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南方フェトイの丘では1

「王太子殿下がお出ましになられます」


 王宮、桃色珊瑚の宮殿に近い庭園では、落ち着かない空気が漂っていた。

 報せにきた小姓トルスは王女への礼儀は完璧ではあったものの、去り際にやはり視線を王女の背後へとやってしまった。そしてそこにある闇夜のような巨大な目と視線がかち合い、静かに息を呑む。


「わかったわ。ありがとう」

「ギッ!」

「あら、あなたは返事しなくていいのよ。ああいった言葉には身分の一番高い者、つまりわたくしが返事をするか、取り次ぎのキースがするものなの」

「ギィ」


 王宮の妖精と呼ばれた王女が、だいぶヤバそうな化け物と打ち解けている件。

 小姓トルスは普段は全く苦にもならないはずの、王族のことはどんなことであれ他言してはならないきまりに心乱れた。この荒唐無稽な事実、誰かに言って回りたい。でも言ったところで誰が信じるだろうか。ゴワゴワした巨大な毛皮でひとつ目の化け物が存在するなんて、実物を見るまで自分だって冗談だと思っていた。

 王宮には化け物が跋扈するというのは腹黒い貴族のことを指す比喩のはずでは、と混乱しながらも小姓トルスは静かに下がった。


 王女はトルスの混乱に気付くことなく、化け物ツィーヤ・ンイバーヤを眺めながら首を傾げる。


「それにしても、なんだか毛がまたよれているわね。あれだけ騎士たちが頑張ったのに」

「ギー?」


 数日前、汚れを落とすためにツィーヤ・ンイバーヤと共に川に入った騎士たちは、かなり奮闘した。力強い腕を使って汚れを洗い落としただけでは足りず、剣を使って汚れで固まった毛皮をほぐしたりもした。並の剣程度では皮膚どころか毛すら切れない超頑丈なツィーヤ・ンイバーヤだからこそできる荒技だった。

 王女が神殿に戻り、適当なことを言って霊廟へ巻き書簡の入った石箱を戻し、神殿でお茶をして、それから戻ってきても騎士たちは汚れと格闘していたくらいである。

 どうにか汚れを落としたツィーヤ・ンイバーヤは、均一な灰色の毛皮だということが判明したのだった。


「下の方はまた汚れているし……引きずっているからよ。ここ、切ったらいいんじゃなくて?」

「ギ……ギイイ」

「あら? いやなの?」

「ギー!」


 毛皮を乾かして若干ゴワゴワになったツィーヤ・ンイバーヤは、王女にとても従順だった。立てと言われれば立ち、座れと言われれば座り、ついてこいと言われればついてきた。巨大なせいで一歩が大きく王女が時折叫んだりもしたけれどツィーヤ・ンイバーヤに敵意はなく、離れろの一言で静かに一歩距離をとる。

 ステラ王女以外の言葉には従うときと従わないときがあるものの、今のところ王女に対しては反抗することがなかった。

 そのため、何通かの手紙や騎士のやりとりの結果、ツィーヤ・ンイバーヤは王女と共に王宮にまでやってきたのだった。


「お兄さまは王太子だけれど、それほど礼儀に厳しい方ではないわ。教えた敬礼と、会話の順番を守れば大丈夫よ。ほら、もう一度敬礼の練習をしましょう」

「ギ……ギ……」


 神殿や帰りの道中でそこそこな騒ぎを引き起こしていたものの、それでも民に大混乱が起こらなかったのは、ひとえにステラ王女がツィーヤ・ンイバーヤに対してどこまでいっても普通に対応していたからかもしれない。王女が当然のように化け物を紹介するので、それに気圧されたものたちは混乱しながらも受け入れるしかなかったのである。

 侍従キースは、王女の無駄に高い知名度と人気に感謝した。


 王女はツィーヤ・ンイバーヤに敬礼を教え、ツィーヤ・ンイバーヤはそれに従ってプルプルしながら礼のようなものをしようと前屈みになる。本来の敬礼では首の角度から背筋、手と折った膝の位置まできちんと定められているものの、球体の体と足の位置に生えている両手しかないツィーヤ・ンイバーヤには要求が多すぎる。


「そうよ。もう少し深く礼をしたほうがいいわね。今の角度だと、貴族に対する気軽な礼くらいになっているわ」

「ギィ……?」

「あ、そろそろお兄さまが来るわ。その礼のままでいてちょうだい」

「ギ……ギイィ……!!」


 まず騎士が入ってきて庭園を見回し、そしてぞろぞろと一行が入ってくる。それに対して、その場にいる王女以外の全員が敬礼の姿勢をとった。化け物を警戒してか、普段よりも連れている騎士がかなり多い。

 静かにやってきた一行が決められた位置に並び、その中央に王太子が立つ。


「王女ステラローズよ」

「はい、お兄さま。わたくし、旅より無事帰りましたわ」

「何より。……だが、手紙にあった通り、とんでもないものを連れているようだな」

「はい、お兄さま。ご紹介いたしますわ」


 すでに顔を引き攣らせている王太子に対し、王女はいつも通りにっこりと花のような笑顔を浮かべた。


「こちらが『闇の冥府へいざなうもの』、ツィーヤ・ンイバーヤよ」

「……ギィッ」


 紹介されたツィーヤ・ンイバーヤは、とうとう姿勢を崩してゴロリと転がった。

 意図せず前に進んだ化け物を見た王太子の騎士たちは、すわ一大事かと思わず剣を抜いた。

 侍従キースはまあそうなるだろうなと思ったという。






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