桃色珊瑚の宮殿の中では3
キースはピンク色の封筒を持って出かけ、そして白色の封筒を持って戻ってきた。メイドの髪を三つ編みにして遊んでいた王女にそれを渡す。
「お会いになるようです」
「よかったわ! ええと……すぐに会えるみたい。トゥルーテ! お出掛けしてくるわ!」
「で、殿……ステラさま! せめてお召替えを!」
「ちょっと行って帰ってくるだけなのに?」
文字通り自分の城である桃色珊瑚の宮殿では、王女は着心地の良いドレスばかりを着回している。そのため、第七王女のワードローブは常に未着用のドレスで溢れていた。献上されるドレスは多かれど、王女が気に入るものはごくわずか。けれど、この上ない広告塔である王女がもし気に入って着ればたちまち社交界の流行となる。名だたる工房は季節が巡るたびに競って王女に似合うドレスを縫い上げるのだった。
「髪はこのままでいいわ。その方がお父さまにはウケがいいもの」
「う、ウケ……ですか?」
「殿下、どこで覚えたんですかそんな言葉」
「本に載ってたの。年嵩の紳士には可憐そうな格好のほうがウケがよくおすすめなのですって。でもウケって何かしら?」
「デレデレするって意味です」
「そうなの。キースは物知りね!」
世間のことについて主に本を経由して知る第七王女は、それゆえに知識が偏る。侍従から説明された言葉に満足そうに頷き、王女は心の中で新しい言葉の意味を何度か繰り返した。
「では行ってくるわ、トゥルーテ。ヒマだったら私の刺繍を進めていてもよくってよ」
「殿下、サボろうとしないでください。ガルトルード、留守を任せた」
「はい、いってらっしゃいませ」
宮殿の外へ出るときは、警護のために必ず侍従が付き従う。もう10年にもなる付き合いの侍従は、もはや職業の枠を超えて多彩な仕事を兼務していた。末姫ということもあって小さな宮殿に人員が少ないというのが表向きの理由だが、キースは昔から刺繍や絵画の手伝いまでさせられていた延長で今も兼務をしているような気がしていた。幼い頃の王女は今よりもずっとサボることに熱心だった。
王宮の内側では、剣を向けるような不届き者はまずいない。キースが抜剣することもほぼ皆無であった。
しかし、だからといって姫に害を加えようと企む者がいないというわけではない。王家の血に輝くばかりの愛らしさ、そして兄妹の中では唯一政治や学問に携わっていない第七王女は、あらゆる夏の夜の焚火のように余計なものを惹きつける。
「殿下! 第七王女殿下!」
「ステラ様! どうかお時間を!」
政治的な権限を付与されていないとはいえ、第七王女は王妃の忘れ形見として王にことさら愛されている。取り入って甘い汁を吸わんとする人間を、キースは王女の背後に控えながら睨んだ。貴族の狸が睨みに怯む。
「あら皆さま、ごきげんよう。わたくし、これからお父さまに会いにいきますのよ」
「陛下と……」
「遅れてしまいますから、ごめんあそばせね」
にっこり笑顔と王の存在で、めんどくさい者どもは渋々道を開けた。小さな足がゆっくりと不届き者から遠ざかると、キースは近寄って囁く。
「殿下、さっきの西ラクレー男爵はこのところ何度も接触を試みています。お気をつけください」
「そういえば、最近よく顔を見るわね」
王女が認識していたとわかって、キースはそれ以上の忠告をやめた。
吹けば飛びそうな可憐な容姿をしており、抜けたところがある王女だが、欲深い貴族が棲みつく王宮で暮らしているだけあって見た目ほどは甘くはない。
あの程度ならご自分で対処できるだろう。しつこいなら、自分が少々動けばいい。キースはそう思って馬面の男爵のことは一旦忘れることにした。
「第七王女殿下」
「こんにちは、スチュアート。お母さまのご様子はいかが?」
「お、お陰様でよくなりました。お気にかけていただけて、身に余る光栄でございます……」
「よかったわ。またクッキーをお届けにいらしたら分けてちょうだいね」
「ぜ、ぜひとも」
家庭的なクッキーに飢えている王女が王の間を守る騎士に気安く話しかけるのを制し、キースは入室を促す。王女は髪を整え、姿勢を正して扉が開かれるのを待った。その佇まいは、まさに国の頂点に立つにふさわしい。
「よく来た。近くに寄りなさい」
「失礼いたします、お父さま…………じゃないわ!」
しずしずと入室した王女は、顔を上げてぎょっとした。
そこにいたのは、会いに来たはずの自分に甘い王ではなかった。
「お、お、お兄さま!」
玉座の前に立ち威厳を振り撒いていたのは、第一王子。
王女の長兄であり、即位も間近と期待される王太子殿下だった。