南方フェトイの丘では4
王太子と王女は、並んで唾液まみれの者を眺める。
「先程食べられていたがしかし、どういうわけかまだ生きているな」
「た、確かに……先程はおぞましい音が聞こえていたはずなのに、あの者は無傷のようですわねお兄さま」
「あの状態を無傷というかは難しいが。誰か、その者を抱き起こしてやってほしい」
王太子の命令に、騎士ふたりが動く。彼らはヌルヌルした腕を何度か取り落としながらも、罪人の両肩を支えて立ち上がらせた。その体に血はなく、怪我をしているらしきところはない。食べられる前と変わったところは、額にひとつ目の模様が刻まれているのと、唾液まみれなことくらいだった。ふらついてはいるものの、意識はあるようでぼんやりと周囲を見渡している。
唾液まみれの者の前に王太子が立ち、直接言葉を下した。
「そなた、闇の冥府を見たのか?」
「……わたくしは……とんでもない罪を犯しました……」
目の焦点が合わず、王太子の言葉の返答としても怪しい呟きをこぼした男は、しばらくするとガタガタと震え出した。
「も、申し訳ございません許してください何でもします!! どんなことをしてでも罪は償います!! 私は薄汚い罪人です!! もう何も悪いことはしません!! どうか償いを!! 償いをさせてくださいお願いします!!」
「おい、暴れるんじゃない!」
激しい震えと共に、男は許しを懇願する。唾液のぬめりで騎士たちの腕を抜け出した男は、芝生の上に頭を擦り付けるように許しを乞うた。
王太子はそれを眺め、それから末妹へ話す。
「この者はあらゆる凶悪な罪を犯し、罪を罪とも思わず、王や神にすらも唾吐くような者だった。ここへ来る途中にも、私に斬りかかろうとして騎士たちが取り押さえたのだったが」
「まあお兄さま、なんて危ないことを……」
「しかし見よ、ステラローズ。まるで別人かのようにかの者の持つ雰囲気が変わっている」
額に目の烙印を押された男は、咽び泣きながら今までにしたことについて悔やんでいる。その様子はどう見ても、本気で自分のしたことに怯え、そして行き着く先に本気で恐怖していた。
じっと眺める王女に対しても、罪の赦しを乞うて頭を下げている。
「お兄さま、この者はやはり、闇の冥府を見たのかしら?」
「そうだろうな。先程の忌まわしい咀嚼の響きは、ツィーヤ・ンイバーヤがかの者の罪を食べた音だったのかも知れぬ」
「ギィッ」
ツィーヤ・ンイバーヤが相槌を打ったように鳴いたので、王太子は深くため息を吐いてから宣言した。
「かの者はツィーヤ・ンイバーヤの裁きを受けた。額に浮かぶ印がその証である。私はかの者との約束を守り、ここに刑が執行されたことを宣言する」
「で、では王太子殿下、彼を放免するのですか」
「冥府の裁きを受けた者を、我々が再び裁くことはできぬ。……落ち着くまではしばらく、目の届くところで面倒を見てやるように」
騎士たちに指示をしてから、また王太子はため息を吐く。
「ステラローズよ。とんでもないものを拾ったな」
「そうみたいですわね」
「その者の身分は私も保証し、王宮へ入ることを許す。ステラローズ、ツィーヤ・ンイバーヤのことはそなたに任せる。冥府の者に失礼のないようにするのだぞ」
「わかりましたわお兄さま! ありがとうございます!」
目を輝かせて王太子に抱きついたステラ王女は早速、桃色宮殿へと戻ることにした。小さな王女の「いらっしゃいな」という声に、ツィーヤ・ンイバーヤは元気よく返事をしてついていく。
「まったくびっくりさせないでちょうだい。あなたにはお食事の作法も教えないといけないみたいね!」
「ギイ!」
「いいこと? 急に人を食べてはいけないのよ。下手をすると捕まって牢に入れられるわ。その体が入る牢を新しく作らないといけないから、国庫にも影響が出るのよ!」
「ギ、ギイ?」
失礼のないように、と言い含めた矢先から王女がツィーヤ・ンイバーヤに説教をしている。その後ろ姿を眺め、もう一度溜息を漏らした王太子は、疲れた顔で妹の侍従の肩を叩いた。
「キース。くれぐれも我が妹を頼んだぞ」
「頼まれました。王太子殿下」