南方フェトイの丘では14
使い込まれたテーブルに供されたスープ。同じく使い込まれた木のスプーンを小さな白い手が上品に支え、具材がごろごろ入ったスープを掬う。
ラビータ村の村長リサクとその妻サリカは共に寄り添い、灰色がかった眉尻をやや下げながら、王女がスープを口にするのを見守った。
「……とっっても美味しいわ!!」
「あぁよかった。お城で出るような料理とは比べ物にならないものだけれど、ステラ様のお口に合うようで安心しました」
「まあ! 確かにわたくしの宮殿で出るものとは違うけれど、これも同じくらいに美味しいわ! 鳩のお肉が煮込まれているのね? この人参も味が濃くてとっても美味しいし、この白いものは何かしら?」
「王女さま、それはネローシギの根でございます。うちの村で育てているネローシギは根まで太く甘みが濃いので、スープにぴったりなんですよ」
「根っこなの? 初めて食べたわ! この甘みが塩味と合うのね!」
ニコニコしていた王女がさらにニコニコになったので、見守っていた村長夫妻や手伝いの村人はほっと胸を撫で下ろした。騎士に鍋の洗浄から調理過程を見守られ、メイドに味見をされ、緊張しながら出したスープは王女の合格点を得られたらしい。
優雅さを失わないままスープを口に運ぶ王女を見て、村長夫妻も笑顔でスプーンを手に取った。
「キース、とっても美味しいわね!」
「そうですね」
「トゥルーテ、このスープ、宮殿でも作れるかしら?」
「はい、ステラさま。ラビータの野菜は王宮でも使われておりますから、レシピを教えていただきましょう」
王女を真ん中にして、侍従とメイドが左右に座る。向かいに村長夫妻が座ると、テーブルはパンとスープ皿でいっぱいになった。部屋の外にはゴルドンが控え、アンドレアスとシロビは別室で食事をとっている。
家でもっとも大きな空間であるダイニングルームだが、それでも圧迫感があった。
「ギイ……」
灰色の化け物が大きな目でテーブルをじっと眺めているからである。
「まあまあ、お腹が空いているのかしら? ステラさま、ツィーヤ・ンイバーヤさまにもお食事を差し上げてよろしいですか?」
「サリカさま、お気遣いありがとう。でも……スープはどうかしら」
「ギイイ……」
縮んでいるツィーヤ・ンイバーヤは、ちょうどテーブルの高さと同じところに目がある。どの大皿にも乗り切らないほどの巨大なひとつ目が料理を眺めていては落ち着かないのは誰もかれも同じだった。
「スープがお嫌いなのですか?」
「いいえ、ツィーヤ・ンイバーヤは何でも食べるのだけれど……何でも食べすぎて、お皿まで食べてしまうことがあるの」
「あらあら」
ステラ王女とキースの根気強い指導によって、ツィーヤ・ンイバーヤは食べ物を載せている器は食べてはいけないということは理解した。しかし、理解しているのと実際に行動に移せるかどうかは別なようで、強大な吸引力のせいで今だに食器までもが吸い込まれてしまうのである。
「お皿だと、手で押さえてちゃんと載っているものだけ食べるのよ。でもスープは液体だからなのか、うっかりしてしまうことが多いみたいなの。わたくしの宮のスープ皿はいくつも犠牲になってしまったわ」
「それは大変でございますねえ。ツィーヤ・ンイバーヤさまは喉を怪我されたりしませんでしたか?」
「喉……あるのかしら?」
「ギイ?」
そもそも、体の下部、足代わりにしている左右の手の間から食べ物を吸引しているのである。構造として謎だし、同じ場所から悪人を吸い込んでいるので、食べているとしたら吐き出された悪人が無傷で戻ってくるのも謎だ。そもそも、巨体を支えるには食べたがるものが量として不十分である。
王女たちの間では、よくわからないけれど食べることだけを楽しんでいるのではないか、という推測をしていた。
「では、パンをお出ししましょうね。パイも焼き上がりますから、もう少し待っていてくださいませ」
「ギッ!」
「ツィーヤ・ンイバーヤ、食べすぎてはダメよ。わたくしもパイを楽しみにしているのだから」
「ギー」
「たくさん焼いておりますから、王女様もどうぞお好きなだけ召し上がってください」
「ありがとう! 今日はとってもお腹が空いているの!」
王女は村長夫婦とにこやかに会話をしながら食事を楽しんでいる。キースは気を配りつつも、ツィーヤ・ンイバーヤに動じない村長夫妻に感心していた。
どう考えてもヤバそうな化け物も動じずにもてなしするあたり、この村長夫妻は器が広いか、もしくは肝が据わりきっているようだ。怯えて拒否されるとツィーヤ・ンイバーヤを外に出すしかなく、そうなるとギーギー騒がしい夜になることは間違いなかったので、老いた経験豊富な村長夫妻でよかったとキースは安堵する。
「キース! パイが焼けたみたいよ! あなたも疲れているでしょう? たくさん食べて元気になってちょうだいな」
「はい、殿下。殿下もたらふく食べてよく寝てください」
「ええ! ツィーヤ・ンイバーヤも……ちょっとだけ食べてよく寝るのよ!」
「ギー!」
ひとまず、1日目は順調に終わりそうだ。
キースは翌日からの段取りを考えつつ、パイの切り分けを手伝うことにした。