南方フェトイの丘では6
宮殿の正面扉は両側から開けられ、ミシミシと軋んでいた。どう考えても無理なサイズで押し入ろうとしてくる灰色の化け物を、騎士たちが押し戻そうと踏ん張っている。
「王女殿下!」
「アンドレアス。みんなもよく頑張ってくれたわね。ここからはわたくしにやらせてちょうだい」
「王女殿下、どうぞお気を付けください。ツィーヤ・ンイバーヤの力はかなり強いものです」
「わかったわ」
騎士たちは王女に場所を譲った。
鍛えている騎士たちが力を合わせて押してもビクともしなかった巨体である。万が一潰されでもしたら、このか弱い王女は命を落としかねない。騎士たちは最低限の距離を取り、万が一を警戒して王女の両側に控えた。
王女は騎士たちを労うと、おもむろに灰色のフサフサした球体へと近付く。
「ちょっとー! あなた、何をしているの?!」
そしてステラ王女は、片手でノックをするように毛皮を叩いた。
目をぎゅっと瞑り、「ギィ〜」と唸りながら侵入を試みていたツィーヤ・ンイバーヤが、その振動に気が付いて動きを止める。
「ギイ? ギー!!」
「下がってちょうだい! あなた、宮が壊れたらどうするの? ここはね、お母さまがわたくしを身籠ったのを知ったお父さまが内装までご自分で考案されて建てられた宮なのよ! タイルの1枚でも剥がれようものならお父さまの耳に入るようになっているのですからね!」
ぶりぶりに可愛い桃色珊瑚の宮が完成したとき、それを見た者は揃って「無事に王女がお生まれになりますように」と祈ったという。王子であったならば、盛大な反抗期を迎えることになっていたかもしれない。
「ギ……」
ツィーヤ・ンイバーヤは王女にぽこぽこと叩かれ、攻勢を緩めた。扉に体重をかけるのをやめると、軋みが止まる。騎士たちがどれほど押し戻そうと、キースがどれほど言葉をかけようと止まらなかったツィーヤ・ンイバーヤを、王女はあっさりと止めてしまった。
王女は頷いてから説得にかかる。
「ツィーヤ・ンイバーヤ。『闇の冥府へいざなうもの』であるあなたを宮に招待できないことは、わたくしも残念に思うわ。でもあなた、この宮に入るには大きすぎるの。急いであなたが入る建物を造る予定だから、それまでは待っていてちょうだい」
「ギー!!」
「ちょっと! あなた意外と頑固なところがあるわね!!」
もうちょっと頑張れば入る、とでも思っているのか、ツィーヤ・ンイバーヤは狭い入り口に再び体を押し込め始める。しかし、客観的に見てツィーヤ・ンイバーヤはちょっと踏ん張った程度ではとても通れない図体だった。
ぎゅっと目を瞑りながら無茶をするツィーヤ・ンイバーヤを、王女は慌てて押し戻そうとした。
「おーやーめーなさーい!!」
「ギィ……」
王女が押せば、そのごく弱い力でツィーヤ・ンイバーヤは動きを止める。キースは面倒事が終わり次第、鋳物屋を呼ぶことにした。ツィーヤ・ンイバーヤの無茶は止まったものの、ドアが若干歪んでいる。
太い金属製のドア枠を歪ませた張本人であるツィーヤ・ンイバーヤは、王女に怒られて大きなひとつ目を伏せていた。王女がそれを見てうっと怯む。
「……わかったわ。ツィーヤ・ンイバーヤ、あなたも宮に入りたいのね」
「ギィ」
「そこまで思うのならしかたないわね……」
その目が潤んでいるのを見て、王女は深いため息を吐く。キースが察してすかさず止めた。
「殿下、まさか扉を壊してまでツィーヤ・ンイバーヤを中に入れる気ではありませんよね」
「そうしたいところだけれど、それは無理よね」
「無理です。王太子殿下がすっ飛んできますよ」
「わかっているわ、キース」
家具を変えるだの庭に温室を増やすだのであればすぐに職人が手配されるが、王宮の一部である宮殿そのものに手を加えるのは王女とて独断はできない。キースが釘を刺すと、王女は頷いていた。
では何をする気なのか。キースが身構えると、王女が息を吸ってキッパリ言った。
「ツィーヤ・ンイバーヤ。こうなったらあなた、もうちょっと小さくなってちょうだいな!!」
「……は?」
「……ギ?」
キースとツィーヤ・ンイバーヤの声が被った。
ふたつの青い目と、ひとつの巨大な黒い目が訝しげに細められる。
「何言ってんですか殿下」
「ギイ」
「それしかないわ! わたくしの宮には、とっても大きいものは入らないのよ。だからツィーヤ・ンイバーヤ、あなたが縮んでちょうだい!!」
大きいのだから入らない、ならば小さくすればいい。
入らないところに押し入ろうとしたツィーヤ・ンイバーヤの無茶よりも、もっとすごい無茶を王女は押し付けてきたのだった。
「いやどう考えても無理だろそれは」
「キース、だからって宮殿を壊せというの? この問題に対して、わたくしや宮にできることはないわ。わたくしはこの王国に生きるものとして、この地の法則に従っているけれど、ツィーヤ・ンイバーヤは冥府から来たのだから多少の無理はできるでしょう?」
「ギ……ギィ……?」
化け物の目が困惑したものに変わる。そこに王女がさらに捲し立てた。
「人の罪を見透かし、闇の冥府へいざなうことに比べたら、体をちょっと小さくすることなんてとっても簡単なはずよ! そもそも冥府から大陸に登ることができたのだったら、あなたはもう何でもできるはずよツィーヤ・ンイバーヤ!」
「ギー……?」
「あなたが体を小さくすれば、わたくしは喜んでお招きするし、お茶も一緒にできるわ! 入れるかどうかはあなた次第なのよ!」
「ギ、ギ……ギイ!!」
「ここに残るか小さくなって宮殿に入るか、あなたが決めてちょうだい!!」
「ギィー!!」
うろたえていた化け物は、きっと覚悟を決めたように瞬き、大きく鳴くとぎゅっと目を瞑った。
王女はそのまま言葉を続ける。
「でもねツィーヤ・ンイバーヤ。わたくしもここまで言ったけれど、冥府の者でもできないものはできないものよね。無理だというのなら、あなたも諦めてお庭で」
「殿下」
「どうしたのキース」
侍従は王女に前を見るよう促した。
王女の正面、ドアの仕切りを挟んだ外にいるツィーヤ・ンイバーヤが、ぎゅっと目を瞑ったままぶるぶると震えている。
「……ギ……ギイ……ッ!!」
「あ、あら? キース、これって……」
「ギィー……!!」
ぶるぶる震えたツィーヤ・ンイバーヤの巨大な体が、じわじわと縮んでいるように見える。
あっけに取られた王女が眺めていると、灰色の毛皮を纏った巨大な球体は、じわじわと縮んでいく。王女の2倍を超すほどの巨体はぶるぶる震えながら小さくなり、やがて王女のお腹ほどの高さになった。その球体を支えるふたつの手も縮んでいる。
ぱっちりとひとつ目を開けたツィーヤ・ンイバーヤは、ギョロギョロと目玉を動かして周囲を見、そして下を向いて自分の体を確かめると、王女に向かってニィ……と目を細めた。
「ギイ!」
無茶を成し遂げてしまったツィーヤ・ンイバーヤに、全員が絶句する。
王女はなんとか引き攣った顔に笑みを浮かべた。
「……わ、わたくしの宮へようこそ」
「ギイ!」
フラついた王女をキースが支えると、ツィーヤ・ンイバーヤはピョンと両足で飛んで宮殿へと足を踏み入れたのだった。




