神殿のそばの川のほとりでは3
「待って、待ってちょうだいキース。話を聞いて。そんなに怒らないで」
ステラ王女は怒涛の説教攻撃を食らって涙目になりながらも、必死で反論した。
「ちょっと借りてきただけなの。代わりにブローチも置いてきたわ」
「あんな大きさの宝石一個で済む問題じゃないでしょうが! 子供の頃みたいにケツぶっ叩かないとわからないんですかあんた」
「おしりは叩かないで! わたくし昨日の乗馬のせいでまだ歩くのも大変なのよ。それに、終わったらちゃんと返すつもりだから心配しないで」
「返せばいいってもんじゃないでしょう。父王陛下が聞いたらぶっ倒れますよ」
キースが片手をすっと上げると、王女は慌ててお尻を手で隠しながらトゥルーテの後ろへと隠れた。普段なら王女と共にキースへ許しを乞うはずのトゥルーテは、細長い石箱を両手で持ったまま固まっていた。
霊廟に納められているものは、すべて歴代の王族の亡骸のために供えられたもの。そして霊廟へ還った王族は、神である祖王のもとへ還るとされている。そこからものを持ち出すのは、神の持ち物を盗むに等しい。庶民の自分が手に持っていることが神殿にバレたらその場で首を切られても文句は言えないだろう。周囲にいる顔見知りの騎士たちも一様に顔を青くしていた。
「本当にすぐに返すつもりなの! この巻紙も今まで何度も読んだし、ほとんど内容は暗記しているわ!」
「あんた霊廟で何やってんだバカ!」
「ば、バカじゃないわ! バカって言った方がバカだって教えてくれたのはキースでしょう! キースの方がおバカ!」
「どう考えてもあんたの方がバカだバカ」
「バカじゃないわよおお」
霊廟への参拝は、数日かけて行われる。王族がそれぞれひとりずつ参拝する時間があるのは、間違っても中に供えられている書簡を盗み見るためではないはずだ。
自分の見えないところで王女がとんでもないことをしでかしていたと知ったキースは、さすがに眩暈がした。
霊廟での狼藉は、さすがに王女であっても罰せられる可能性がある。
「大丈夫よキース。ここにいる全員が何も言わなければ罰せられることはないわ。みんな、わたくしの秘密を守ってちょうだいね」
「ちょうだいねじゃねーんだよこのスカポンタン」
「す、すかぽんたんって何よ! ちょっと、どういう意味なのか教えてちょうだい!」
ムキーと怒っている王女を尻目に、キースは溜息を吐いて周囲を見渡した。カトレアから借りた騎士たちはすでに戻っているし、ここにいるのは王宮の中でも王女に仕えて長い騎士たちばかりである。当然身辺調査は済んでいるし、王女に対する忠誠心も高い者たちばかりだ。今回のことでその忠誠心は多少減ったかもしれないが、下手に動くものはいないと思われる。
キースが順番に視線を移していくと、顔色をなくした騎士たちはそれでもしっかりと目を合わせて頷いてくれた。
もちろん他言しません。命が惜しいです。
スカポンタンのせいで苦労をかける。
全員の意思を確認してから、キースは早々に事態の収拾を図ろうとした。
「殿下、そんな呪われそうなもん早く返しますよ。そもそもなんで持ち出したんですか」
「それはねキース。これには伝説の竜を召喚する方法が書かれているからよ」
「寝言は寝てからいうものです殿下」
「寝言じゃないわ! ちゃんと起きているでしょう!」
王が溺愛する王女だからといって、外界と遮断しすぎたかもしれない。
キースは無事王宮へ帰れたら王女の扱いをもう少し厳しくすべきだと王太子に奏上することにした。
夢見がちすぎる。
「殿下……。国の滅亡の危機を救ったと言われるサンアリア王女が実在したのは事実ですが、サンアリア王女に仕えたという竜の話は後付けのおとぎ話です。竜というのは雨の比喩であり、飢饉や敵の侵入にサンアリア王女が立ち上がったときに雨が降った話から」
「それこそおとぎ話よキース! 今でこそ竜なんているわけないと思われているけれど、昔は本当にいたのよ! そして祖王さまやサンアリア王女さまは受け継がれた神秘の力で竜を従えることができたのよ!」
んなわけねーだろ、という言葉は、さすがに飲み込んだキースであった。確かにこの国の神話には、王女が語った通りのことが綴られている。しかしその証拠はどこにもない。どこの国も威信を深めるために、遠い過去のことは大袈裟に書くものである。
王女も一応は学問を嗜んでいるというのに、なぜそこまで信じきれるというのか。
キースの疑問を察したように、王女は胸を張って言った。
「本当よ。霊廟で永のお眠りに就いてらっしゃるサンアリア王女さまの胸元には、とっても大きな竜のウロコが置いてあるの。大きくて重くてすごく硬くて、そしてとっても綺麗な色をしてほんのり光っているの。あれは本物の竜がいた紛れもない証拠よ」
言い切った王女に、騎士たちがざわめく。王女の言った話が本当なら、伝説の生き物が存在していたことになる。国を揺るがす一大事になるし、下手をすれば他国までその真相を確かめようと躍起になってしまう。
墓場に入っても他言してはいけないような真実に、騎士たちは内心頭を抱える。
そしてキースは別のことで頭をかきむしりたくなった。
正統に血が繋がっているとはいえ、何百年も前のご先祖の棺を覗き込んだ上に、そこにある得体の知れないものを触っていた王女。
ケツ百叩きの刑だけではすまない気がする。