神殿のそばの川のほとりでは11
王女はキースやトゥルーテを見る。二人が頷いたのを見て、気のせいじゃなかったと確信を持った。王女は再び化け物に話しかける。
「つまり、あなたはやっぱり『闇の冥府へいざなうもの』なのね?」
「ギイ!」
「……やっぱり、わたくしが召喚したせいでここにきたのかしら?」
「ギィッ!!」
「キース、今の返事は」
「どう見ても肯定かと」
化け物は軋むような音を発しただけではなく、体全体をブンブンと縦に振っていた。毛皮についていた汚れが周囲に飛ぶ。騎士アンドレアスは鎧についた泥汚れの匂いがひどいのに気が付いて眉に力が入った。
王女は否定しがたい事実を突きつけられ、ひくりと小さな唇をひきつらせた。
「そ、そうなの……。『闇の冥府へいざなうもの』よ、少し手違いがあったようね。わたくしが召喚したかったのは竜なの。お手数をかけて申し訳ないけれど、冥府へと帰ってほしいの」
「ギ……」
元気に返事をしていた化け物の動きが、王女の言葉で急に勢いをなくした。闇色の目に吸い込まれそうなほどの力強い視線は、心なしか弱々しく縋り付くようなものに変わっているように見える。
王女は予想外の反応に動揺しながらも言葉を続けた。
「わ、わたくしの国の民は、善良なものばかり……とまでは言い切れないけれど、ほとんどの民はとても勤勉で優しい者たちよ。闇の冥府へ引き渡す者は、そう多くはないと思うわ」
「ギィ……」
「その、わたくしの父である国王も、のんびりやさんだけれどきちんと国を治めているし……あなたの出番はないと思うのよ」
王女を見ていた巨大な目が、やがて悲しげに伏せられる。ギィと小さく鳴いた化け物はゆっくりと向きを変えると、やってきた森の方へと歩き始めた。
その後ろ姿はまさに、とぼとぼと表現するのにぴったりな様子である。
「……わたくしの胸が罪悪感でとっても痛いのはどうしてなの?!」
「捨てられた犬みたいな目をしてましたからね」
「でもキース、わたくしは間違ってないはずだわ!」
「国をお守りになる王女としては正しい判断ですよ殿下」
「そうでしょう! そのはずでしょう?!」
侍従の肯定を聞いて王女は満足したものの、とぼとぼ歩く後ろ姿にステラ王女の胸はズキズキ痛み続けていた。化け物が背を向ける直前、伏せた目から大きな水が流れ落ちたのは気のせいではないと濡れた岩が物語っている。
王女たるもの、国のため民のため、時には冷徹な判断をも平常心で下す必要がある。課せられたその使命に自覚と責任を持って生きてきた王女だけれど、ここにきて初めて、捨て犬を見捨てる罪悪感を知ってしまったのだった。
化け物は巨大なせいか、森を進んでもなかなか姿が消えない。
王女はそれを見つめ続け、そしてキースとトゥルーテを見た。ふたりは何も言わずに王女を見つめている。
「……わたくし、思うのよ。民の平和のためにも、闇の冥府の番人が国を見守ってくれるのはいいことではないかしら」
「そういうことにしましょうか」
「ステラさま。王宮ならまだしも、あの大きさは宮殿には入らないと思いますよ……お庭に小屋を建てませんと」
王女に仕える忠実な侍従とメイドは、いつも王女の決心を受け止めてくれる。
王女はふたりににっこり笑って、それから息を大きく吸った。
「ツィーヤ・ンイバーヤ! あなたが無辜なる民を傷付けないと誓うなら、わたくしのそばにいても…………」
「ギイイイイイイィーッ!!!」
「いやああああそんなに勢いよく近寄らないでええー!!」
巨体をゴロゴロと転がしながら矢のように素早く戻ってきた化け物に対して、王女はしたばかりの決心を忘れてまた叫んだのだった。