記念すべき最初の旅路では9
「まあ、男爵ったらとっても見る目がないのね!」
先程料理を褒めていたのと同じノリで、ステラ王女は事実を述べた。
特に異議もないので表情を変えないキース、王女のどストレートな物言いに顔が引きつっているトゥルーテ、頷くわけにもいかず反応に困るスイティウス邸使用人たち。
「な……、な、い、いくら王女と言えど!」
「あら、怒らせちゃったかしら? ごめんなさい。でも本当のことですもの。ねえキース?」
「そうですね、殿下」
侍従が音もなく立ち手を伸ばすと、王女がそこへ手を重ねた。完璧なタイミングで椅子が引かれ、王女が立ち上がる。身長の低い王女がすっと視線を男爵に移した。
紫の目が、じっとマイジールを見透かしている。それこそ一級品の宝石のように澄んだ目は、マイジールの心の奥底までも見透かしているのではないかというくらいに真っ直ぐ見つめていた。
ここに至って初めて、マイジールは言い逃れができないと悟る。
「わたくし、男爵はとってもいけないお方だと思うわ。そうでしょう、キース?」
「そうですね、殿下」
「男爵、あなたもわかっているのでしょう?」
今すぐにでも剣を引き抜きそうな侍従の目より、王女の紫の目の方がマイジールには恐ろしかった。腰の力が抜け、どたりと座り込んだマイジールは、何かを言おうとするも唇が震えて上手く言葉にならない。
王の末娘は甘やかされて贅沢しか知らない。誰がそんなことを言ったのだろう。王の若い頃の覇気にこれほど似た視線に、なぜ今まで気が付かなかったのか。
自分の背後から、死神が首を狙っているように感じる。
マイジールはぶるぶる震えるばかりで言葉を絞り出す事ができなかった。
「あら? わかってないのかしら?」
「…………」
「まぁ……困ったわね。キース、あなた男爵に教えて差しあげてちょうだい」
「はい、殿下」
キースは王女の手を軽く拝してから放し、そして代わりに剣を抜いた。使用人たちがざわめく。ヒッと息を呑んだマイジールに、キースは罪状を告げる。
「西ラクレー男爵マイジール・スイティウス。貴様は宝石の産地を偽り法典に泥を塗り、それによって王女殿下を侮辱した。万死に値する」
「ひぃっ……ま、待ってくれ! 待ってくれ!!」
「殿下の御前で消える光栄に感謝し、冥界で詫びろ」
研ぎ澄まされた剣が、灯りできらめいた。
キースがマイジールの心臓に視線を定め剣を振り下ろそうとしたとき、その背後から攻撃を受ける。
「キースッ! あなた何してるのっ! もう、全っ然違うわよっ!」
ぽかぽかと侍従の背中を殴る王女の拳は、祖母の肩を叩く4歳の孫と同程度の力であった。本人はもちろん全力のつもりである。
剣を振り下ろすのに特に支障はないほどの衝撃ではあったものの、キースは黙って剣を下ろして振り向いた。鋭い殺気はなかったことのように消えている。
「申し訳ありません殿下、このような下郎の血を殿下にお見せすることはありませんでしたね」
「何を言っているのよっ!」
「……もしや殿下、むしろご自分で手を下したかったと?」
「そんなこと誰も言ってないわ! もう、とにかく剣を納めてちょうだい!」
王女は怒り心頭だった。リスのように頬を膨らませているので、はたから見たらそうでもなかったが、王女はしっかり怒っていた。
「キースあなた、わたくしの侍従だというのに、わたくしの心を読めないでどうするの?」
「無茶を言われても困ります殿下」
「わたくしは、男爵のいけないところを教えて差し上げて、と言ったのよ。聞いていなかったのかしら?」
「殿下、もちろん聞いておりました。だからこそこうやってその身に教えてやろうかと」
「どうしてそうなるのよっ! ほらごらんなさい、あなたが変なことをするからみんなびっくりしているじゃないの!」
びっくりってレベルじゃなかったものの、使用人たちはぷんすかしている王女を見てひとまず胸を撫で下ろした。今のところ、惨劇は避けられたらしい。
一瞬、王女の怒りを察した侍従が主人を切り捨てるのだと本気で思った家令ヨナスは、よろめいて棚に手をつくほどに気が抜ける。マイジール本人はまだ状況を飲み込めておらず、青い顔でヒッヒッと息を浅くしていた。
「殿下、もしやこいつが産地偽装をしたことではなく、前々から王宮内で付き纏っていたことを罪に問おうとしていたのですか?」
「違うわ! もう、あなたって意外とうっかりさんなのね!」
「心外です殿下」
心の底から言ったキースの言葉はスルーされた。王女は侍従を睨み、両手を上に向けて差し出す。
「とにかく、剣を貸してちょうだい。今のあなたが持っていたらとっても物騒だわ! わたくしが預かります!」
「殿下には持てない重さですが」
「……トゥルーテ!」
「は、はいっ!」
トゥルーテが慌てて近寄り、王女に近付いた。意を汲み取ってキースから剣を受け取る。両手で抱きしめる形で持ったものの、いざとなればキースが剣を抜ける位置で控えておく。もちろん間合いなどに疎い王女はそれに気付かず、没収できたことに満足してにっこり笑った。
「もう、しかたないわね。男爵、あなたのいけないところは、わたくしが直々に教えて差し上げるわ!」
王女は左手を腰に当て、右手の人差し指でビシッと男爵を指した。
「殿下」
すかさずキースが窘める。
王女は「ちょっとやってみたかっただけよ」と言いながら、人を指すのをやめた。
そして息を吸う。
「男爵、あなたの悪いところはね」