南方フェトイの丘では15
カリカリとペンの音が響く。
「できたわ!」
食事が終わり、王女は客室へと案内された。
小さなランプの灯りを頼りに手紙を書き上げた王女は、便箋を持ち上げて満足そうに頷く。
「ご挨拶と、お兄さまのお言葉と、そしてわたくしたちの昔の思い出! こうして2人しか知り得ない話をお返事に書いてもらうことで、手紙の主が本物だと判別できるのよトゥルーテ!」
「ス、ステラさま……誰かが第五王女殿下になりすますなんて、あり得ない話だと思います……」
「そんなことないわよ。備えあれば憂いなし。さ、封蝋を垂らしてちょうだい」
ステラ王女のために作られた専用の便箋は、宮殿と同じく桃色をしている。紅薔薇を乾燥させ砕いたものを混ぜてあるのが特徴的だった。封をして冷ましてから、宛名には第五王女の名前を書く。
ペンを置くと同時に、ドアがノックされた。
「殿下、書き終わりましたか?」
「ええ、キース。お待たせしちゃったわね」
王女は入ってきたキースに手紙を渡す。封を確かめたキースは頷いて、廊下で待つ使用人にそれを手渡した。
「第五王女殿下はフェトイ子爵のお屋敷にいらっしゃるはずだ。殿下へ直接お目通り願うか、もしくは証書を貰って戻るように」
「確かにお預かりしました」
「夜に走らせて申し訳ないけれど、よろしくね」
王女が言い添えると、使用人の男は慌てたように深く礼をしてからギクシャクと歩き出す。彼は一度振り返ってから、そのまま外まで走り出した。
「まあ、とっても元気な人ね!」
「王族に話しかけられればそうなりますよ。手紙は明日中には着くでしょう。返事が早ければ、フェトイに着く二日前には受け取れるかもしれませんね」
「そうね。滞在予定の街をみんな書いておいたから、五のお姉さまならきっと返事をくれるわ」
そう明るく言ったものの、王女は使用人の走っていった先をじっと見つめていた。
第五王女が筆マメなことは有名である。王太子の手紙に返事を出していないとなると、病気や何かに巻き込まれた可能性もある。
とはいえ、賑やかな商業の街フェトイには力のある商人やつながりある貴族も多い。いきなり王や王太子の命で領地を調べるとなれば大事になる。
今回は、ステラ王女に付き添うという名目で騎士をフェトイに送り込むことが王太子の目的だった。王太子の騎士は王女よりも早くフェトイを目指し、周辺の調査をしているはずだ。
面倒事があるならば、王女が到着する前に全てが片付けばいいのだが。
キースは内心そう思いながら、王女を安心させるために声をかけた。
「大丈夫ですよ、殿下」
「そうね……」
「明日のためにも、今夜はゆっくりお眠りください」
「そうするわ。ありがとうキース」
視線を上げて侍従の顔を見る王女に影がかかる。
ぬっとでかくなった灰色の化け物は「ギィ……」と軋むような音を立ててひとつ目をニタァと細めた。
「ひゃああああ!!!」
「ギイー!」
「ツィーヤ・ンイバーヤ! あなた、わたくしを驚きで冥府送りにする気?!」
「ギイイ?」
一日馬の後ろをついてきて疲れたのか、ツィーヤ・ンイバーヤのサイズは夕食時よりも膨らんでいた。廊下に立っていると、誰も通せないほどに膨らんでいる。
夕食後、ツィーヤ・ンイバーヤは火を入れてもらった暖炉の前に座り込んでじっとしていた。動きそうにないので王女たちはそのまま放って部屋に入ったが、ツィーヤ・ンイバーヤ
は暖炉に飽きたのか王女たちを探していたらしい。
急に現れた巨体に王女は思わず自分の胸を押さえた。心臓が飛び出ていなくてホッとする。
「まったくもう。ツィーヤ・ンイバーヤ、あなたは居間をお借りなさいな。ここはわたくしの宮と違って、あなたのための部屋は足りないみたいなの」
「ギイ……ギー!」
「そんな目をしてもわたくしの部屋には入れないわよ。トゥルーテもいるのだから」
「ギイイー!!」
「大体あなた、その大きさじゃドアを通れないわ。疲れているならゆっくり休んでちょうだい」
「ギギ……」
じとーっと目を細めたツィーヤ・ンイバーヤは、ドアを見て、自分の足元を見る。通れないとわかったのか、諦めてその場に座り込んだ。廊下に巨大な手が2本投げ出され、灰色の毛が床に触れる。
「ちょっとツィーヤ・ンイバーヤ、そこで寝るのはいただけないわ! 廊下は寝るところじゃないのよ! キースも説得してちょうだい!」
「いや……殿下、ツィーヤ・ンイバーヤがここにいるなら、防犯上の問題が減るかと」
「こんな状態でもお仕事熱心でとっても感心ねキース!!」
「ツィーヤ・ンイバーヤ。朝が来るまでここから動かないように。王女へ悪心を起こすものがいたら食ってもかまわない」
「ギ」
「かまうわ! とってもかまうわよツィーヤ・ンイバーヤ! 人間を食べたらダメよ!」
「ギー……?」
納得いかなさそうな顔をしたツィーヤ・ンイバーヤだが、ぱちぱちと何度か瞬きをするとそのまま大きなひとつ目を瞑っておとなしくなった。本気で寝るらしい。
その様子を眺め、王女はじっとキースを睨む。キースはしれっとした顔で王女を見た。
「窓の外は騎士が交代で見守ります。では殿下、安心してお眠りくださいませ」
「ツィーヤ・ンイバーヤは本当に眠っているのかしら? 夜中にじっと見つめられそうで何だかとっても落ち着かないわ……!」
「大丈夫、トゥルーテにいつものぬいぐるみを持ってきてもらっていますよ」
ではおやすみなさいませ、と告げ、キースはさっさとドアを閉めた。むくれた王女がトゥルーテを見ると、開いたドアから話を聞いていたトゥルーテはすでにベッドの準備を整えている。その手に持っているのは、王女が小さな頃からベッドで一緒に寝ているウサギのぬいぐるみだった。
「ステラさま、どうぞ。薬草の香りを移していますから、よく眠れますよ」
「……わたくしは子供じゃなくってよ!」
そう言い返した王女はしかしぬいぐるみを受け取りベッドに入る。廊下に闇の冥府の使者がいることなどすっかり忘れ、王女はすやすやと眠ったのだった。




