南方フェトイの丘では16
白い蝶がひらひら飛び、その後ろを灰色の化け物がぺたぺた追う。
その光景をぼんやりと眺めながら、ステラ王女は溜息を吐いた。
「ステラさま、お疲れですか? 今夜の宿まで、馬車にお座りになってはいかがでしょう?」
「お疲れ……じゃないと言ったら嘘だけれど、へとへとってほどでもないわ、トゥルーテ」
「でもステラさま、もう5回も息をおつきになっていますよ」
「あら、そうだったかしら」
折り畳みのイスに座り、折り畳みのテーブルで草原のティータイムと洒落込んでいた王女は、やはり上の空だったらしい。いつもよりもお菓子の減りが遅いし、お茶も冷めるまでにひと口ふた口しか飲んでいない。
本当なら問答無用で馬車に乗せて医師の元へでも駆けつけたいほどだったが、トゥルーテは黙って主を眺めていた。旅疲れのほかに、頬杖をついて小さな頬に手を添える原因には、トゥルーテも心当たりがあったからだ。
「第五王女殿下をご心配なさっているのですね」
「そうなの。流石にお返事が遅すぎるわ」
ステラ王女が最初の手紙を書いてから数日。今夜の宿を明かせば、明日の夕方にはフェトイに着く予定だ。
第五王女が手紙を受け取って翌昼までに返事を書いていれば、フェトイ到着の2日前、大都市ランカでステラ王女は返事を受け取れるはずだった。しかしランカは早朝に発ってしまった。しかも、ステラ王女の旅程は予定よりも2日遅れている。疲れの取れていない王女を見たキースの判断によって、一泊だったはずのランカ滞在が延ばされたのだ。
それなのに、返事が届いていない。
「ステラさま……ほ、ほら! 第五王女殿下はもしかしたら、フェトイで何か夢中になれることを見つけてらっしゃるのかも」
「五のお姉さまは好きなものを見つけると、その分だけお手紙が分厚くなるのだけれど」
「で、では、お手を怪我なさってペンを持てないのかもしれません」
「五のお姉さまは両手でペンを持てるから、両手を怪我していたらそうかもしれないわね」
「あぁ……えぇと……」
トゥルーテは王女の気持ちを上向かせようと返事がこない理由を考えてみたものの、失敗に終わった。もっと何か、特に心配する必要はないけれど手紙が書けない理由は……と考えていると、王女がトゥルーテの手を握る。
「ありがとうトゥルーテ。わたくしがここで悩んでいても事態は変わらないわよね」
「ステラさま……」
「こうなったら真相を突き止めて、お姉さまが危機に陥っているならわたくしが颯爽と現れて救い出して差し上げなくっちゃ!」
「おやめくださいステラさまそれはステラさまのお仕事ではありません」
「わたくしの大事なお姉さまのためなら、たとえ海の中だって潜っていってみせるわ!」
「ステラさまは海水にお膝の下しか浸けたことがないじゃないですかぁ〜」
やる気の高さが身分よりも高い。
もしかしたら、しゅんと落ち込んでいるくらいでよかったのかもしれない。トゥルーテはこっそりそう思ってしまった。
「殿下」
「キース、どうだった?」
騎士たちと相談していたキースが戻ってくる。トゥルーテがお茶を淹れると、キースは王女の隣に座って説明を始めた。
「アンドレアスによると、今夜泊まる予定のソルテにも第五王女殿下からのご連絡は届いていないようです」
「そうなの……」
「殿下の手紙を受け取った証書はあるので、フェトイ子爵邸にいらっしゃるはずです。しかし屋敷の周辺を調査したところ、ここしばらく第五王女殿下のお姿を見た者がいないと」
「それはとっても変ね。お姉さまが外を出歩かないなんて」
小さく整った眉を寄せて、王女は立ち上がった。
王女は小柄なはずなのに、すっと伸びた背筋と紫の目が全員の視線を集める。
侍従から騎士までを見渡した王女が、静かに口を開いた。
「わたくしは五のお姉さまに何かあったのだと判断します。それを確かめるために、これからフェトイまで急ぐわ。あなたたちもまずお姉さまの安全のために動いてちょうだい。わたくしの名において、お姉さまを守るために剣を振るうことも許します」
騎士ら3人は自然と背筋を伸ばし、王女の命を聞いた。笑みを浮かべない王女の目は、王太子のそれにとても似ている。
王族だからこそ威厳を纏うのか、それとも生まれながらの威厳を纏うから王族たるのか。
いずれにしろ、ステラ王女の言葉によって騎士たちは背中にピリピリしたものを感じた。
「……まあ、今から急いだってソルテで一泊することには変わりありませんがね」
「このままフェトイまで一気に行けないの?」
「馬も倒れますし殿下も倒れます。そうなればむしろ危険ですよ。まず休んで、明日に備えましょう」
「でも……それも困るわね……」
はい、じゃあ馬車に乗ってください。
唯一いつも通りなキースは王女を馬車に積み込むと、ご命令通り先を急ぐことにした。