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記念すべき最初の旅路では3

 薄布が巻かれた丸いパン。切れ目には野菜とハムが挟まっている。小さなバラの花びらのようなピンクの小さな爪をそろえて、王女はそれを両手で持っていた。

 じっと眺めていたステラ王女は、やがて覚悟を決めて口を開ける。小さなひと口は具材にまで届いてはいなかったけれど、王女の頬は興奮で赤く染まった。

 キースの方を向いてなにか言いたげだが、王女はなかなか口を開かない。もぐもぐしていたからである。


「とっても美味しいわ!!」

「料理長も喜ぶことでしょう」

「マシュラオおじさまの腕が一流なのもあるけれど、この! この状況がとってもすてきよ!! なんて楽しい朝食なのかしら!」


 1万本のバラを眺めているかのようにうっとりしている王女だが、眺めているのは何の変哲もない街道だ。両側には畑とぽつぽつ見える民家。王女の背は馬が歩くために揺れ、パンはすでに冷えている。けれども王女にとって初めての「ながら食べ」は、王族が勢揃いする晩餐よりも貴重でワクワクするものだった。


「わたくし、いま、パンにそのままかじりついているわ!」

「そうですね殿下」

「噛み切るってなかなか難しいわね! でも、冒険物語ではみんな食べ物には豪快にかじりついて頬張るのよ! キース、わたくしちゃんと頬張ることができているかしら?!」

「どうでしょうね殿下」


 小さい口でもひと口で食べられるように切り分けて食べることが当然だった王女は、パンをそのまま口に近付けることさえ楽しかった。ちなみに本人は精一杯口を開けたつもりだったものの、実際に口に入ったパンはほんのちょっとだっため、頬張るとはとてもいい難い食べ方だった。王女は一生懸命食べすすめ、レタスに辿り着いてまた感動している。宮廷料理に、パンを雑に切って具を挟んだだけの代物は登場しなかったのである。


 ステラ王女は、今までの人生の中でも上位に入るようなマナー違反に大変上機嫌だった。馬に揺られながらパンにかじりつくなんて、もはや自分は海賊としても生きていけるかもしれないと思ったくらいである。もし自分が男であれば、シャツの胸元をはだけさせて腕を捲り、剣を脇に置いて葡萄酒の空瓶を転がしていたことだろう。

 かつてない冒険にうっとりしながら隣を見て、王女はしばし思考が止まった。


「……キース?」

「殿下、どうしましたか」

「あなた、パンをどこへ落としてしまったの? わたくしのものを分けてあげましょうか?」


 王女の馬とキースの馬が並び、後ろにトゥルーテの馬が続く。そのフォーメーションのままで街道を進み続けていた一行は、その並びのまま朝食を食べ始めた。

 同じハムと野菜のサンドイッチを、それぞれひとつずつ持っていたはずだ。けれど王女が目をやった先には、手ぶらの侍従がいた。

 首を傾げる王女の提案をキースは断る。


「私はもう食べましたので」

「……食べたの? もう? 全部?」

「はい」


 手元を見る。王女の両手は、まだ8割がた残っているサンドイッチをしっかり持っていた。それを薄布で一旦包みなおしてから、王女は後ろを振り返った。

 メイドのトゥルーテはポットを持ち、王女の様子を窺っている。


「ステラさま、お茶にいたしますか?」

「……トゥルーテ、あなたパンは」

「食べ終わりました」


 ステラ王女は、再び自分のパンを見る。

 どう考えてもこの短時間でやっつけられる大きさではない。


「あなたたち、食べるのがとっても早いのね……?」

「侍従ですから」

「メイドですので」

「そ、そうなの? わたくし、あなたたちがこんなに早く食べることが得意だって、今の今まで知らなかったわ」

「食事休憩は殿下のお目がないところで行うものですからね」


 国土広しといえど、主人よりもちんたら食ってる侍従はそういない。そもそも食事は仕事の合間に挟まるものなので、早く片付ける習慣があるのだ。

 キースが王女へそう説明すると、トゥルーテもこくこくと頷いた。


「まあ……そうだったのね。一緒にお食事をするときはふたりとも、わたくしと同じくらいに食べていたからてっきり……」

「正式な食事の席では流石に行儀よく食べます」


 トゥルーテもこくこくこくと頷いていた。

 桃色珊瑚の宮殿はステラ王女が取り仕切っている。ひとりで食べるのが退屈だからと毎回食事に誰かしらを誘うし、キースたちも3回に1回はそれに頷いていた。2人をはじめ、宮仕えの長い者は上流階級の食事マナーも叩き込まれている。主人よりも先に平らげ、急かすような真似をしないのは当然だった。


「そうね……ここは正式な席ではないもの。わたくしもキースもトゥルーテも、ここではみんな旅人なのだわ」


 王女はそう呟くと、嬉しそうに目を輝かせた。


「あなたたちは普段はこんなに早く食べるのね。こんなに一緒にいるのに、まだ知らないことがあるなんてすてきね」

「そうですね」

「この旅でキースとトゥルーテのことをもっと知れるのだと思うと、わたくし、なんだか楽しくなってきたわ!」

「光栄です、殿下」


 侍従とメイドの顔を見てにこにこ笑った王女は、気合を入れるように頷いた。


「ではわたくしも旅人として、早食いをしてみるわね!」

「やめてください殿下。窒息しますよ」

「す、ステラさま……!」


 はぐはぐと子ねずみのようにパンを頬張る王女は、それからしばらくサンドイッチと格闘したのだった。






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