南方フェトイの丘では10
ピンクのタイルが貼られている浴場で汗を流し、ドレスに着替えた王女はいそいそと手紙を開けた。
薄青い紙を丁寧に広げ、文字を目で追う。紫の目がゆっくりと左右に動いているうちに、王女の眉がひそめられ、そして最後には嬉しそうな笑顔になった。
「キース! トゥルーテ! 支度をしてちょうだい! 旅に出るわ!」
「ギーッ!!」
「王太子殿下はなんと?」
「今度の旅は、囚われの姫を救う勇者の旅よ!!」
「あんたが姫ですが」
「ステラさま……ごっこ遊びがお望みなら、外ではなくお庭でしませんか?」
「ちがうのよー!」
やる気満々の王女に応じたのは、休憩して再び小さくなったツィーヤ・ンイバーヤのみであった。キースは冷めた目でツッコミを入れ、トゥルーテは心配そうに代替案を挙げる。
事情が伝わっていない部下たちに、王女は手紙に書いてあったことを話した。
「五のお姉さまがね、フェトイに囚われていらっしゃるのですって。お兄さまはわたくしに勇者となりお姉さまを救い出せとお望みなの!」
「は? んなもん騎士の出番ですよ殿下。本当はなんて書いてあったか見せてください」
どう考えても深読みしすぎている。
キースは殿下から手紙を貰うと、じっくりと目を通した。ツィーヤ・ンイバーヤが手紙を覗き見しようとぴょんぴょん跳ね、トゥルーテは心配そうに言葉を待つ。
しばらくして、キースはじっと王女を睨んだ。
「……殿下、殿下の言ったことはどこにも書かれてませんが」
「そんなことないわ。もっとよく読んでみて」
「3回目を通しました。ここには物流の滞りのあるフェトイの視察に第五王女殿下が出向き、連絡がないので観光を装い様子を見てくるようにと書かれています」
「そうよ! つまり、通りすがりの姫を装って、悪の組織を暴く旅人になるのよ!」
「殿下、普通姫は通りすがりません。そんな派手派手しいもんを見過ごす人間はいません」
ギーギーと鳴きながら近くで跳ねているツィーヤ・ンイバーヤを宥めるように、キースは手紙を指でつまんで見せてやった。指の付け根を折ってつま先立ちのようになったツィーヤ・ンイバーヤは、大きなひとつ目をパチパチさせながら手紙を見ている。現代語を解しているのかはキースにはわからなかった。
「あの、ステラさま、第五王女殿下の身に危険がせまっているのですか? もしそうであれば、騎士隊を動かして救出に向かわないと……!」
「落ち着けトゥルーテ。第五王女殿下が囚われの身だというのは殿下の妄想だ。どこにもそんな事実は書かれていない」
「あらキース、本当にそうかしら? あの筆マメで律儀なブルーローズお姉さまが連絡をしないだなんて、何かあったに違いないわ!」
「そ、そんな……」
トゥルーテは顔を青くして口を抑えた。
第五王女であるブルーローズ王女はステラ王女と母王妃を同じくする姫で、母譲りの美しい金髪に整った愛らしい顔がステラ王女と最も似ている王女だった。父王譲りの青い目は理知的で、兄王子らと共によく学び法や経済にも詳しい。
庶民出でありステラ王女専属のメイドであるトゥルーテはその姿を拝見する機会は少なかったものの、宮殿に遊びに来ては静かに語らう姉妹に何度かお茶を出している。まるでふたりの天使が微笑んでいるような光景は、それだけでトゥルーテの心を幸せにしたほどだった。
ブルーローズ王女が囚われているところを想像すると、どうしてもステラ王女が同じ目に遭っているような不安な気持ちに襲われてしまう。キースの言葉に頷いたものの、トゥルーテの心配はおさまらなかった。
「殿下。第五王女殿下は確かに仕事熱心な方ですが、それゆえに熱中しすぎると便りが減ることもあったはず。それに、王女が囚われたとなると責任問題です。むやみに憶測すればフェトイ伯爵の名を汚すことになりますよ」
「それはいけないわね。まずきちんと捜査をして証拠を掴み、犯人を捕らえないと」
「殿下。推理小説をお読みになりましたね?」
「キース、お手紙を書くから用意してちょうだい! トゥルーテ、荷造りするわよ!」
「は、はいぃっ」
「ギィー!!」
「ツィーヤ・ンイバーヤは……そこでじっとしててちょうだい」
「ギー?!」
やる気のありあまる王女、不安なトゥルーテ、ある意味で不安なキース、そして王女を追ってペタペタと走りまわるツィーヤ・ンイバーヤは、旅立ちに向けて慌ただしく準備を進めることとなった。




