記念すべき最初の旅路では5
「これはこれは第七王女様!! このような場所でお会いするのは奇遇ですなあ!!」
先導の騎士が馬を止め、馬車のドアを開けるなり転がり出てきた馬面の中年男性は、典型的甘い汁を吸いたい系小物貴族、西ラクレー領男爵マイジール・スイティウスだった。
「まあ、男爵。本当に奇遇なことね! ご機嫌いかが?」
「ええ、ええ、素晴らしく素晴らしいですとも!! 王女も相変わらず麗しい!!」
おそらく乗り物酔いで青くなった顔の汗を拭きつつ、興奮を隠しきれない鼻息を漏らしているマイジールとは正反対に、ステラ王女は疲労を全く見せない美しい立ち姿で男爵に微笑んでいた。顎を引いて背筋を伸ばし、手を緩く重ねた姿は、そのまま彫像にできるほど完成されている。先程まで足をプルプル震わせていた王女と同一人物とは思えない変わりようだった。
「王女様、私めは本日思い立って我が領へ戻ろうと思っていたのですが、まさか殿下は神殿の方へ向かうおつもりですかな?! 同じ方向へ向かうことになるとはなんたる幸運な偶然でしょうか!! もしよろしければ、私めの馬車にお乗りになってはいかがでしょう?!」
キースは汗をかいている馬面を感情を消した顔で眺めながら、内心溜め息を吐いた。
偶然を装い馬車へと誘おうという意図は読めるが、いかんせんマイジールの鼻息と血走った目が隠しきれていない。王女の出立を知り、慌てて追いかけてきたのだろう。その証拠に、男爵がひとりで領地に帰るには豪華すぎる馬車は3台用意されており、不必要なほどの騎士が付き添っている。騎士の服装も正装をきっちり着込んでいることも王女目当てだったということが丸わかりだった。
西ラクレー男爵は、ステラ王女が王宮内を歩くたびに纏わりついて甘い汁を吸おうと必死な貴族のひとりだ。国に害なす陰謀を企むほどの知恵も爵位もないけれど、あわよくば金を得たい、あわよくば上位貴族の仲間入りをしたいという欲望は小太りな体以上に溜め込んでいる。小さな憂慮の芽さえ摘み取りたいキースが、ギリギリ排除対象にしないレベルの相手だった。
この状況は想定してはいたものの、可能ならもう少し誠実な貴族に追いかけられたかったものである。
「まあ、男爵、あなたってとってもお優しいのですね。でも、わたくしとキースとトゥルーテが馬車に乗ってしまったら、お邪魔にならないかしら?」
「とんっでもありません!! さあ、我が家自慢の馬車にどうぞお乗りくださいませ!!」
「とっても嬉しいわ、男爵! あなたの親切に感謝いたしますわね!」
キースとしては男爵の提案は断って、この周辺の領主であるヤシャシス公爵あたりに拾ってもらいたかったものの。
王女は春の太陽のような笑顔を浮かべて男爵を喜ばせてしまった。
「ではわたくしたち3人は、こちらの百合の馬車をお借りいたしますわ!」
「は、いえ、もしよろしければ、侍従の方々は別の馬車にお乗せになってはどうでしょうか」
「まあ男爵、わたくしたち、乗せていただくのですからそんなに馬車を占拠できませんわ。でもご心配なく! わたくし、こう見えて3人で乗るのには慣れていますの。詰めて座るのも楽しいものですわよ」
「いえ、その、それでは私めが……」
「男爵、ほんとうに助かりますわ! あなたがた、わたくしたちの馬をお願いしてよろしいかしら? キース、トゥルーテ、早く乗りましょう!」
「はい、殿下」
馬車の中で二人きりになろうと企んでいたマイジールの意図は空振りし、王女はちゃっかり一番大きい馬車を選んで乗り込んだ。向かい合うシートのうち、前側にキースが座り、後ろ側の奥に王女が座る。その王女の隣に座れと言われたトゥルーテは、王女の高級なドレスを踏まないように限りなく体を縮めていた。
足が限界に来ていた王女は、馬車のドアが閉まり部外者がいなくなると背もたれに上体を預けてくつろぎ始める。
「……いいんですか、殿下」
「ええ、とっても座り心地がいいわ。この馬車、王家御用達の職人が作っているのね。マットおじいちゃまの工房かしら?」
「馬車のことじゃないです殿下」
王女はトゥルーテにお茶が欲しいとおねだりすると、キースの言葉に首を傾げる。キースは外には聞こえない音量で説明をした。
「男爵はしれっと西ラクレーの屋敷に連れていくつもりでしょう。神殿に着くのが明日になる上、男爵が金勘定たっぷりの要求をしてきますよ。断れるんですか」
「あら、寝るところも用意してくれるなら嬉しいわ。スイティウス男爵のお屋敷からなら神殿も近いし大丈夫よ」
「詐欺まがいの投資やら三流品の押し売りやらがあるかもしれませんよ」
「まあ! それは楽しみね!」
キースは忠告をしているのに、王女はむしろ目を輝かせてしまった。
「旅に罠は付きもの。わたくしにも試練が訪れるのね! そしてわたくしという旅人は、それを華麗に避けてしまうのだわ!」
「す、ステラさま……お茶がこぼれますから……!」
演技がかって手を上げた王女に、トゥルーテが慌ててカップを引っ込めた。
ドのつく楽天家である。
いっそ道の途中で飛び出して神殿に王女を持っていくか、と一瞬考えたキースの手を、王女の手がぽんぽんと宥める。
「安心して、キース。きっととっても楽しいことになるわ!」
どこにも安心できる要素がない。
キースとトゥルーテは同時に心の中で呟いた。