桃色珊瑚の宮殿の中では5
「えぇっ?! ほ、ほんとに旅に出ることになったんですか?!」
「そうよトゥルーテ! 鞄を用意してちょうだいな」
「えっ……ほ、ほんとうに……ステラさまが……」
メイドのトゥルーテは、オロオロした顔でキースを見上げた。キースは渋い顔で頷く。
抜け目のない王女は帰る途中で方々へ手紙を書き、自分が旅に出ること、それは王太子の許可あってのことだと知らせまくった。鮮やかな先手に加え「明日から3日」という期日を書いたことで、たった3日のことで訂正して騒ぎにすることを王太子に躊躇わせたのである。
末っ子の王女は甘やかして育てられたけれど、その出自によって周囲に海千山千な大人たちが多かったため、ワガママはただ言えば通るとは限らないとしっかり身にしみていた。キースはこのやっかいな妖精を錬成した責任は周囲の大人にもあると思っている。
「そ、そうなのですか……それでは準備いたしますが、どちらの地方へ向かわれるご予定ですか?」
「風の向くほうへ、よ!」
メイドは困惑し、キースは眉を顰めた。
王女はコホンと咳払いをする。
「と、言いたいところだけれど、最初から逸脱してお兄さまを怒らせるのもよくないわね。まずは……そうね、東の川の神殿へ向かいましょう!」
「東の神殿……あの、ステラさま、もしかして」
「そう、霊廟にでも寄ろうかと思うの。旅人が天啓を受けることはよくあることですもの」
王都を出てしばらく東へ進んだところにある大河のそばには、かつて王族が住んでいた地フリートがある。そこには巨大な神殿があり、中には代々の王族が眠る霊廟が存在する。新年に王が参拝し、年に一度の祈りの日と葬儀では王族が参列する。当然王女ステラは何度も霊廟に入っているが、もちろん何でもない日にホイホイ入れるような場所ではない。
朝食を庭でとろうかしらと言うのと同じノリで言った王女に、キースも流石に口を出した。
「殿下、この時期に霊廟へ入るのは不可能かと。あと天啓ってなんですか」
「そうかしら? まあ、行ってお願いしてみましょう。ダメでも大丈夫よ。あの神殿は大きいもの。冒険に退屈することはないわ」
「えと、神殿へいらっしゃるなら正装でしょうか……荷馬車はいつもの大きさでよろしいですか?」
「待ってちょうだいトゥルーテ。わたくしは旅人よ。旅人は自らの足で運命を切り開くものなの!」
何言ってんだこいつは。
メイドと侍従はそれぞれ主を眺めながら、偶然にも心をひとつにした。
「……殿下。恐れながら、徒歩でのご移動をお考えですか?」
「もちろんよ! わたくしも王女、この母なる大地を裸足で踏み締め、民の住まう地平に日が昇るのを眺めなくては!」
「殿下みたいな赤ん坊以下の足の裏で大地を踏みしめたら、それだけで血が出ます。ご再考を」
「失礼ねキース! わたくしだって日頃からこっそり庭を素足で歩いているのよ!」
「次から見つけ次第回収して部屋に閉じ込めますよ」
王宮の敷地を裸足で歩いても、触れるのは磨かれた石畳かふかふかの芝かの2択である。さらに王女の住まう宮殿の周囲には、間違っても王女を傷つけることがないよう、石畳の縁は削られ、花壇を囲う石も丸く磨かれているほどに危険度が少ない。毎日歩き回ったところで、足裏の皮が厚くなりようがない状況だった。
王都にいる間ならばまだしも、街道を歩いて平気でいられるはずはない。
「殿下、馬車を使うべきです」
「それでは行幸と同じじゃないの。せめて馬よ。馬の背に跨り、颯爽と道を切り開くのよ!」
「我が国の道はすでに全て切り開かれてますよ殿下」
馬に乗って神殿へ行くにしても、ゆっくり進むのであれば日の出から日の入り近くまで移動する必要がある。キースは長時間の乗馬で殿下のケツがズル剥けになり自分の首が飛ばないためにも、質の良いクッションと傷薬を大量に用意することにした。