに立つ人物にぎょっとして飛び退く。慌てて人だかりにくっつくように道を開けると、王女はにっこり微笑んで中へと入った。
「ごきげんよう」
「おや、おやおやおや!! ちょっとアンタ! アンタってば! 王女さまがおいでだよ!!」
恰幅のいい中年の女は、しずしずと入ってきた客を見るなり目をまん丸にして叫んだ。
カウンターの後ろに並ぶ棚の向こうから、朴訥そうな男が顔を覗かせた。入ってきた客を見て戸惑ったような顔をしたものの、頭を下げて引っ込んでいく。
「本物だよ!! まあまあ、こんな狭っ苦しいところに!!」
「こんにちは、パン屋のご夫人。わたくしをご存じですのね」
「ご存じも何も、うちに肖像画がありますよ!! たまげたねえ、そっくりだわ!!」
女は肝も太いようで、ステラ王女をジロジロと眺めては感心したように声を上げている。驚いたような顔は王女に向いているものの体は背後の棚を向き、その手はパンを並べ替えて空いたトレーをまとめて重ねていた。
「今まで見たどんな女の子よりかわいいじゃないか!! 白百合のつぼみが似合うねえ!」
「まあ!」
驚いたように大きな目を瞬いた王女は、コロコロと笑い声を上げた。
「白百合なんてとっても嬉しい! わたくしの宮にいる小鳥が大好きなの!」
王女の言葉に、今度は女が大声で笑う。
「ピッタリじゃあないか。アンタ! 今日はもう店を閉めるよ。ほらアンタたちどきな、今日は貸切さ!! パンが欲しけりゃ他へ行っとくれ!!」
嬉しそうにカウンターから出てきた女をシロビは一瞬警戒するものの、女は「ちょいと失礼」と言いながら王女の横を通り、店のドアを閉めてしまった。文句を言う人だかりを締め出すように外へ両開きにされていた扉を閉めると、喧騒と明るさが遠のく。奥から出てきた男が2つのランプに灯をつけてようやく話ができる程度の明るさになった。
女は戸締りをしてからカウンターの方へと戻ると、唐突にしゃがみ込む。
シロビが思わず警戒して剣を握ると、キースがそれを手で制した。
カウンターの向こうにいた男も前へ出てきて、女の隣で背を低くする。それでしゃがみ込むのではなく、片膝を付いた礼をしているのだと気が付いた。
「第七王女殿下」
「そうかしこまらないでちょうだいな」
先程とは違う固い声に、王女はほがらかに返した。
王女がキースを見上げ、キースが王女に頷く。すると王女はにこにこしながら頷いた。
「やっぱり、あなたたちは『王家の目』なのね」
「はい、殿下」
王家の目。
シロビにも聞いたことがあった。
王は全ての街を見るために、各都市に『目』と呼ばれる人間を置いている。王命を拝したその人間は街に溶け込み、人々を監視している。もし王家に叛逆するものあればあっという間にその所業は王へと届けられ、どこから漏れたかもわからないままに投獄され冥府へと送られるのだという。
シロビは正直、そんな存在は迷信でしかないと思っていた。そもそも平和なこの国を乱そうと考えるものはおらず、街で起こる悪事を素早く止めるものなどいない。言うことを聞かない子供に聞かせるお化けの類とそう変わらないと思っていたのだ。
それが実在しているとは。
悪いことをすると捕まえて連れていかれるよ、と聞かされていたせいで、『王家の目』は子供心に恐ろしい騎士を想像していた。しかしシロビの目の前にいる『王家の目』は、どこにでもいるような恰幅のいい中年の女とその夫のようだ。
そうか、とシロビは思い至る。
白百合は王の象徴。そのつぼみは王太子を指す。そして王家は鷹、つまり鳥の紋章。
先程のやりとりが符牒だったのだ、と改めて王女に感心した。ただの褒め言葉のようなもので、よく気が付いたものだ。
やはりステラ王女は、ただにこにこしているだけではない。その可憐な笑顔の裏では、聡明に物事を考える王女としての一面があるのだろう。
「まああ! 本当にそうなのね!! わたくし初めて会ったわ! まさか実在するなんて! すごいわ! 日記に書いていいかしら?!」
「殿下、ダメです」
「貴族を描いた物語に出てくるじゃない?! 本物に会えるなんてとっても嬉しいわ!! 握手してちょうだいな!」
「殿下、落ち着いてください」
……。
いや、多分、聡明に物事を考える一部分もきっとあるのだろう。多分。
シロビはキャピッている王女を眺めながら、少しだけ現実から目を逸らした。