神殿のそばの川のほとりでは2
「だ、第七王女殿下……?」
「お邪魔したわね。ごきげんよう」
「王女殿下、あの、お茶の用意ができておりますが」
「あら、お気遣いさせちゃってごめんなさい。わたくしのことは気にせずみなさまでどうぞ」
すたすたと神殿を出たステラ王女を追ってきた司祭たちは、にっこりお別れを告げられてポカンとしたまま立ち竦んでいた。
「殿下、司祭の言う通り、戻って休憩されてはいかがです?」
「あらあらキースったら疲れちゃったの? わたくしのことは置いてお茶をしに戻ってもよくてよ」
にこにこしながら答えた王女を、キースはじっと睨む。
菓子に目がない王女が神殿の誘いをスルーするのは絶対におかしい。
「……殿下、何を企んでるんです」
「企むだなんて、わたくしはそんな」
「いいから早く言ってください」
「わたくしはちょっと川を見に行きたいだけよ」
「川?」
確かに、神殿から歩いていける距離に川がある。しかし、神殿と川の間には森が存在している上に、川辺には大きな岩がゴロゴロ転がっている。王女の足ではなかなか過酷な道になるはずだ。道路を通って下流の方までいけば河原まで馬車で行けるものの、そこまでの距離もやはり王女が歩くにしては遠すぎる。
王族の参拝行事に川での休憩が挟まれることも多いので、地理はわかっているはずだ。しかし王女は小さな足で森へと入るつもりらしい。
「殿下。やっぱり何か企んでますね」
「ひどいわキース。わたくしはあなたのことを一度だって疑ったことはないのに、あなたはわたくしのことを疑うのねっ」
「はい」
「即答するところじゃないわよキース!」
むきっと怒ったものの、王女は歩みを止めることがない。背を伸ばし、両手を前で揃えて、まるで宮殿を歩いているかのように森へと進んでいた。その姿勢すらもおかしい。
「ス、ステラさまー!! キースさまー!! 置いていかないでくださいー!!」
「あら、トゥルーテ。騎士を連れてどうしたの?」
キースの知らせを受けて慌てて神殿正面に戻ったトゥルーテは、そのまま王女を追いかけて森へと戻ってきた。王女が見張りの隙をついて逃走したのだと勘違いしたトゥルーテは全力疾走して近付いたものの、大人しく立ち止まって自分を待っている王女に気が付いて混乱する。
「あの……ステラさま……」
「落ち着いてトゥルーテ。あなた今にも倒れそうよ。誰か、トゥルーテにお茶をあげてちょうだいな」
同じく有事を想定していた騎士たちが、困惑しながらもトゥルーテに水を分けている。トゥルーテは水を飲み干して汗を拭いながら、それでもなお逃げようとしない王女を不思議に思った。
「ステラさま……私を置いて行こうとなさったのでは?」
「まあ、トゥルーテったらとっても寂しがり屋さんなのね! ちょっと川に行くだけよ。追いつくだろうと思ってたし、追いつかなくてもすぐに戻ってきたのだから心配しないでちょうだい」
「戻っ……てくるおつもりだったのですか?」
「そうよ。どうして?」
首を傾げた王女に「脱走するつもりだと思ってました」とは言えず、トゥルーテは言葉を濁す。どうやら杞憂だったと理解した騎士たちは、キースの指示によって直属の騎士数名だけが残りあとは解散する。
「で、でもステラさま、どうして川へ? 歩いていくおつもりですか?」
「そうよ。わたくしも旅人だもの。どんな悪路だって歩くつもりよ」
「悪路ってほどではないですよ殿下。ただ、その靴で森を歩けば確実に足を怪我します」
「まあ、そうなの? これは乗馬もできるブーツなのよ?」
「乗馬用と森用は違います殿下」
「勉強になるわ!」
ほのかなピンク色のドレスと同じ色で作られたブーツは、そもそも乗馬用としてもさほど頑丈ではない。ヒールに厚みがあるので森を歩こうものなら転倒の危険が高まるし、そもそも汚れが付きまくる仕様だった。
汚れないうちにと馬車に戻るようキースが提案するも、王女は大丈夫よと歩みを止めなかった。
これは確実に怪しい。
キースは王女の行く手を塞ぐように立ちはだかり、紫の目をじっと見つめた。
「ステラ殿下。目的をお話しください」
「キース」
落ち葉の積もる地面に片膝を突き、キースは主を見上げた。
「私が生涯の忠誠を誓っていることはご存じですよね。その私にも話せないことなのですか」
「そんなことはないわ。ただ……」
「ただ?」
口をつぐんだ王女に、キースは「殿下」と優しく呼びかけた。
王女が覚悟を決めたように、大きく深呼吸をする。
すると、ドサリと何かが落ちる音がした。
「……?」
周囲を見ても、何かが落ちた様子はない。
キースが王女を見ると、王女は何も言わないまま、一歩左へと移動した。スカートが揺れ、王女の動きについていく。そして王女が立っていた場所には何かが落ちていた。
灰色の細長い石箱である。大きさからして、巻書簡が一巻入るサイズのものだった。表面にはごく細かい彫刻が刻まれ、そこにインクを流す形で文字が浮かび上がっている。古語だった。
石箱の古びた色合いと、古語で書かれた文字を見て、キースは察した。
「……………………殿下」
「はい」
「霊廟から盗んできたんですか、これ」
「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。ちょっと借りてきたのよ」
代々の王が祀られている神聖な霊廟で。数百年前のものと思われる何かを。しかもスカートの中に隠して。
キースは懐から取り出したハンカチを使って石箱を持ち上げ、立ち上がる。真っ白な顔をしているトゥルーテに渡してから、今度は主を見下ろした。
「殿下」
「な、なにかしら?」
すっとぼけてはいるものの、王女はちょっと身構えている。
王女が黙っていた理由が今のキースにははっきりとわかった。
「何やらかしてんだあんたは——!!!」
「ひゃあっ」
話せばキースに怒られるからだ。
そう予想しているなら、そのご期待に応えるしかないだろう。
キースは遠慮なく王女を叱り付けることにした。