記念すべき最初の旅路では7
「王女様、お味はいかがですかな?」
「とっても美味しいわ」
「そうでしょう、我が領地は野菜も肉も最上級でありまして。名声が伴っていないところが残念なのですが。そうそう我が領地といえば……」
晩餐会は、過剰なほどの蝋燭の灯りの中で行われた。細長いテーブルの端、上座は王女に譲られ、屋敷の主人は王女から見て正面に座っている。王女の立っての希望もあり、彼女の右側には侍従、左側にはメイドが同じ食卓に就いていた。
緊張で硬い顔をしている使用人の多い中、家令ヨナスは常に食堂全体に目を光らせていた。部屋の気温を調節し、飲み物の減り具合に気を付け、震えるメイドの代わりに自ら配膳をする。
第七王女への配膳のタイミングでありがたかったのは、傍に座る侍従キースが常にヨナスを助けてくれたことだった。ごくさりげない動きで目配せをくれるので、ヨナスは迷うことなく賓客の皿を取り替えることに成功した。飲み物の指定はあらかじめ伝えられていて、手間はかかるものの入手困難なわけではない果汁のジュース数種類が過不足なく用意できた。
スイティウス家の使用人に対する気配りをしつつ、侍従キースは主の様子はもちろん、その会話にも気を配っている。それでいてテーブルマナーも美しい。
できる。
同じ使用人の立場として、ヨナスは尊敬の念を抱いた。侍従としては、間違いなく王宮内でも屈指の実力を持つはずだ。孫も見た年代の自分がまだ若いキースを見て、かつて仕事を叩き込んでくれた先代家令の姿を思い出すとは。
ヨナスは緊張感を持ちながらも、最上級のもてなしを楽しんで調えた。
男爵家とはいえ、使用人の仕事には自信がある。落ち着いて周囲に気を配れば、王女殿下がご不快に思うようなことも起こらないはずだ。
そう自分に言い聞かせたヨナスは、主人の声に心臓を縮ませた。
「聞いておられますか王女様!」
マイジール様の声が大きくなっている。
緊張のせいか飲みすぎているようだ。ヨナスは慌てて合図し、メイドにワインボトルを交換させた。水で倍に薄めたワインが効き目を発揮してくれるよう祈るしかない。
だがしかし、家令ヨナスの願いは今無惨にも敗れそうになっていた。
「私はねえ、我が領地で採れる宝石の評価に納得がいってないんですよ! 古臭く大きいだけの高山ばかりが評価され、最近実力を発揮しているものが軽んじられているように感じてならないのです!」
「まあ、そう思うんですの?」
「そうです! うちの宝石は一級品だ! 王家御用達になって当然の品物です! 見る目がある王女様なら、ひと目見ただけでその価値がわかるでしょう! いや、わからないはずがない!!」
殿下に唾飛ばしやがって殺すぞこのタコ。
家令ヨナスは確かに、王女殿下の侍従から発せられる視線にそう記されているのが見えた。自分でも驚くほどのスピードで男爵に近寄り、皿を取り替えるふりをして男爵の視界を塞ぎ、ハンカチを渡しながら「少しお酒が進んでいるようです」と進言する。ついでにまだワインの残るグラスを回収し、白ワインに見えるただのぶどうジュースを勧めた。
下手をすれば首が飛ぶ。男爵だけでなく一家、いや我々使用人までもが揃って冥界の屋敷へ越すことになる。
しかしヨナスの危惧をよそに、マイジールは自分の言葉に勇気付けられたかのように頷いてはさらに声を上げた。
「おい! あれを持ってこい! 今すぐにだ!」
もはや王族との晩餐会でなくても許されない大声に、ヨナスは目眩を感じながらそっと上座を見た。
王女は上品にカトラリーを使い、小さく切った鴨肉の煮込みを口に入れた。少し微笑んだ表情のままでそれを食べ、渋みのあるベリージュースをひとくち飲み、そして料理長の方に向かって「とっても美味しいわ。ザイーダ王国風のソースがわたくし好みよ」とにっこり微笑んでいる。ヨナスと同じ年齢の料理長は、王女に褒められて涙を滲ませていた。
上機嫌だ。いや、本当に上機嫌だろうか。
上流階級のお方々は見事に感情を隠す。朗らかに微笑む王女は噂通りに夢見る妖精のような愛らしさだが、王族としての礼儀を知らないわけではないはずだ。事を荒立てずにこの場を終わらせ、城に戻ったのちに無礼を咎めることになるかもしれない。
しかし、王女殿下はいかにも幸福そうに晩餐を味わっていらっしゃる。バラの形をした人参を褒めているのは本心なのか、それとも我々の命運は既に尽きてしまっているのだろうか。
「おい、遅いぞ! 王女様、王女様!! こちらが我が領地で採れた宝石でございます!! どうかそのお胸にお飾りください!!」
ヨナスが消え入りそうな意識をなんとか保ち晩餐を美しく終わらせようとしている中、マイジールは席を立ちながらさらに騒いだ。おずおずとやってきた職人から奪ったものを握り、上座へとずんずん進んでいく。
ヨナスが侍従キースの目にまごうことなき殺気を感じたその瞬間、王女がおっとりと侍従の名を呼んだ。
「キース」
「……殿下」
素手で男爵を縊り殺しそうなキースの目が、侍従のものに変わる。
「先程のザイーダ王国風のソース、とっても美味しかったわね! うちの宮殿でも出してもらえないかしら?」
「レシピを頼んでおきましょう」
キースが見ると、料理長は心得たように頭を下げる。王族の会話に割り込むわけにもいかず突っ立っていたマイジールは、やや正気を取り戻したように咳払いをしてから、両手で捧げるように持っているものを王女へと差し出した。
「まあ、すてきなブローチね!」
「どうぞ、王女様に捧げます。我が領地の宝石について、王女様の力添えをいただければ幸いなのですが」
メイドが差し出したハンカチを取り、王女がブローチを持ち上げる。
ブローチの中心にある透明度の高いダイヤモンドは、離れた場所に立つヨナスにもその輝きが見てとれるほど大きかった。周囲にあしらわれたカラフルな宝石が、蝋燭の光で輝く。
周囲が固唾を飲んで見守る中、十分な時間を使ってそのブローチをうっとり眺めた王女は、やがて視線を外してマイジールを見た。
愛らしい微笑みを浮かべて口を開く。
「男爵、嘘はいただけないわね」
家令ヨナスはそのとき、死を覚悟したとのちに家族に語ったという。