ことの始まり
引き出しの奥から出てきた中学校時代の黒歴史的ノートのようなもの。
文章を書いてみてはどうかと知人に勧められたのである。
年中本ばかり読んでいるようだが、これからは文章を読むだけではなく書いてみるべきだと。
この言葉には驚いた。
文章、書いていた。のである。
高校時代、文芸弁論部に所属していた。
まあこの文芸弁論部、文芸というよりは同人誌、弁論と言うよりはおたくトーク、といった方がしっくりくるような部活動ではあったのだが…いや、まあ文芸の方面は毎月小冊子を制作しており、多いときには月に3冊、各200部以上は発行していたのだから、なかなか活発に活動していた部活ではなかろうか。
私はそこで、先輩たちに可愛がっていただきながら詩やら物語やらを執筆していた。
ちなみに同人誌の存在も彼女たちから教えてもらった。いけない先輩達である。
最終的には編集長という肩書きをいただき、冊子の編集に推敲、校正などを行う機会にも恵まれた。とてもありがたい経験だったと今でも思う。
そして高校卒業後、私は同人作家活動をしていた。
ただ、ゲーセンで彼氏とUFOキャッチャーをしたり、バイト仲間とカラオケでオールしたり、友人と旅行に行ったりと私生活もそれなりに充実していたためかなりライトな『オタク』だったと思う。
同人活動中は近隣の県に友人ができ、時には泊まりがけでイベントに参加することもあった。この辺りのエピソードはまた追々お話しすることができればと思っている。
活動中はとても楽しい日々を過ごしていたものだが、大学を卒業して就職をした時点でそれらの活動には終止符を打った。
イベントに参加すると言うことは、休日をそのために丸一日費やすということになる。社会人になりたての私には趣味と仕事の両立が、難しすぎたのだ。
そういう経緯を経た私にとって、文章を書いたり編集したりするということはそれなりに思い入れがある。
執筆活動は青春の1ページだった。
しかし本当に驚きである。
この知人はいわゆる『人の後ろに人が見える』タイプの人らしい。
暇さえあれば滝に打たれに行く修験者のような人で、時々私に『今年は運周りがあんまり良くないよ(あらそうなの)』だの『旅先では塩を持って行った方がいいよ(ふむふむ)』だったり、『あなたの前世は仏教関係のことをしてる人だよ(あらすごい)』とか『あそこの餃子はおいしいよ(えっ、あ、そうですか)』などと本当に様々な情報を与えてくれる。
ただこの知人とは、職場にふらりと訪れては立ち話をしていく程度の付き合いなもので、いやもうこれ黒歴史ですよね?という我が学生時代の思い出を深く語ったことはない。
これは文章を書いてみるべき、という何かのお導きなのだろうか。
よくよく考えてみれば同じ血が流れている私の父、研究者であり執筆家である。
何らかの才能の種子が私の中にもあるかもしれない、まだ芽生えていないやつが。
ああそうかそうか、そうなのか。
じゃあひとつ書いてみるか、とあっという間に乗せられてその気になってしまった。
根が単純なのである。
ただここで問題がある。私は今まで文章を書くための勉強をしたことがない。
国語の授業は高校まで。以降は英語が専門であった。
本は基本読む派。書き続けていたのも大学卒業まで。
よって高尚な論説文など学がないからもちろん書けないし、どちらかといえばお堅い学生だったので胸がときめき歯が浮くような台詞満載の恋物語なども書けない。
最近流行の異世界転生物とかどうよ、とも思った。
ファンタジーは大好きで小学生の頃からよく読んでいたし良いかもしれない。だが如何せん様々なネタが世の中に出尽くした感があり、自分としても書きづらい。
そもそもそんな長編になるような物語を最初から書こうとすれば、確実に息切れをして終わりにたどり着けないに決まっている。
基本単純かつ飽きやすい人間なのだ。
どうしたものかと悩んだ結果、一番書きやすいものを題材にするのが一番であるという結論に達した。
そう、日常生活である。
日々それなりに起伏に富んだ生活を送っているので、おかげさまで文章のネタには事欠かない。
個人的な内容過ぎて本当に自己満足なものでしかないのだが、現在文章を書く勉強をしている訓練生の原稿用紙、チラシの裏側とでも思ってお許し願いたい。
そう。敬愛する山内マリコさんも著書の中で『お買い物は人生の縮図だ』と仰っているし、購入したものにまつわる思い出やエピソードなどを書き連ねていくのもまた良いかもしれない。
私のつたない文章に目をとめて下さった方がいて、まあちょっとした暇つぶしにはなったな、などと思っていただけたならば、それこそが私にとっては最大級の賛辞となります。
不定期になりますが、おつきあい願いたく存じます。
どうぞ、よろしく。
次回は文字書きにはなくてはならない『相棒』についての話。